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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その33

大坂城の出城「真田丸」近辺での戦いにより、徳川勢は少なからぬ損害を受けました。
城攻めを得意としていた太閤秀吉が、弱点の無いように築いた城であり、当代随一といっていいほどの堅固な城が大坂城です。
ちょっとやそっとで攻め落とせるものではありません。
それに家康自身が城攻めを苦手としていた武将ということもあり、徳川勢は今後の攻撃の難しさに頭を悩ませておりました。

一方大坂方としても事態は決して楽観できるものではありませんでした。
もとより篭城戦は、城に篭ってがんばっているうちに味方の援軍が到着することを期待して行なうのが普通です。
しかし、このたびの戦いはそのような味方援軍が期待できるものではありません。
太閤恩顧の大名も徳川勢として大坂城を囲んでいるのです。
このまま篭城していても、いつかは弾薬も食料も尽きてしまいます。
その前に徳川勢を追い払うことができるのか?
頭の痛い問題でした。

徳川勢は強力な防御拠点に対する攻撃の基本に乗っ取ったやり方、つまり正攻法で大坂城を攻撃するつもりでした。
竹束や鉄の盾で城からの攻撃を防ぎながら、塹壕を掘り進んで接近するやり方です。
時間はかかりますが、これがもっとも確実な方法であり、日露戦争時の旅順攻略戦や、第一次世界大戦でも使われた方法でした。
そして、その援護として、城に対し絶えず銃砲撃を加えます。
被害そのものはさほど与えることができなくても、銃声と砲声は城内の兵の士気をじょじょに殺ぐことになるのです。

その上で家康は大坂方との和平交渉も進めておりました。
和戦両面で大坂方を圧迫していったのです。
この和平交渉は、幕府の最高司令官であるはずの将軍秀忠にも内緒で進められていたものと見え、大坂城に対する総攻撃を考えていた将軍秀忠は、そのことを知って不機嫌になったといわれてます。

和平交渉そのものは本格的戦端が開かれた木津川口の戦いの翌日、慶長19年(1614年)11月20日には開始されておりました。
家康の命を受け本多正純が和睦をするよう大坂方に書を送っているのです。
無論戦いが始まったばかりでもあり、この時点では大坂方からは返事は送られておりません。

大坂方から何らかの反応があったのは、12月3日でした。
織田有楽斎長益より、秀頼が和議に反対している旨の書が送られてきたのです。
しかし、家康は和議こそが豊臣家のためであるとして和平交渉を続行。
翌12月4日に起こった真田丸近辺の戦いでの損害もあり、戦わずして屈服させるべく交渉に力を入れて行きます。

12月8日。
大坂方から和睦の際の条件についての問い合わせがあり、大坂方も和睦に傾きつつあるという感触を家康は手にします。
そこで家康は佐渡や甲斐から金堀人足を呼んで城壁破壊を臭わせ、さらに銃砲撃を強めました。
大坂方への威嚇を強化したのです。

12月15日。
ついに大坂方より淀殿を人質として江戸に送ることを了承する書が家康の元に届きます。
大坂方としては涙を呑んでの条件受諾ともいえましたが、今度は家康がこれを拒否。
和平交渉は暗礁に乗り上げました。

家康が拒否した理由については定かではありません。
一説には、大坂方に出した条件が淀殿の人質か大坂城の堀を埋めるかの二者択一であり、家康は大坂方が淀殿の人質を認めることはないだろうから、堀を埋めることになるだろうとふんでいたのに、案に相違して大坂方が淀殿の人質を認めたために面食らったのではないかともいわれます。

12月16日。
京都にまで達したというほどの砲撃の音が響き、大坂城に徳川方の砲弾が何発も打ち込まれます。
このうちの一発が天守閣の淀殿の近くに着弾。
侍女二人を巻き込んだといわれます。
この砲撃は淀殿の継戦意識をくじき、大坂方は和睦に大いに傾くことになりました。

12月18日から20日にかけて、両軍の使者が京極忠高(きょうごく ただたか)の陣において直接交渉を行い、ついに誓紙を交わしての和議成立となりました。

大坂方からの条件は豊臣秀頼の身の安全と本領の安堵、それと城内の諸士に対しては不問に付すという二点であり、一方徳川方からの条件としては、大坂城二の丸及び三の丸の破壊と堀の埋め立て、淀殿の代わりに大野治長及び織田有楽斎より人質を出すことという二点でした。

双方この条件には納得し、誓紙が交わされたのです。
同20日には徳川方からの銃砲撃はすべて中止されました。
ここに「大坂冬の陣」は終わりを告げたのです。

しかし・・・
それはまた新たなる戦いの始まりでした。

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  1. 2008/07/26(土) 19:35:21|
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
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