アフリカの東側にエチオピアという国があります。
アフリカ最古の独立国として有名なのですが、このエチオピアにちなんだお饅頭、その名も「エチオピア饅頭」というお菓子があるそうなんですね。
私は食べたこと無いのですが、高知県の近森大正堂というお菓子屋さんの名物だそうです。
この「エチオピア饅頭」、なぜ「エチオピア饅頭」と言うネーミングなのか?
1935年。
19世紀末にエチオピアを植民地にしようとしたイタリアが、エチオピア軍に手痛い敗北をして撤収して以来、再びこのエチオピアを植民地とするべく二度目の侵攻を企てました。
当時のイタリアは世界恐慌の影響などで経済は低迷し、失業者も多数にのぼっておりましたが、ムッソリーニの下でファシズム政権が独裁体制を敷いて海外に植民地を求めていたのです。
19世紀末のエチオピアに受けた屈辱を晴らすべく、イタリアは近代装備で武装したイタリア軍の精鋭約二十万を持ってエチオピアに侵攻。
エチオピア軍を攻撃いたしました。
当時のエチオピア軍は各部族集団が中核の約三十五万の兵力を擁しておりましたが、いずれも正規の訓練を受けたものではなく、装備もかなり旧式の小銃が主でした。
そのため、世界はイタリア軍が鎧袖一触でエチオピア軍を撃破してしまうものと思っておりました。
イタリア軍は各所でエチオピア軍を撃破し、侵攻は成功裏に終わるかと思われました。
国際連盟もイタリアの侵略として非難しますが、効果のある制裁を加えることができず、国際連盟はその無力さを露呈してしまいます。
ところが、やがてエチオピア軍が逆襲に転じます。
地の利のあるエチオピア軍は、各地で神出鬼没に動き回り、イタリア軍は各所で分断され孤立します。
やむを得ずイタリア軍は、圧倒的な空軍力でこれを撃破。
かろうじて危機を乗り越えました。
ホッとしたのもつかの間、エチオピア軍は最後の切り札を投入しました。
皇帝自らが率いる帝国親衛隊を中心に反撃を行います。
イタリア軍は再び窮地に追い込まれました。
戦車も航空機もほとんど持たないエチオピア軍に対し、戦車も航空機もふんだんに持っているイタリア軍が追い込まれたのです。
ついにイタリア軍は毒ガスを撒き散らすという手段に打って出ました。
ガスマスクなど持たないエチオピアの戦士たちは次々と倒れ、そこにイタリア軍の反撃が加えられました。
切り札の皇帝親衛隊も失ったエチオピア軍はついにイタリアに降伏。
エチオピアの皇帝は英国に亡命して、エチオピアという国はイタリアに併合されてしまいました。
これ以後第二次世界大戦中の1941年までエチオピアという国は消滅したのでした。
このエチオピアのイタリアに対する抵抗に感銘を受けた近森大正堂の初代店主が、エチオピアに縁もゆかりも無いにもかかわらず、自家製の饅頭に「エチオピア饅頭」と命名したのでした。
現在ではエチオピア大使にも認められ、エチオピア大使館公認のお墨付きもいただいているそうです。
高知県では有名なお菓子だそうですね。
このエチオピア対イタリアの戦いは、コマンドマガジン日本版27号付録の「エチオピアのライオン」というゲームになっていて当時の戦いを再現することができます。
イタリア軍は史実同様に毒ガス使わないとつらいんですよねー。
エチオピア軍強いですよ。
それではまた。
- 2008/03/09(日) 20:53:23|
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