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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その29

木津川口の戦いの約一週間後の慶長19年(1614年)11月26日。
今度は大坂城東北側を流れる大和川の南北両岸で大坂方と徳川方の戦いが起こります。
「鴫野・今福の戦い」(しぎの・いまふくのたたかい)です。

前日の11月25日、徳川家康はこの方面に陣取る諸将に対して攻撃命令を発しました。
明朝、豊臣軍に対し攻撃を開始せよとのものでした。

大和川北東岸の水田地帯に位置する今福村周辺は、堤以外は人馬が行動しづらい地形であり防御しやすい場所でした。
大坂方はこの地に四重の柵を設置し、守備兵約六百が守備についておりました。

一方対岸である大和川南岸も似たような水田地帯が広がっており、こちらも川岸の堤以外は人馬の往来に不自由する場所でした。
今福村のほぼ対岸には鴫野村があり、大坂方はこちらにも三重の柵を設けて大野治長の手勢約二千で守備についておりました。

11月26日早朝。
家康の命に従い、徳川方の軍勢が動き始めます。
今福村方面には佐竹義宣の手勢約千五百が、鴫野村方面には上杉景勝勢約五千が向かい、大坂方と戦闘に入りました。

佐竹勢と上杉勢の攻撃により、大坂方は今福村でも鴫野村でも地歩を守りきることができませんでした。
柵は倒され、守備隊の指揮官たちは討ち死にし、今福村と鴫野村は早々に徳川方に押さえられてしまう事になります。

この状況に大坂方の武将大野治長が逆襲を命じます。
彼は自ら約一万二千の兵力を率いて鴫野村の上杉勢に襲い掛かりました。

上杉勢は約五千、鴫野村の守備隊との戦いでいくらか失っていたことでしょう。
この状況で一万二千の兵力を迎え撃つのは容易ではありません。
上杉勢は奪い取った柵を逆向きに設置するなど防備を固めましたが、大坂方の攻撃の前に第一陣は崩され突破を許してしまいます。

しかし、幾多の戦場で鍛え抜かれた上杉軍の伝統はまだまだ受け継がれておりました。
第二陣が撃ち崩されようとしたものの、脅威の粘りで支え続けられ、大坂方の攻撃が一瞬緩んだ隙に左右からの鉄砲による一斉射撃で痛撃を与えます。
大坂方が浮き足立ち混乱を起こしたところを逆撃に転じた上杉勢は、寡勢にもかかわらず大坂方を蹴散らします。
大野治長はやむなく軍勢に大坂城への後退を命じますが、混乱したままの軍勢は上杉勢の追撃に遭い、数百と言う損害を出して敗退してしまいました。

鴫野村を確保した上杉勢でしたが、その損害もまた少なくなく、家康は丹羽長重及び堀尾忠晴の軍勢に後を任せて交代するように指示しました。
ところが上杉景勝はその指示を突っぱねます。
武門の家に生まれて戦の中で身を粉にして戦い奪った土地を、上意だからといってはいそうですかと渡せるものかと言うのでした。
のちに家康はこのことを聞き、さすが上杉だと感心したといいます。

一方今福村側でも、佐竹勢によって奪われた今福村を取り戻すべく軍勢が向かいました。
指揮を取るのは若武者木村重成でした。
初陣の木村重成は、ただ一騎で駆け出すと大声で家臣たちに参集を命じます。
その様は桶狭間の戦いに赴く織田信長のようであったとも言われます。
若者が部下を鼓舞して戦に向かわせるには、自分が率先して戦に向かうしかないと理解していたのでしょう。

一騎で飛び出した重成の元にやがて手勢が集まり始めます。
若武者を擁して数を増していく木村勢の様子に佐竹勢は形勢不利と判断し、陣を固めるために後退します。
その機に乗じようと重成は攻撃を命令。
木村勢が佐竹勢に攻めかかりました。

ところが大野勢との激戦前だった上杉勢が、佐竹勢の苦境を知り対岸から援護射撃を加えます。
木村勢はこの援護射撃に射すくめられ、進退窮まってしまいました。

この木村勢の苦境に豊臣秀頼の下知が飛びます。
「重成を助けよ」
この命に飛び出して行ったのが後藤又兵衛基次でした。
基次は手勢を連れて重成の救援に向かったのです。
先日の一件以来重成を好もしい若者と思っていた基次は、重成を死なせたくなかったのでしょう。

駆けつけた後藤勢は、基次自らが鉄砲を持って上杉勢に向かって射撃戦を展開します。
動揺した上杉勢を蹴散らして重成の元に駆けつけた基次は、木村勢と後藤勢が協力して佐竹勢にあたることとし、両勢合わせて約三千の兵力で佐竹勢に迫りました。

佐竹勢は百戦錬磨の後藤勢の来援を受けた木村勢の攻撃にあえなく前線を突破されます。
激戦の最中に基次は銃弾を受けますが、致命傷となるようなものはなく、基次は秀頼公はご運が強いと言い放ったといわれます。
自分が生きているうちは大坂は安泰だという強烈な自負心とも味方に対する士気高揚を狙ったものとも言われますが、なんともすごいセリフであり、またそれを言っても不思議ではない実績を持つ人だったとも言えるでしょう。

佐竹勢は佐竹義宣自らが兵を指揮し鼓舞することで、ようやく前線を建て直し大坂方とにらみ合いになります。
しばし膠着状態が続いたのち、状況が動いたのは木村隊による射撃でした。
指揮官の一人を撃たれた佐竹勢は混乱し、後藤・木村両勢が攻め込みます。
もはや佐竹義宣自身の指揮もなすすべがなく、佐竹勢は崩壊の危機に見舞われました。
やむなく佐竹義宣は上杉に救援を求めます。

鴫野村の戦いで寡勢でありながらも大坂方を撃破した上杉勢は、佐竹の救援に応じて大和川の中ほどまで進み出て射撃を開始。
後藤・木村両勢に損害が出始めました。
さらに丹羽長重、堀尾忠晴の軍勢も佐竹勢救援に駆けつけてくるのを見た基次は、ここはここまでと判断。
木村重成に撤収を指示し、後藤・木村両勢は大坂城に引き上げました。
ここに大坂冬の陣最大の野戦となった「鴫野・今福の戦い」は終わりを告げたのです。
最後には撤収と言う状況になったものの、佐竹勢を大いに苦しめた木村重成は、初陣を見事に飾ったのでした。

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  1. 2008/06/10(火) 20:11:00|
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