FC2ブログ

舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その8

徳川秀忠の率いる徳川家の主力軍勢約三万八千が宇都宮を出立したのを確認したうえで、家康自身が江戸を出立したのは慶長5年(1600年)9月1日でした。

一方石田三成は、大垣にて西軍諸将に参集を命令。
それに応えた西軍諸将が次々と大垣城に集まってくることになります。

9月2日には北陸方面で前田家を翻弄していた大谷吉継が関ヶ原西南の山中村に到着。
三成にとっては心強い友人の到着となります。
翌9月3日には伊勢方面を席巻していた宇喜多秀家が大垣に入城。
約一万七千もの軍勢を率いる宇喜多秀家の入城は、三成にとっては非常に頼もしかったことでしょう。

そのころ東軍徳川秀忠隊は、9月2日に信州小諸(長野県小諸市)に到着。
ここ小諸には、徳川家にとっては忘れられない人物がおりました。
その名を真田昌幸(さなだ まさゆき)といいます。

真田昌幸はもともと甲斐武田家武田信玄(たけだ しんげん)の家臣であった真田幸隆(さなだ ゆきたか)の息子です。
他家の養子となっておりましたが、織田信長(おだ のぶなが)との長篠の戦いにおいて上の兄が次々と戦死。
そのため養子先から真田家へと戻り、真田家の跡取りとなった人物でした。

武田家滅亡の後は北条家や徳川家の間をうまく立ち回り、秀吉に表裏比興(ひょうりひきょう:油断ならない風見鶏)の者とまで言わしめたもので、真田家の存亡のためには手段を選ばずに行動することのできる人物でした。

その真田昌幸に徳川家康はかつて一度煮え湯を飲まされたことがありました。

北条家と徳川家の取り決めにより、真田家の所領沼田(群馬県沼田市)は北条家のものとして引き渡されることになったのですが、武田家の後徳川家に従ったとはいえ、沼田は真田家が独力で手に入れた領地であり、昌幸にとっては取り上げられることに納得できるものではありませんでした。

そのため昌幸は上杉景勝を通じて、時の実力者豊臣秀吉に所領安堵をしてもらおうと図ります。
徳川家康はそんな真田の態度に業を煮やし、軍事力で一気に真田を攻め落とすべく兵を進めました。
第一次上田合戦です。

真田家の本領は上田城を中心とした一帯でした。
今で言う長野県上田市周辺です。
この上田城に徳川家は約八千の兵力を送り込みました。
守る真田家は約二千。
四倍の兵力差では上田城は陥落必至と見られました。
時に天正13年(1585年)閏8月2日のことでした。

しかし、徳川家の鳥居元忠(後に伏見城で討ち死にする)や大久保忠世(おおくぼ ただよ)などの名だたる武将が攻めても攻めても上田城は落ちませんでした。
かえって真田軍の神出鬼没な動きに翻弄されたり罠にはまったりなどで約三千もの兵力を失ってしまいます。
ついに徳川軍は兵を引き上げざるを得ませんでした。
たかが二千の真田が天下に名高い徳川軍を追い返したのです。
真田昌幸の名は一挙に世間に広まりました。

最終的には秀吉の仲介により、徳川も北条も沼田には手が出せなくなりました。
昌幸は沼田を守りきったのです。

その真田昌幸の居城上田城が、小諸から目と鼻の距離のところにありました。
関ヶ原に向かう徳川秀忠の軍勢は約三万八千の大部隊です。
秀忠としては、第一次上田合戦の屈辱を晴らすいい機会でしたが、戦うことになれば損害も出るでしょうし時間もとられます。
そこで彼は穏便に真田昌幸に城を明け渡すように使者を差し向けました。
その使者に選ばれたのは、本多忠政(ほんだ ただまさ)と真田昌幸の息子真田信之(さなだ のぶゆき:信幸とも表記されることあり)でした。

第一次上田合戦の後、真田家は再び徳川家に付き従うこととなりました。
そのため、真田家の強さを思い知らされた家康は、重臣の本多忠勝(ほんだ ただかつ)の娘小松姫を真田昌幸の長子信之に嫁がせて繋ぎ止めを図りました。
一方真田昌幸は上杉景勝に預けていた次男真田信繁(さなだ のぶしげ:世間的には幸村と呼ばれることが多い)を呼び戻し、改めて豊臣秀吉に人質として差し出しており、徳川家家臣というよりは独立した豊臣系大名として振舞っていたようです。

慶長5年(1600年)7月21日。
石田三成の指示により、長束正家、増田長盛、前田玄以の三名連署による西軍参加を促す書状が昌幸の元に届きます。
昌幸は早速二人の息子信之と信繁を呼び、三人で今後のことを相談しました。
このとき、どのような話になったのかは伝わっておりませんが、最終的に決まったのは、父昌幸と次男信繁が豊臣家の恩顧に報いるために西軍に、妻小松殿を通じて徳川家に縁を持つ長男信之は東軍に参加し、どちらに転んでも真田家が存続する道を取るというものでした。

東軍に付くことを決めた真田信之は、今回の上杉攻めにも参加。
徳川秀忠軍の一角を占めていたのです。
この信之と妻小松殿の父本多忠勝の長子忠政が使者として上田の城に出向くことになったのです。
親子の対面でした。

その9へ
  1. 2007/12/10(月) 20:08:57|
  2. 豊家滅亡
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<ちょっと予告 | ホーム | 目を離すなよー>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://masatomaikata.blog55.fc2.com/tb.php/628-e69d3c6b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カレンダー

02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

AquariumClock 2

プロフィール

舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

ブログバナー


バナー画像です。 リンク用にご使用くださってもOKです。

カテゴリー

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

管理人にメールなどを送りたい方はこちらからどうぞ

ブログ内検索

RSSフィード

ランキング

ランキングです。 来たついでに押してみてくださいねー。

フリーエリア

SEO対策: SEO対策:洗脳 SEO対策:改造 SEO対策:歴史 SEO対策:軍事

フリーエリア