パッとこの名前だけを見て、まず戦車の名前であると理解した人。
さらにどこの国の戦車で、どんな形をしているかまで脳裏に浮かんだ人は、かなりマニアックな英国戦車ファンではないでしょうか。
まさにこの三車種の戦車は、第二次大戦末期の英国軍におけるダンゴ三兄弟(古い)ならぬマイナー三兄弟と言えるのではないでしょうか。
第二次世界大戦当初において、英軍はのちに机上の空論となってしまう歩兵支援のための歩兵戦車と機動打撃戦力としての巡航戦車という二種類の戦車を軸とした機甲部隊編成を取りました。
歩兵戦車は確かに重武装重装甲でしたが、機動力に欠ける上、何より歩兵支援用の戦車でありながら榴弾(炸裂弾)を持たないため、満足な歩兵支援すらできないものでしたし、巡航戦車は確かに機動力はありましたが、信頼性の低いエンジンに悩まされた上、装甲の薄さは独軍対戦車砲のいい的にされてしまう有様でした。
そこで英軍は、新たに重武装重装甲でありながら機動性もあると言う重巡航戦車の開発にかかります。
この試作車は、1941年に開発が開始され、1942年1月には試験も終了。
「キャバリエ」と名付けられ正式採用されました。
しかし、このキャバリエは積んでいたエンジンが以前の巡航戦車と同じリバティーエンジンだったため、信頼性と出力の面で問題がありました。
結局採用はされたものの、訓練用戦車としてしか使い道が無く、一部のキャバリエは砲兵部隊の観測用車両として使われたりしたに過ぎません。
英軍は強力なエンジンを求め、航空機用のロールス・ロイスマーリンエンジンに目をつけます。
マーリンエンジンはスピットファイアやのちに米軍のムスタングなどのエンジンとして使われた優秀なエンジンであり、このマーリンエンジンを戦車用に転用しようと言うアイディアがでたのです。
このアイディアは実行に移され、マーリンエンジンの戦車搭載型“ミーティア”エンジンが完成しました。
ミーティアエンジンはさすがに優秀で、このエンジンを車両本体としては問題の無いキャバリエに搭載することで、英軍は一気に優秀な重巡航戦車が手に入るはずでした。
ミーティアエンジンを搭載したキャバリエは「クロムウェル」と名付けられることが決定し、まさに量産寸前となったとき、英国は航空機の増産に追いまくられて、マーリンエンジンの製造だけで手一杯と言う状況になってしまいます。
結局小規模の改装をしたキャバリエにまたリバティーエンジンを搭載することになってしまい、A27L「セントー」が造られることになりました。
(A27LのLはリバティーエンジンのL)
前線ではとにかく一両でもどんな戦車でもいいから欲しかったのです。
造るしかありませんでした。
セントーは1942年末から部隊に配備され始める予定でしたが、やはりリバティーエンジンの出力不足はいかんともしがたく、結局量産車の大半がまたもや訓練用に回されました。
1943年に入ると、戦局の転換により多少余裕が出てきたことで、ミーティアエンジンの量産も軌道に乗り始めます。
ここにいたり、ようやくミーティアエンジンを搭載した重巡航戦車A27M「クロムウェル」の量産が始まりました。
(A27MのMはミーティアエンジンのM)
クロムウェルは最大装甲厚76ミリ、重量約28トンの車体に6ポンド砲(口径57ミリ)を搭載し(以上はクロムウェル1型)最大速度は良路上で時速約60キロと高速の巡航戦車として完成します。
まさに英国の期待の星でした。
しかし、英国の工業力その他の要因により、部隊配備は1944年までずれ込みます。
クロムウェルが英国機甲師団の中核になろうとしたときには、すでにそこにはレンドリースによって英国に引き渡されたアメリカ製のM4が鎮座しておりました。
結局クロムウェルは、英国機甲師団の中核ではなく、その快速を生かせる偵察捜索連隊に配備されることになります。
セントーも量産されたうちのかなりの数がミーティアエンジンに換装され、新たにクロムウェルとして配備されました。
出来上がったときには遅すぎたクロムウェルでしたが、悲劇はそれだけにとどまりません。
ミハイル・ヴィットマンを一躍勇名にしたヴィレル・ボカージュの戦い(ノルマンディー地方での戦いの一局面)でティーガー一両になすすべもなくクロムウェル十両前後が撃破されるという引き立て役にもなってしまいます。
それでも、主砲を換装したり、装甲を増加したりして、英国軍の一翼をクロムウェルは担ったのでした。
チャレンジャーに関してはまた明日。
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それではまた。
- 2007/10/30(火) 19:56:11|
- 趣味
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| コメント:4
>>芹沢軍鶏様
勉強になりますなんて言っていただけて光栄です。
これからも楽しんでいただけるような記事を書いて行きたいですね。
- 2007/10/31(水) 20:16:52 |
- URL |
- 舞方雅人 #-
- [ 編集]
遅コメ失礼します!
はい!名前だけで英国戦車とわかる初心者ミリヲタです(笑)。
「クロムウェル」・・・厳格な改革者(というより弾圧者)の名前を冠してる割に一番の印象は
「カクカクした砲塔がいまいちかっこ悪い」
って感じるんですよね(笑)。
でまた開発に関わる経緯が、書かれてらっしゃるとおりのぐだぐだっぷりでまるで
「戦力ならぬこの場合は搭載機器の逐次投入」
みたいですよね(笑)。工業力や戦局の問題もあったでしょうけど、総じて大戦期の英国兵器ってこの手の傾向が多い気がします。
「最初から完全なら名機だったろうに・・・惜しい!」
みたいな(笑)。
しっかしほんとクロムーはやられ役なんですよね・・・、記述なさってるヴィレル・ボカージュしかり。
ティーガー筆頭とする独軍戦車に脚光が集まる分、戦記や写真では
「破壊されたクロムウェルの横を通る4号」
「○○台目の撃破となるクロムウェルの横で撮影に望む独軍戦車長」
とかばっかなんですよね(涙)。
しかもあんだけやられたヴィットマンを最後しとめたのはファイアフライだったといわれてますし・・・。
「とんびならぬ‘トンボ’に油揚げさらわれる」
とはこのことか・・・お後がよろしいようで・・・失礼!
- 2007/10/31(水) 21:52:31 |
- URL |
- 空風鈴ハイパー #-
- [ 編集]
>>空風鈴ハイパー様
おっしゃるとおり当時の英国の兵器開発は全て後手後手にまわってしまっていますよね。
出来上がったときには役立たずになってしまっていることが多いというのが情けない。
やはりお役所的な面がたぶんにあったのかもしれないですね。
- 2007/11/01(木) 21:31:54 |
- URL |
- 舞方雅人 #-
- [ 編集]