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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その12

慶長5年(1600年)9月15日午前8時。
関ヶ原に両軍が対峙する中、銃声が響き渡ります。
のちに言われる「関ヶ原の戦い」の始まりでした。

銃声は、東軍の井伊直政隊が放った鉄砲によるものでした。
実はこの日、東軍においては先鋒は福島正則隊であると決められておりました。
先鋒は武人の名誉。
一番槍は手柄としても大きいのです。
それだけに、先鋒が一度決まったならば、それ以外の隊が先に接敵することは抜け駆けとされて違反行為となります。
井伊直政はその抜け駆けをやったのでした。

井伊直政はこの重要なる戦いにおいて、名目上は豊臣家臣同士の内紛ということになるものの、実質上は徳川対豊臣の戦いであり、それゆえに戦いの火蓋を切るのは徳川家の家臣であるほうがよいと考えておりました。
そのために家康四男の松平忠吉とともに鉄砲隊の一部を率いて、福島正則の陣よりさらに西軍に近づいていったのです。

もちろんこの行動は福島正則隊に察知されることになりますが、井伊直政は松平忠吉が初陣であることを口実に、戦場の雰囲気を感じるための物見であると言いぬけます。
そうして西軍に近づいた井伊隊は、西軍に対して銃を撃ちはなったのでした。

抜け駆けをされたと知った福島正則は激怒します。
しかし、すでに抜け駆けされてしまった以上どうすることもできません。
正則は怒りをぶつけるかのように、自隊に対して西軍宇喜多隊への突撃を命じます。
福島隊が一斉に動き始めました。

ほぼ同時に東軍黒田長政隊も西軍に対して突撃を敢行。
一方の西軍も石田三成隊、小西行長隊がこれに応戦を開始。
激戦が始まりました。

福島隊と宇喜多隊はほぼ正面から激突。
黒田隊を中核とした東軍諸隊も石田隊とがっぷり四つに組み合っての正面からの叩き合いとなります。
藤堂高虎隊と京極高知隊は福島隊を迂回するように回りこんで大谷吉継隊と戦闘に。
織田有楽隊、古田重勝隊、金森長近隊は小西隊とぶつかり合い、それぞれが激しい戦闘を交えます。
双方とも敵兵力の布陣さえ定かではない状況のため、正面の敵を叩くことしかできなかったのです。

西軍は宇喜多隊、小西隊、石田隊、大谷隊の合計三万二千ほどが戦っているに過ぎませんでした。
それ以外の西軍諸隊は戦闘に参加していないのです。
東軍がほぼ全力をこの西軍四隊にぶつけてきているのに比べ、西軍はこの四隊だけで東軍の攻撃を支えておりました。
それどころか、東軍は押し返されつつありました。
午前9時ごろには、東軍の勢いは失われつつあったのです。

宇喜多隊は明石全登を中心とした集団と鉄砲隊の射撃によって、福島正則隊の攻撃を跳ね返しており、大谷吉継も名将としての名声を遺憾なく発揮して東軍諸隊を寄せ付けません。
小西隊も局所的優勢を手放しませんでした。

東軍諸将の憎しみを一身に浴びていた石田三成隊は東軍の激烈な攻撃を受けておりました。
その攻撃を石田隊は島左近が支えます。
島は東軍の攻撃を跳ね返すと、こんどは逆に黒田隊に攻めかかり、黒田隊はたじたじとなって戦列を後退するということも幾度と無く起こりました。

午前10時。
激闘は2時間に及ぶものの、西軍がやや優勢だが決定的ではない状況が続いておりました。
家康はこの状況にかなりいらだっていたと伝えられます。
西軍諸隊を切り崩し、吉川や小早川の動きを封じてはいたものの、石田隊をはじめとする西軍四隊に翻弄されているのです。
このままでは西軍優勢と見た吉川や小早川が参戦してしまうかもしれません。
家康は陣を前線近くまで前進させ、各部隊を督戦することにしました。

宇喜多隊と福島隊の激闘は双方の旗印が前進と後退を繰り返すほどのものでした。
大谷隊も小西隊も一歩も退かないどころか、東軍が攻めあぐねているような状況でありました。
そんな中、小西隊と石田隊に挟まれた位置にいる島津隊は、まったく動きを見せませんでした。
一説によれば、前日の夜襲進言をまるっきり無視されたことに腹を立てて戦闘に参加しなかったとも、石田三成の傲慢と見える態度に腹を立てたためとも言われますが、とにかくこの時点で島津隊は戦闘に参加する様子を見せておりませんでした。

やがて、家康自身が後方より前線近くの位置に陣を移してくると、東軍諸隊はにわかに勢いを盛り返します。
やはり家康の姿が功を奏したのです。
ぎりぎりの優勢を保っていた西軍四隊は、この盛り返してきた東軍にさすがに押され始めました。
石田隊も前衛を突破され、後退を余儀なくされます。
ここにおいて、三成は動きの見えない島津隊に戦闘参加するように使者を立てますが、使者が馬上から物言いをしたために島津豊久(しまず とよひさ:島津義弘の甥)に一喝されてしまいます。
やむなく今度は三成自身が島津の陣に出向きますが、対応した島津豊久はこう言ったといわれます。
「このたびの戦、どうも都風の戦にて島津の戦に合いもさん。この上は島津は島津でやり申すので、そちらはそちらでやるがよろしかろう」
三成は何も言えずに引き下がるしかありませんでした。

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  1. 2008/01/08(火) 19:36:32|
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(まいかた まさと)と読みます。
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