1938年にチェコスロバキア(当時)の一部ズデーテン地方の併合に始まり、1940年には西方戦役でフランスを降伏させたナチス・ドイツは、それによってチェコ製の優秀な戦車やフランス製の戦車を手に入れることができ、自軍の戦力を大いに強化できました。
もっとも、チェコ製の戦車は初期の電撃戦で大いに活躍したものの、フランス製戦車はドイツ軍と製造コンセプトが違ったりして大活躍というわけにはいかず、後方での警備任務や訓練用車両として使われるものも多かったのです。
さらに、運命のバルバロッサ作戦でソ連に侵攻したドイツ軍は、ソ連軍の主力戦車T-34や重装甲のKV-1などに遭遇し、従来の戦車が一気に時代遅れになるという事態に陥ります。
主力であった三号戦車の50ミリ砲ですらほとんど無価値となる状況では、チェコ製戦車の37ミリ砲やフランス製戦車の37ミリ・47ミリ砲ではまったく役に立たないのは明白です。
そこでドイツ軍は従来の戦車の車台を利用し、上部の砲塔を取り外して対戦車砲を載せる対戦車自走砲を開発します。
車台が適当で使い勝手のよかったチェコ製戦車はそうして対戦車自走砲に生まれ変わるものがほとんどでした。
一方フランス製戦車は、コンパクトに作られすぎているものが多く、対戦車自走砲の車台としては使いづらいものが多かったようで、多くが砲塔をはずして牽引車として使われることが多かったようでした。
戦車としては使えなくても、トラクターとしてなら充分に使えるものが多かったのです。
こうして大戦初期型の戦車の多くは、車台を別な用途に利用されることになりました。
チェコ製やフランス製戦車ばかりではなく、一号・二号戦車や三号戦車ですら対戦車自走砲や突撃砲へと改造されていきました。
ふと気がつくと、戦車の車台はこうして使われることになりましたが、取り外された砲塔がいくつも倉庫に眠ることになってしまいました。
一部はスクラップとして溶かされ、再び新型戦車の鉄材となったものもあったでしょう。
ですが、せっかく作られた砲塔を、ただスクラップにしてしまうのはもったいないものでした。
そこでドイツ軍はこの取り外された砲塔の再利用を考えます。
車体の代わりに箱型の戦闘室を下に取り付け、土に埋めさえすれば、砲塔はそのまま簡易型のトーチカになるのです。
大砲もついて360度回転することができる砲塔トーチカは、スクラップなんかにするよりはよほどましな再利用でした。
ドイツ軍は早速この砲塔トーチカを西方防壁の一部として、あるいはイタリア戦線などでも使われるようになりました。
特に多かったのは西方防壁であり、ノルマンディーやカレーの海岸にはフランス製戦車の砲塔を使ったトーチカが各所に設置されました。
確かに旧型戦車の砲塔ですから、T-34やM4などの新型戦車に対しては歯が立ちません。
しかし、こと対歩兵という面から見れば充分すぎる火力と防御力を持っており、重装備を持たない上陸第一波に対してはまさに威力を発揮すると思われ、また事実ノルマンディーに設置された砲塔トーチカは充分な威力を発揮したといわれます。
この戦車砲塔トーチカは、最終的にはパンターの砲塔を使用したトーチカにまで発展し、連合軍やソ連軍に対して一定の効果を発揮したといわれます。
たとえは変かもしれませんが、鯨と一緒で戦車も捨てるところはなかったのかも。(笑)
それではまた。
- 2008/06/29(日) 19:54:14|
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兵器は開発と生産コストがかなりかかるのでできる限り長く使いたいのはどこの国でも変わらないみたいですね。
日本軍の豆タンクもブルドーザー代わりに戦後使われたそうです。
戦争が終わった後は戦後復興の道具として使われる・・・・兵器としては戦場で散るのとどちらが幸せなのでしょうか?・・・・・って考えたことがありました。
また、お邪魔させてもらいます。では、また^^
- 2008/06/29(日) 21:03:06 |
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>>あぼぼ様
使えるものは使いたいですよね。
ましてやどんな兵器も使いどころさえ間違わなければ、どんなものでも使えますからね。
使われずにスクラップになるよりは、戦後復興の道具でもいいから使われたいというのは兵器にもあるかもしれないですね。
- 2008/06/30(月) 20:35:47 |
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- 舞方雅人 #-
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