第二次世界大戦後、世界は米ソの冷戦に巻き込まれていくことになりました。
そんな中で開発され現在も主要戦闘兵器としての地位にある兵器にミサイルがあります。
ミサイルには用途によってさまざまなものがあり、地対空、空対空、地対地、空対地、空対艦、艦対空、艦対艦などあらゆる攻撃用途に使われる兵器であるといえるでしょう。
その中の一つ、かつてのソ連製の(艦)対艦ミサイルにSSN-2スティックス(西側のコードネーム:ソ連名はP-15)というのがあります。
全長約六メートルにもなるわりと大柄のミサイルで、射程は約四十六から八十キロ(後期バージョンは射程が長い)。
弾頭には約四百五十から五百キロの炸薬が詰まっており、さながら空を飛ぶ魚雷といってもいいようなものでした。
ソ連においては当時このスティックスはわりと一般的な対艦ミサイルでしたので、スティックスを搭載したソ連艦艇は多種ありましたが、中でも小型だったのがコマール級ミサイル艇(これも西側コードネームです:ソ連名は183R型ミサイル艇)でした。
コマール級ミサイル艇は木造船体の魚雷艇P-6型の船体をベースに開発されたもので、いうなれば魚雷艇の魚雷の代わりにこのスティックスを搭載したものです。
三十メートルにも満たない長さの船体にスティックスを左右に一発ずつ計二発搭載し、四十ノットの速力で接近して発射するというまさに魚雷艇そのままのコマール級ミサイル艇は、その生産の容易さから1960年代から70年代にかけて多数の国々に輸出され、またライセンス生産が行われました。
1960年代は、アメリカを中心とする西側諸国にとっては、水上艦艇の発射する対艦ミサイルにあまり注意が払われていない時期でした。
大きな威力を持つ空母艦載機の攻撃力に意識が向けられ、スティックスなどたいしたものではないと思われていたのです。
コマール級ミサイル艇を装備した国の中にはアラブ諸国もありました。
中東戦争でイスラエルをアメリカが支援していることもあり、アラブ側はソ連が支援していたのです。
第三次中東戦争の一応の停戦からわずか四ヵ月後の1967年10月21日。
エジプトポートサイド沖の地中海で、エジプト領海ぎりぎりの辺りをイスラエル海軍の駆逐艦エイラートが遊弋(ゆうよく:艦船が水上を行き来して敵に備えて動き回っていること)しておりました。
エイラートのいた海域は確かに公海上でありイスラエルの軍艦が遊弋していても問題はないものでしたが、エジプトはこれを示威行動と解したのか攻撃を仕掛けました。
エイラートは元英国の駆逐艦で約千七百トンの排水量であり、11.7センチ砲四門や四連装魚雷発射管二基など搭載した当時の有力な駆逐艦でした。
それに対し、エジプト軍はわずか排水量七十トンのコマール級ミサイル艇で勝負を挑んだのです。
駆逐艦の主砲の射程外であるポートサイド港内のコマール級からまず一隻が二発のスティックスを発射。
遊弋を終えてイスラエルに帰還しようとしていたエイラートの艦尾付近に二発とも命中します。
その後二隻目がまたしても二発のスティックスを発射。
これは時間を置いて行われたために、二発の命中で艦を救えないと判断したエイラートの艦長によりエイラート乗組員が退艦中を直撃します。
さらに海面に退避していた乗組員付近に四発目が着弾。
乗組員が多数殺傷されるという状況になりました。
結局エイラートは四十七名の戦死者とともに沈没。
史上初めて対艦ミサイルによって撃沈された軍艦となりました。
西側諸国はこのエイラート沈没にかなりのショックを受けました。
魚雷艇と同じように、小型の艦艇でも対艦ミサイルを搭載していれば、大型艦を沈められることが判明したのです。
以後、大型艦を保有できない中小国にとって、ミサイル艇は瞬く間に海軍戦力の中心となっていきました。
ただ、現在では航空機に対して脆弱なことと、あまり小型過ぎては海上行動に支障があったり乗組員の居住性が悪かったりということで、中規模クラス以上のミサイル艇が主となっているようです。
それではまた。
- 2008/02/12(火) 19:30:28|
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