今年最初のSSは、昨日告知しました通り過去作「
チョコレートの魔力」の続編です。
私自身この作品に登場したヴァレフィアとミズラフィア、それにコルチャスキーが気に入ったもので、いつか続編は書きたいなと思っておりました。
今回ようやく書きあがったので、投下させていただこうと思います。
タイトルは「女神の涙」です。
一種のファンタジーであり、悪堕ちでも異形化等でもないSSですが、楽しんでいただけますと嬉しいです。
それではどうぞ。
女神の涙
窓の外を雪が降る。
気温もかなり下がっているようだ。
幸い室内は暖炉のおかげで温かい。
パチパチと薪が燃える音が静かな部屋に響いている。
キッチンの方では夕食の後片付けをしているようだ。
二人の楽しそうな話し声が聞こえてくる。
ミズラフィアもすっかりあの躰に慣れたのか、動きがスムーズになって皿を割るなどのミスもほとんど無くなった。
ヴァレフィアとも仲良くやっているらしい。
今では二人で楽しそうにチョコレートを食べる姿が当たり前になっている。
今日も後片付けが終われば、彼の与えるご褒美のチョコレートを食べるのだろう。
コルチャスキーはそう思う。
「さてと……」
それはともかく……これをどうしたものか……
ポケットにしまわれていた革袋から、宝石を加工したと思われるペンダントを取り出すコルチャスキー。
彼の手の中で鎖の音がチャラッと鳴る。
八角形に削られた真っ赤で透明感のある石をペンダントヘッドにしたペンダントだ。
「“女神の涙”……ねぇ……」
コルチャスキーはそうつぶやき、暖炉の炎の明かりにかざしてその石を見つめる。
美人だった母の影響か、彼の顔はかなり整っている方だろう。
雰囲気的には軍人というよりも、どこか学者や研究者といった雰囲気を持っている。
軍人がそれなりにもてはやされるこの国においては、彼は軍の少佐ということもあってそれなりに見合いの話なども持ち込まれてくる。
いくら整った顔でも、学者や研究者ではそうはいかなかったかもしれない。
もっとも、本人にしてみればそんなことは煩わしいだけなのか、断ることが大半だ。
「何を見ているのだ、マージェコフ?」
トレイにお茶のセットを載せて持ってくるヴァレフィアが、コルチャスキーに声をかける。
そのあとにはミズラフィアがお湯のポットを持ってついてきていた。
二人とも黒いメイド服に白いエプロンとホワイトプリムが良く似合っている。
髪の色と目の色の違いはあるが、二人ともよく似た容姿をしており、双子と言っても通りそうだ。
それもそのはず、この二体は彼の妹であるリルシェバが作り上げた人形である。
とはいえ彼女たちがまだ幼さを感じる十四、五歳の少女ではなく、人の手で作られた人形だと見抜けるものはよほど魔術に通じた者でなければ無理だろう。
それだけリルシェバが作り上げた人形が精巧であるのと同時に、人形に封じられた二体の魔人がその魔力でこの躰を人間のように見せかけているというのも大きいのだ。
「ん? これか? “女神の涙”……だそうだ」
コルチャスキーは苦笑しながら、ペンダントの鎖を持ってぶら下げる。
「はあ? めがみのなみだぁ? そんな赤い石なのにか?」
露骨にバカにしたような表情を浮かべるヴァレフィア。
全くこいつは……
よく人形であるその躰でそこまでの表情をさせられるものだとコルチャスキーは思う。
どう見ても人間の少女そのものではないか……
「まあ、どうもそうらしい。もっとも、そんな名前はこいつを売るために誰かが勝手に付けた便宜上のものだろう。実態は女神の涙とは似ても似つかない物だからな」
コルチャスキーは持っていたペンダントをテーブルの上に置く。
「実態?」
テーブルに置かれたペンダントに目を移すヴァレフィア。
「ああ……どうもこいつはこの石の中に何か魔物を封じていたようなのだ。すでに中身は空っぽで抜け殻だが……」
「中身が空っぽ?」
「ああ、ヴァレフィアなら、こいつから何か感じるか?」
コルチャスキーにそう言われ、テーブルにトレイを置いたヴァレフィアがペンダントを手に取ってみる。
「むぅ……確かに残滓のようなものがないわけではないが……やはり抜け出した後だな。何も入ってはいない」
手にしたペンダントをコルチャスキー同様に暖炉の炎にかざしてみるヴァレフィア。
「だろうな。中に入っていたものが何者かはわかるか?」
「無理を言うな。われにもその程度の残滓だけでは何者が入っていたのかなどわかるはずもない。だが、そのような石に封じられてしまうなど、たいしたやつではないな」
ペンダントをテーブルに戻し、ミズラフィアの持ってきたお湯をティーポットに入れてお茶を淹れていくヴァレフィア。
このかわいらしいとしか言いようのないメイドの少女の中身が強大な力を持つ魔人だとは、余人には想像もつかないだろう。
「はい、お茶が入りましたわよ、旦那様」
わざとらしくメイドの口調でカップを差し出すヴァレフィア。
家の中など他人がいない場所では先ほどのようなぞんざいな口を聞くくせに、時々メイド口調でからかってくるのだ。
一方ミズラフィアはたいていがメイド口調で接してくる。
どうも今の躰が気に入ったらしく、この躰に自分を封じたコルチャスキーと、その妹でこの躰を作ったリルシェバを尊敬したのだとか。
もっとも魔人のことだから、そう見せかけていつか寝首を掻こうとしているという可能性もなきにしもではある。
「うん。美味い」
カップを受け取り、お茶を飲むコルチャスキー。
これは嘘ではない。
ヴァレフィアの淹れるお茶は美味しく、相当に腕を上げたのは間違いないのだ。
だいぶ練習をしたんだろうな……
強大な力を持つ魔人がお茶を淹れる練習をしているなど、ほかの魔人が知ったら笑いものになるかもしれんというのに。
「美味しいです」
「ふふん。われが淹れたのだから当然ではないか」
ミズラフィアとヴァレフィアも席に着いて、お茶と一緒にチョコレートを楽しんでいる。
二人は人形の躰であり、かつ魔人であるために基本的に食事の必要はない。
たまに魔力を使い過ぎたときなどには補充が必要なようだが、まあ、ミズングムが封印から抜け出そうとしたときのように大量の精気を必要とするようなことは今はもう無いので、適度に精気を吸わせるために人ごみに連れ出せばなんとでもなる。
だから、食事は主にコルチャスキーだけが取ればいいのだが、それではつまらないのか、だいたいは二人も一緒に少なめの量の食事をする。
むしろ二人にとっては食後のこのチョコレートを食べるお茶の時間の方が重要なのだ。
なので、二人ともなんとも幸せそうに食べているので、コルチャスキーも見ていて楽しくなる。
「それで、なぜそのようなものがここにあるのだ?」
ヴァレフィアがペンダントのことを問いかける。
「ん? 頼まれごとだ。厄介な……な」
カップからお茶をすすり、ふうと息を吐くコルチャスキー。
「厄介なのですか? 何か手伝えることはありますか、旦那様?」
あむあむとチョコを食べながら赤い目でコルチャスキーの方を見つめるミズラフィア。
顔立ちは似たようなものなのに中身が違うせいか、ミズラフィアはどことなく小動物的可愛らしさがある。
「ん? まあ何かあれば頼むさ。今のところは何もない。というより、どうしたものかと思っている」
「どういうことだ? 奥歯にものが挟まったような言い方をするではないか」
「うーん……どこまでやればいいかと思ってな……」
チョコから目を離そうともしないヴァレフィアの言葉に、コルチャスキーもその通りだとは思うのだ。
だが、言葉通りなら何もする必要がない頼み事だからと、何もしなくていいものかどうか……
「この“女神の涙”はゴリューコフ伯爵からの預かり物だそうでな。伯の奥方への贈り物なんだそうだ」
「奥方への贈り物?」
ちらっと再びテーブルの上のペンダントに目をやるヴァレフィア。
「ああ、奥方に良く似合いそうだと手に入れたらしい。だが、前の持ち主含めその周囲で変死が相次いだらしくてな、このペンダントは呪われているのではないか、呪われているのであればその呪いを解いてくれないか……だそうでな。なぜか俺のところに話しが回ってきたのさ」
そこまで言って、またカップのお茶を一口飲む。
「それはおそらくこの中にいたものが外に出るために力を得ようとしたのではないですか?」
「そうに決まっている。そのような石にいつまでも閉じ込められている愚か者などそうはいないからな」
ミズラフィアの言葉にうなずき、ペロッと指についたチョコを舐めるヴァレフィア。
「よかったではないか。それはもうとっくに抜け殻になっている。呪いとやらはもう起きはしない。そう言って伯爵からたんまり手間賃をもらえばいい」
ヴァレフィアがにやりと笑みを浮かべる。
本人は凄みを見せているつもりなのだろう。
「ゴリューコフ伯についてはそれでいいだろう。だがなぁ……封じられていた何かが抜けだしたと知ってしまって、何もせずにいていいものか……とな」
「ふん。苦労性で酔狂なことだ。放っておけばいいではないか。安心しろ。その石に封じられる程度のやつがどれほど力をつけようと、そなたには手は出させん」
ヴァレフィアの言葉にこくこくと真剣な表情でミズラフィアもうなずく。
この二人……頼もしいというべきかなんというか。
コルチャスキーは苦笑する。
心配なのはそんなことではないのだ。
むしろ、こいつらレベルであれば暴れ出したりでもしたらすぐわかる。
対処できるかどうかは別にして。
しかし、力を中途半端に持つ者はその力をこっそり使おうとするかもしれない。
自分は表に出ずにひそかに影響を及ぼそうとするかもしれないのだ。
そうなるとなかなか見つけ出すのは難しい。
そして気が付いた時には、町一つをまるごと焼くしかなくなっている場合もありうるのだ。
はたして放っておいていいものかどうか……
「とりあえず、明日ゴリューコフ伯に会いに行く。ヴァレフィア、お前は付き合え。ミズラフィアは悪いが留守番してくれ」
ペンダントを再び皮袋に入れてポケットにしまい、コルチャスキーは二人に明日のことを伝える。
「むぅ……たまにはわれではなくミズラフィアを連れていけばいいではないか」
他人と会うのがめんどくさいのか、不満そうに頬を膨らませるヴァレフィア。
「私ならいつでもお供いたしますが」
対照的にミズラフィアはすっと立ち上がる。
彼女としては一緒について行きたいところなのだろう。
いつも外出はヴァレフィアの役目であり、ミズラフィアは留守を守ることがほとんどなのだ。
「いや、悪いがミズラフィアは留守番を頼む。やはりその赤い目はどうしても人目を引いてしまう。余計な注目を引き付けたくはないのでな」
「あ……」
コルチャスキーの言葉にハッとしたようにまた座るミズラフィア。
「すまん。今度リルシェバにその目を普通の青い目にできないか聞いてみる」
「あ、いえ。私は留守番で構いません。それに……私、この赤い目がとても気に入っているんです」
にっこりとほほ笑むミズラフィア。
確かに彼女の赤い目は美しい。
ヴァレフィアの青い瞳とはまた違う魅力がある。
「困ったやつだ。魔人のくせに人形の中が居心地がいいとか、赤い目が気に入ったとか、ろくなことを言わぬ」
カップのお茶の残りを一気に飲み込むヴァレフィア。
「でも、ヴァレフィアお姉さまも、ベッドの中で私の赤い目が素敵だってささやいてくれたじゃないですか」
「ゲホッ! ご、誤解を招くような言い方はやめるのだ!」
思わずお茶をのどにつかえさせてむせているヴァレフィアを、クスッと笑みを浮かべて見ているミズラフィア。
なんだかんだと仲がいい。
「でも本当のことですよ、ヴァレフィアお姉さま」
「むぅ……青い目ではどうも力を使った気がしないのだ。われらは力を使うときには目が黄色や赤く輝くのが普通だからな」
プイと目をそらすヴァレフィア。
まあ、だからこそ、力を抑えるためにもリルシェバはヴァレフィアの目を青くしたのかもしれん。
だとすれば、ミズラフィアの目を赤くしたのはなぜなのか……
それは今度聞いてみる必要があるな……
「ふん……たまにはマージェコフと一緒に外出させてやろうと思ったものを。仕方ない。われが一緒に行ってやろう」
そう言うわりにはどことなくウキウキしているようなヴァレフィア。
おそらく彼女自身一緒に外出したかったに違いない。
他人と会うときにメイドとしてふるまうのが面倒なだけなのだ。
「まあ、そういうことだ。外出の支度をしておけヴァレフィア。それと、早く寝ておけよ」
「ふふん……かしこまりましたわ、旦那様」
鼻を鳴らしながらすっと立ち上がり、嫌味っぽく優雅にカーテシーで一礼するヴァレフィア。
やれやれだ。
******
ガラガラと車輪の音を立てて町の通りを行く、一台の箱型馬車。
車内には深緑色の軍用コートを身にまとった焦げ茶色の髪の青年将校と、黒のメイド服を着た金髪の少女が乗っている。
朝からいい天気ではあるものの、夜に降った雪のせいで街はうっすらと白くなっている。
まだ本格的な冬ではないものの、すべてを閉ざす雪の季節はもうすぐだ。
だが、首都スクロヴァは活気のある街だ。
人口も多い。
通りには人々が行き交い、その人たちの声でざわめいていた。
商店のショーウィンドウには飾り付けがなされ、もうすぐ子供たちが楽しみにしている日もやってくる。
「そうか……もうすぐ聖レドフスキーの日か……」
窓の外を通り過ぎる飾り付けられた街を見ながら、コルチャスキーが思わずつぶやく。
聖レドフスキーの日とは、その昔善い行いをした人に贈り物を授けたという賢者レドフスキー師にあやかり、一年間良い子にしていた子供にご褒美としてプレゼントを贈るという日だ。
最近では子供ばかりではなく、大人同士でもプレゼントのやり取りをしたりもするらしい。
とはいえ聖レドフスキーの日などコルチャスキーは最近は気にもしたことがなかった。
親がいたころには楽しみにもしたのかもしれないが、師匠についてからはそういった行事などとは無縁の生活だったからだ。
「ふん……聖者にかこつけて贈り物をやり取りするとか、人間も下らぬことをするものだ」
ヴァレフィアが隣で同じように窓の外を見てつぶやく。
「まあ……そういうな。楽しみにしている者もいるのだ」
「ふん……」
つまらなさそうに鼻を鳴らすヴァレフィア。
「ヴァレフィアは何が欲しいんだ?」
「なっ?」
驚いてヴァレフィアはコルチャスキーの方を振り向き顔を見る。
「な、何を言っている?」
「聖レドフスキーの日だからな。お前にも何か欲しいものがあったらプレゼントの一つでもとな」
ニヤッと笑うコルチャスキー。
まあ、なんだかんだこいつはメイドとしてよくやってくれているのだ。
プレゼントの一つくらいは贈ってもよかろう。
「わ、われはプレゼントをもらって喜ぶような子供ではないぞ!」
子供扱いされたと感じたのか、ヴァレフィアの声がやや荒くなる。
外見からはまだ少女と言っても通用するのは間違いないのだが。
「アザロフのチョコの詰め合わせなんかどうだ?」
その言葉を聞いた瞬間、ヴァレフィアの目が怒りから喜びへと変化する。
アザロフとはお菓子の高級店の名であり、そこのチョコレートは絶品なのだ。
とはいえ、やはりそれなりに高価なことは間違いなく、コルチャスキーもそう毎度毎度二人に食べさせてやることもできない。
だからこういう機会にでもと思ったのだ。
「今から予約をしておけば、何とか手に入るだろう」
「も……」
「も?」
「も……もらって差し上げてもよろしいですわよ旦那様。旦那様がどうしてもプレゼントをしたいというのであれば仕方ありませんもの」
きらきらと目を輝かせており、さっきとは全く違う表情だ。
やはり美味しいチョコにはかなわないらしい。
やれやれ……素直じゃないやつめ。
あとできちんと予約をしておかねばとコルチャスキーは心に刻む。
そんな会話をよそに、馬車は市場のある大きな広場を通り抜け、高級住宅街へと入っていく。
貴族たちの邸宅が立ち並ぶあたりだ。
雰囲気も先ほどまでの通りとは全く違い、静けさが漂っている。
そんな中、馬の蹄鉄の音と馬車の車輪の音だけが騒がしく響いていた。
「マージェコフ」
「ん? どうした?」
その後しばし黙っていたかと思うといきなり自分の名を呼んできたヴァレフィアに、コルチャスキーは顔を向ける。
「そなたはなぜ軍人などやっているのだ? そなたほどの腕なら、魔術師として充分独り立ちしていけるのではないか?」
そなたはなぜ軍人など……か……
いつしかヴァレフィアはコルチャスキーのことをお前とは呼ばなくなっていた。
ある程度コルチャスキーのことを認めたということなのかもしれない。
「そのことか……そういえば話してなかったな。まあ、簡単な話、俺は魔術師にはなりたくなかったからだ」
ヴァレフィアから顔をそらして窓の外を見やるコルチャスキー。
「なりたくなかった? われをこの躰に封じ込めるような腕の持ち主が?」
窓の外を向いていたので表情は見えなかったが、おそらくヴァレフィアは驚いているのだろう。
「そうさ。俺は魔術師になどなりたくなかった」
「聞いても……いいか?」
「そうだな。伯爵の屋敷まではもう少しかかるだろうから、話してもいいか」
コルチャスキーは馬車のシートの上で座り直す。
「我が家は代々魔術師の家系だそうでな……まあ、その例に漏れず、父も魔術師だったわけだ」
「そなたの父が……」
「ああ……まあ腕はそこそこよかったそうだが、一級の魔術師というわけでもなかった。この職は持っている素質のようなものが大きいからな」
「うむ。そうであろうな……」
ヴァレフィアがいつになく真剣な表情でコルチャスキーの言葉を聞いている。
「父と母は政略結婚でな。いわゆる魔術師の家同士の結婚だったのさ。結婚によって結びつきを強めるというのはよくあることだ。資質の高い子が生まれる可能性も高くなる。とはいえ、母は結構心から父を愛していたとは思うぞ。そうでなければ……」
少し言葉を区切るコルチャスキー。
「そうでなければ?」
先を促すヴァレフィア。
「母は父の補助に全力で当たっていた。母の補助を得て、父はかなり強力な術も使えるようになったという話だ。昔も今も、魔術師の仕事の一つは魔物の排除だ。あのミズラフィアの件と同じだな。で、父にもそういう仕事はそこそこ舞い込んでいたのさ」
「魔物の排除か……」
ヴァレフィアの表情が少し曇る。
自分は人間にとっては排除されるべき存在だというのを思い出したのかもしれない。
「ある日、父は母を連れて魔獣退治に出かけたそうな。よくある話だが、そこで母は命を落とした。父が母を守り切れなかったのさ」
「な……」
ヴァレフィアが言葉を失う。
「父も母を愛していたんだろうな。母を失った父は相当がっくりと来ていたらしい。らしいというのは、俺はその時ちょうど師匠のもとに出されていて、父や母のそばにいなかったからだ」
「師匠?」
「ああ。俺の魔術の師匠でな。ゴンニャロン・ブラムスキーという方だ。数年前にお亡くなりになられたが、魔術師としては一級の方だった」
「ブラムスキー? そなたの師匠はブラムスキーなのか? なるほど、そなたの腕がいい理由が分かったぞ」
聞き覚えのある名に出くわして驚くヴァレフィア。
「師匠の名を知っているのか?」
コルチャスキーもヴァレフィアがその名を知っていたことに驚く。
「ゴンニャロン・ブラムスキーといえば、少し前に魔人たちの間で気を付けるべき人間ということで名を聞いたことがある。そうか……すでに死んでいたのか」
「お前たちとは寿命が違うからな。お前たちにしてみれば数日会わないようにしていればいいぐらいな感覚だろう。その間に相手は寿命で死ぬ」
「確かにな……すまぬ、話の腰を折ったな。続けてほしい」
「ん……ああ……母を失ったことは俺にとってもショックだった。何のための魔術だ。愛する人を、守るべき人を危険な場所に連れて行き、あまつさえ守り切れない魔術師とはいったい何なのだとそう思ったさ。だから俺は魔術師になどなるのはやめようと思った。父の跡を継ぐのはやめようと」
コルチャスキーは背もたれにもたれかかり、両手を頭の後ろで組む。
「修業は楽しかったのでな、やめようとは思わなかった。だが、魔術師にはならないと心に決めたのさ。俺は愛する人を一緒に危険な場所に連れていくのではなく、愛する人のいる場所を守るために戦う者になろうと思った。だから軍人になったのさ」
ふふんとやや自嘲気味に笑うコルチャスキー。
「そんな理由が……」
初めて聞くコルチャスキーの言葉にやや困惑するヴァレフィア。
まさか彼ほどの腕の持ち主が、魔術師になりたくなかったとは思いもしなかったのだ。
「まあ、そう簡単な話でもなかったがな。母の死に俺以上にショックを受けたのはリルシェバだ。あいつは父を母殺しとののしって家を飛び出した。あいつは母と同じ腕のいい依り代作りだったのだがな。まあ、そのおかげで今でも人形職人なんかやっているが」
「われの躰を作ったのは依り代作りの技術だったのか……」
改めて自分の躰を見直すヴァレフィア。
その精巧さはヴァレフィア自身が日々感じている。
魔人を封じ込めた上で自在に動かせるような人形など、聞いたことも無かったものだ。
「で、俺の方はと言えば、最高のタイミングで父に家も跡も継がないと言ってやろうなどと愚かなことを考えてな。修業を終えて代替わりを父が皇帝陛下に願い出るタイミングを見計らって言ってやるつもりだったんだが……その前に父が死んでな。おかげで家も跡も継がないなどと言ったところでどうしようもなく、コルチャスキー家の跡を継ぐことになったのさ。まあ、魔術師ではなく軍人になるという願いは、皇帝陛下やラブノフスキー公、メシャコフ候などのお力でかなえていただいたが……結局参謀本部付の魔術師みたいなことになってしまっている。やれやれだ」
ふうとため息をつくコルチャスキー。
なんというか、思い通りにいかないことの多いことよ。
「そうだったのか……すまぬ。話しづらいことを話させてしまったな」
ヴァレフィアがぺこりと頭を下げる。
「なに、いいさ。お前がすごく真剣な表情で聞いてくれたのでな。その顔を見ているのもおつなものだったぞ」
「な? 何を言って!」
「お前の顔はかわいいからな。見飽きない」
ふふっと笑うコルチャスキー。
「ふ、ふざけるな! われをかわいいなどと!」
そういいつつもやや赤くなるヴァレフィア。
本当にこの躰は精巧にできている。
リルシェバの腕は大したものだ。
「怒るな。そんなことよりそろそろ着くぞ」
「わ、わかっている」
ヴァレフィアはこの湧き上がった感情をどうしようもなく、ただそっぽを向くしかできなかった。
******
ゴリューコフ伯爵の屋敷は大きいものだった。
玄関先では数人のメイドが待ち受けてコートやら帽子やらを奪い取るように受け取り、彼らを応接室へと案内する。
「なかなかに大きなお屋敷ではないか」
応接室のふかふかの椅子に座って足をぶらぶらさせながら、出されたお茶に手を出そうかどうしようかと迷っている様子のヴァレフィア。
だが、コルチャスキーがお茶に手を出さずにいるので、彼女も手を出せないでいるようだ。
「ゴリューコフ伯は伯爵とは言っても、財力ではそこらの侯爵や公爵では話にならんほどのものを持っているからな。皇帝陛下の覚えもめでたいし、あんまり不興は買いたくない相手ではある」
椅子に座って静かに伯爵を待っているコルチャスキー。
「実力者というわけだ……」
思わず居住まいを正してしまうヴァレフィア。
彼女自身は人間になどどう思われようともかまわないが、コルチャスキーが悪く思われるのは避けたいのだ。
「うむ、待たせたな。ホリド宮から来てくれたとか。わざわざ来てもらいご苦労」
やがてこの屋敷の主である老伯爵が姿を現す。
その身分にふさわしい仕立てのいい服を身に着け、年の割には若々しさを感じさせる声の持ち主だが、やはり顔には深く刻まれたしわがあり、高齢であるのは間違いない。
「ハッ、伯爵様にはご機嫌麗しく。参謀本部より参りましたコルチャスキーです。本日は無作法ながら我が家の使用人一人を連れてまいりました事、お許しくださいませ」
すっと立ち上がって一礼するコルチャスキー。
もちろんヴァレフィアも立ち上がって優雅に一礼をする。
「よいよい。コルチャスキーとやら、貴官がホリド宮の魔術師と呼ばれる男か。なるほど、いい面構えをしておる」
にこやかに椅子をすすめ、自分も席に着く老伯爵。
ホリド宮とは陸軍参謀本部の別称で、首都郊外にかつては離宮として建てられたものだったが、のちにそのまま参謀本部として使われることになったためそう呼ばれているのだ。
「すると、あの依頼の件で来てくれたということでよいのだな?」
柔らかそうな椅子に深く座り直してテーブルの上で両手を組む伯爵。
「はい。その件で」
コルチャスキーも席に着いて胸ポケットから皮袋を出す。
そしてその中から、例のペンダントを取り出してみせる。
赤く輝くペンダントヘッドが光を浴びてより一層光り輝く。
「おお、していかがであった? やはり呪われていたかね?」
「いえ、ご安心ください。このペンダントは呪われてなどおりませんでした」
ペンダントをテーブルに置き、袋をポケットにしまいながら、老伯爵を安心させるように穏やかな口調で話すコルチャスキー。
「本当かね? このペンダントの持ち主は次々と不幸に襲われていたというじゃないか。そのようなものを妻に渡して大丈夫かと心配になったのだが、本当に大丈夫かね?」
「はい。このコルチャスキーが保証いたします」
念を押してくる老伯爵に、コルチャスキーがしっかりとうなずく。
「そうか。ホリド宮の魔術師が言うのなら心配あるまい。これで妻の誕生日にこれを渡すことができる。ありがとう」
ホッとした安堵の表情でペンダントを手に取る老伯爵。
それなりにかもしれないが、奥方を愛しているのは間違いあるまい。
「ところで伯爵様、つかぬ事をお聞きしますが、なぜそのペンダントが呪われていると思われたのです? まさか売主がそのようなことを言って売りつけようとしたわけではありますまい?」
老伯爵の財力目当てにペンダントを売ろうとするような相手が、正直に呪われてますなどと言うはずがないのだ。
むしろ幸運を呼ぶだの寿命が延びるだの言って売りつけた方がはるかに買ってくれるだろう。
「もちろんだとも。あの宝石商は奥方に似合うだの健康で長生きができるだの言っておったわ。まあ、そんなことを言う舌など引っこ抜いてやったがな」
呪いの品を売りつけた相手に対する仕打ちをさらっと言ってのける老伯爵。
実際に行ったかどうかはともかく、高級貴族にとって一般の平民などその程度の扱いなのだ。
「それでその宝石商が納品に来た時、たまたま知り合いのグラホフが来ていてな。奴がそのペンダントに見覚えがあったというわけなのだ」
「グラホフ殿とは……失礼ながら参謀次長閣下でありましょうか?」
アンジェイ・グラホフ将軍のことであれば参謀本部次長職にある人物であり、ホリド宮のナンバー2である。
「そうじゃよ。奴はわしの近衛第一騎兵連隊のころの部下でな。よく面倒を見てやったものよ。今回のことも奴が君に依頼したのであろう?」
にこやかに過去のつながりを話す老伯爵。
なるほど。
道理で部外者であるはずのゴリューコフ伯の頼みごとが、自分のところになどくるのかがこれで分かったというもの。
「グラホフは昨年だかに姪っ子夫婦を亡くしておってな。その姪っ子が夫にもらったのがこのペンダントとよく似ていたものだったそうだ。だが、それから姪っ子夫婦は災厄続きになったそうでな……」
「災厄が?」
「うむ。使用人が病気になったり急死したり、夫も病気になったということでな。気になったグラホフが占い師に尋ねたところ、何か呪いの品を持っているのではないかということになってな、姪っ子にそのことを告げると、どうもペンダントをもらってから災厄が起こった気がするとのことだったので、そのペンダントを手放すよう言ったものの、手放す直前だか直後だかに夫婦そろって急死したそうでな……」
老伯爵の表情が曇る。
姪御夫婦を亡くした元部下の心境を思ったのだろう。
おそらく……
封じられていた“女神”とやらが力を吸いまくったか……
「それでわしが宝石商からペンダントを受け取り、そのペンダントを奴に見せたところ、姪っ子の持っていたペンダントに似ている、もしかして呪われた品ではないかということになってな。部下に魔術師がいるのでそいつに調べさせようという話になったのだよ」
そう言って手にしたペンダントをテーブルの上に置く老伯爵。
なるほどそういうことか……
コルチャスキーはいささか苦い思いをしながらうなずく。
やれやれだ。
******
伯爵家の者に馬車を用意してもらい、老伯爵の屋敷を後にするコルチャスキー。
堅苦しい場を抜け出したことでややホッとする。
それはヴァレフィアも同じと見えて、ふうと大きく息を吐いて馬車の椅子に深く座っている。
「それで? どうだった?」
屋敷が見えなくなったあたりでコルチャスキーがヴァレフィアに確認すると、ヴァレフィアは無言で首を振る。
「やはりいないか……」
「存在は感じなかったな。もし、あれであそこにいるとなれば、相当に気配を消すことに優れたやつということになるだろう」
ヴァレフィアの言葉にうなずくコルチャスキー。
彼としてもゴリューコフ伯の屋敷にペンダントから抜け出した“女神”とやらがいるとは思わなかったが、念のためにヴァレフィアにも来てもらったのだ。
「さて……こうなると厄介だな。どこに“女神”とやらが潜んでいるやら……」
「そのようなものは放っておいてもいいのではないか? それよりも……」
「何か気になるのか?」
屋敷を出てからヴァレフィアがずっと難しい表情をしていることにコルチャスキーは気づいていた。
「あの伯爵、なぜ呪われているというペンダントを宝石商に突き返さなかったのだ? 自分や奥方の身が危うくなると思わなかったのか?」
「ああ……その事か」
コルチャスキーには大体の察しはついている。
金持ちというやつは……
「伯爵も、最初は特に何か思惑があったわけではあるまい。奥方に似合いそうなペンダントが、わりと安く手に入りそうだったので飛びついたのだろう」
「わりと安く?」
ヴァレフィアがきょとんとする。
「呪われた品物だからな。宝石商だって早く手放したいだろう。となれば、相場より安い価格で売り出したと想像はつく。まあ、安いとは言っても伯爵にとってはという程度だが」
「ああ、なるほど……」
腕組みをしてうんうんとうなずくヴァレフィア。
なんだか少女が背伸びをして大人ぶっているようでかわいらしい。
「で、こんないいものを安く手に入れたぞと参謀次長閣下に見せびらかしたところ、呪われているのではないかと言われた。本来ならそこで突き返すところなんだろうが、伯爵は違った。もっと値切れると踏んだのさ。もしかしたらタダにできるとでも考えたのかもしれん」
「タダに?」
「伯爵にとっては呪われていようがいまいが基本的にはどうでもいいのさ。呪われた品を売りつけられそうになったと宝石商に文句を言って、少しでも値引かせようとしたのだろう。実際宝石商はかなり値切られたのではないかな」
「だが呪いではないか。少々傷物だとかいうレベルではないのではないか? すでに抜け出した後だったからよかったものの、そうでなければその“女神”とやらに命を吸い取られていたのだぞ。それとも伯爵はすでに抜け出した後だと知っていたのか?」
理解できないといった表情のヴァレフィア。
「いいや、知っていたら俺が関わることもなかったさ。伯爵は呪いはどうとでもなるとわかっていたんだよ」
コルチャスキーは苦笑する。
「どうとでもなる?」
「ああ。その場に参謀次長閣下がいたのではなく、誰か別の人間が呪いのことを持ち出していたのなら突き返していたのかもしれんが、どうも俺は伯爵はある程度ペンダントが呪われていることを知っていたのではないかと疑っている。だからこそ参謀次長閣下を呼んで見せびらかし確認させたのだ。姪御さんが呪いにかかわっていたし、何よりホリド宮の人間だからな」
全く食えない伯爵だ……とコルチャスキーは思う。
「ホリド宮の?」
「そうさ。ホリド宮に元部下が、しかもホリド宮のナンバー2がその元部下なら使わない手はない。ホリド宮には誰がいる?」
そこまで言われてヴァレフィアはハッとする。
「ホリド宮の魔術師……そなただ」
「そうさ。伯爵はまんまと参謀次長閣下を通して俺に呪いの解除を託すことができた。しかもタダでだ。参謀次長閣下からの頼み事だ。俺の上司のロバーチキン大佐だって無碍にはできない。結果として俺は大佐から命じられ、呪いの解除を引き受けざるを得ない。しかも軍内部の命令系統に乗ってくる仕事だ。別料金は取ることができない。給料分の仕事ということだ。つまり、伯爵は一デリムとも使わなくて済む」
「なんと……」
唖然として開いた口が塞がらないヴァレフィア。
伯爵ともあろう高級貴族が値切るだの支払わないで済むだのケチにもほどがあるではないか。
「今だってそうだ。馬車こそ都合付けてくれたものの、俺たちにはお茶の一杯とありがとうの言葉だけ。たんまりともらえる手間賃とやらはどこへ行った?」
最後はやや意地悪くヴァレフィアに言うコルチャスキー。
「むぅ……それはすまない……」
うつむくヴァレフィア。
「いや、今のはこっちが悪かった。最初から伯爵から金をもらえるなどとは思ってなかったからそんなのはどうでもいいのさ。それよりも……まだ付いてきているか?」
そういってコルチャスキーは馬車の後ろを振り返る。
「カラスのことか? 気付いていたのか」
ヴァレフィアも後ろの窓から外を見る。
そこから見える空に一羽のカラスが飛んでいた。
「ふん……二週間ぐらい前から来るようになった奴だな」
「ああ、俺も気がついてはいたがな。こうもあからさまにあとを付いてくるとは、今回の件に関係があるのかもしれんな」
後ろを見るのをやめ、再び座席に深く座るコルチャスキー。
「そなたの屋敷の周りにはすでに使い魔が十体はいるからな。いちいち気にはしていられないのはわかるが、放っておいてもいいのか?」
「どうだかな……ホリド宮の魔術師とやらはずいぶんと動向を気にされているらしい。俺なんぞの動向を気にしても仕方ないとは思うのだがね」
コルチャスキーはやれやれとばかりに肩をすくめる。
「ま、今のところ我が国にケンカを売ってくるようなところもないようだし、戦端を開く前に先手を打って俺を殺しに来るようなこともなかろう。もっとも、そんな奴がいてもお前が黙ってはいないだろう?」
「ふん、われやミズラフィアをあてにしているようだが、われがそなたを守るとでも思っているのか? そなたはわれをこの人形の躰に閉じ込めた術師だぞ! そのようなやつをわれが守るはずはなかろう!」
キッとコルチャスキーをにらみつけてくるヴァレフィア。
だが、その目には鋭さが欠けていた。
「いいや……お前は俺を守るさ」
ふふんと笑みを浮かべるコルチャスキー。
だいたい夕べはそなたには手を出させんなどと言っていたではないか。
「はあ? どうしてそういう結論が出るのだ?」
ヴァレフィアがあきれたような表情をする。
「まず第一にお前はとてもかわいい。そしてそのかわいい姿をお前は自分自身で気に入っている。第二にお前は今のところはその躰から抜け出したいとは思っていない。思っていないだけではなく、その躰でこれからもチョコレートを食べていたいのさ。だったら俺のもとで過ごすのが一番無難だ。ほかの奴のもとにその姿で行けば、何をさせられるかわからんからな」
「うぐっ……ま、またしてもわれをかわいいなどと……われはかわいくなど……」
なんとなく頬が赤くなるヴァレフィア。
本当にリルシェバの作った人形は出来がいい。
だからこそヴァレフィアがその躰をこうして魔力で人間のように見せて使いこなすこともできるのだ。
「だから、俺は充分にお前を信頼し、お前を頼っているのさ。頼むぞ、ヴァレフィア」
「ふん……われを頼りになどしますと、肝心な時に足をすくわれるかもしれませんわよ、旦那様」
そういってヴァレフィアはプイとそっぽを向いてしまう。
かわいいと言われてうれしいのだ。
「さて……このまま屋敷へ戻るかどうするか……と言っても抜け出した奴の手掛かりと呼べるものはなく、あのカラスをつついても得るものはあるまいしな」
「そうだな。所詮あの使い魔は目を提供しているにすぎん。使い手はどこかであのカラスの目を使ってわれらを監視しているのみ。カラスを捕まえてもつながりを切られて終わる」
「そういうことだ。それにそもそもあのカラスの使い手が今回の抜け出した奴と関係があるかどうかも定かではないしな……おっと!」
突然急停止した馬車に、思わず椅子からつんのめりそうになるコルチャスキー。
「わあっ」
ヴァレフィアも躰が浮いて放り出されそうになるが、とっさにコルチャスキーの左手が彼女の躰を受け止める。
「大丈夫か?」
「す、すまぬ。助かった」
コルチャスキーの腕にしがみつくようにして躰を支えるヴァレフィア。
意外なほどに軽いのは、やはり人形だからなのかもしれない。
「なに、お前が無事ならそれでいい。ところでいったい何が?」
コルチャスキーが馬車の窓を開けて外を見る。
「どうしたんだ?」
「すみませんです、旦那。この娘が突然道に倒れてきたんでさぁ」
御者台の上から御者がコルチャスキーに返事をする。
「娘?」
見ると馬車の前、うっすらと雪が積もった道に一人のメイド服姿の若い女性が倒れていた。
「なんだ? メイド?」
思わずコルチャスキーは馬車を降りてその女性のそばに行く。
「おい、君! しっかりしたまえ」
倒れていた女性を抱え起こすコルチャスキー。
だが、女性はぐったりとして意識がもうろうとしているようだった。
「これはいかん。この近くに医者はいるか?」
「ここからですとペトレンコ先生が近いです。が……あの先生は貴族しか診てくれませんぜ」
渋い顔をする御者。
「構わん。こういう時のための家名だ。その医者の所まで頼む。ヴァレフィア、手を!」
「はい、旦那様」
すぐにヴァレフィアもコルチャスキーに手を貸し、メイド姿の若い女性を馬車の中へと連れ込んでいく。
「よし、その医者の所まで頼む」
「へ、へい」
コルチャスキーが馬車に戻ると、馬車はすぐに動き出した。
(続く)
- 2023/01/02(月) 19:00:00|
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