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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

ノモンハン23(最終回)

長いこと連載してきましたこのノモンハンの記事も、今日で最終回です。
いろいろと至らぬことでご迷惑もお掛けしましたが、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。


戦闘は終了しました。
ノモンハンの戦場は早くも初冬の趣きを見せ始め、寒さがつのって来ておりました。

戦場掃除の名目で逆襲を行なおうとした関東軍でしたが、それは受け入れてもらえませんでした。
関東軍司令官や参謀連中が泣いても喚いても頑として突っぱねられました。

戦闘停止となった9月6日以降、日本軍はノモンハン事件の後始末が始まります。

9月7日。
参謀本部の中島参謀次長、橋本作戦部長がともに予備役編入。
実質的クビの扱いです。
稲田作戦課長が習志野学校付きとして転出。

関東軍からは、植田司令官、磯谷参謀長が予備役編入。
矢野参謀副長が参謀本部付き、寺田高級参謀が千葉戦車学校付きとしてそれぞれ転出、閑職へ回されました。

辻参謀については、予備役編入させるべきであるという声も出ましたが、結局現役として残され第11軍司令部付きに回されます。
服部作戦班長も千葉歩兵学校付きとして転出するにとどまりました。

日本陸軍にとっては作戦の失敗は総司令官に帰するものであり、担当幕僚に多少の越権行為があっても、それは咎められるものではなかったのです。

しかし、現場の中堅指揮官たちには厳しい現実が突きつけられました。

ソ蒙軍の激しい攻撃により、包囲され孤立して麾下の兵士たちを次々と失って、最後には戦死した連隊長は五人。
戦死ではなく自決をしたのが歩兵第64連隊長山県大佐他四人。

そして・・・
自決を強要された人々もおりました。

フイ高地に布陣していた師団捜索隊の井置中佐は、何の支援もなく戦い続け、8月24日にはついに兵員も武器弾薬もなくなったためやむを得ず後退しましたが、これが無断撤退、命令違反として9月16日に自決させられます。

ノロ高地より撤退した第8国境守備隊長長谷部大佐も、同じく無断撤退、命令違反を問われて9月20日に自決。

歩兵第72連隊長酒井大佐は、負傷して戦場を離脱したにもかかわらず、連隊壊滅の責を問われて病院で自決。

そして、師団参謀長となった岡本大佐は、翌昭和15年5月、負傷療養中の入院先の病院において、精神錯乱で入院中のある将校に惨殺されるという目に遭ってます。
おそらくは軍の思惑が働いたのだろうといわれます。

第23師団長小松原中将は11月まで待ったのち関東軍司令部付きに回され、のち予備役編入。
翌年10月にガンで死去。

第6軍司令官荻洲中将も同じく予備役編入。
彼は自分には責任無しとして憤慨したようでしたが、翌15年1月に予備役にまわされました。

昭和14年(1939年)9月16日停戦発効。
翌9月17日、ヨーロッパではソ連軍が独ソ不可侵条約の密約によってポーランドへ侵攻。
まさにこの停戦を待ちかねていたような行動でした。
ドイツ軍によってさんざん打ちのめされたポーランドは、これによってとどめを刺されました。
ポーランドは第二次世界大戦終結まで地図上から姿を消すことになります。

9月18日から21日まで行なわれた戦場での交渉で、双方とも敵陣内に入り込んでの遺体回収などが行なわれることになりました。
作業に当たった兵士たちは、みな一様にこう思ったということです。
ああ・・・みんな・・・死んでしまったなぁ・・・

7月及び8月の第二次ノモンハン事件において、第6軍の資料は以下のようにその損害を記録しています。

出動人員:58925人。
戦死:7720人。
戦傷:8664人。
戦病:2363人。
生死不明:1021人。
合計の損害は19768人。
約33%の損害でした。
ほぼ部隊としての戦闘能力を失ったといっていいでしょう。

戦いの最初から最後まで関わった第23師団だけで言えば、出動人員15975人中、戦死傷他12230人。
実に76%の損害です。
全滅をはるかに超えた損害だったといえるでしょう。

一方ソ蒙軍側の損害も24492人に達し、甚大な損害を受けたことが明らかになっています。
ジューコフは、その回想の中で以下のように日本軍を評しました。
「日本軍の下士官や兵は実に頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的とも言えるほどの頑強さで戦うが、高級将校は無能である」

日本陸軍は「ノモンハン事件研究委員会」を設置して、ノモンハン事件の研究を行ないました。
しかし、この研究はこの事件が一局所における異常局面とみなされた研究のために、ほとんど意味を成さないものでした。
日本陸軍は何も学ばなかったのです。

辻参謀や服部参謀などは2年もせずに中央に復帰、太平洋戦争の中心的指導層の一翼を担います。
日本は太平洋戦争へと向かうのでした。

ノモンハン 終


参考文献
「ノモンハンの夏」 半藤一利 文春文庫
「満州帝国の誕生」 山川暁 学研M文庫
「関東軍」 島田俊彦 中公新書
「歴史群像1994年2月号 ノモンハン1939」 学研
「満州帝国」 学研歴史群像シリーズ84
「ポーランド電撃戦」 学研第二次大戦欧州戦史シリーズ1

参考サイト
Wikipedia ノモンハン事件 他

この場をお借りして参考とさせていただきました全ての資料の関係者の方々に感謝を捧げます。
誠にありがとうございました。


現在「海」祭り開催中です。
会場はリンク先から行けますので、どうぞ足を運んで下さいませ。

現在一般の方々のご参加も受付中です。
ぜひぜひ皆様の作品をお寄せ下さい。
お待ちしております。

それではまた。
  1. 2007/10/26(金) 19:44:20|
  2. ノモンハン事件
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
<<マレーを虎が駆け抜けた? | ホーム | ドンパチドンパチ>>

コメント

お疲れ様でした。
ノモンハン事件?日本がメチャメチャに負けたんでしょ?というイメージゆえに、これまで意識して避けてきた分野だったのですが、こうして歴史を知ってみると、うまく言えないのですが新たな興味が沸いてきました。新しい世界へ導いてくださって、ありがとうございました。
  1. 2007/10/27(土) 20:14:44 |
  2. URL |
  3. うおP #-
  4. [ 編集]

>>うおP様
そう言っていただけますと書いた甲斐もあるというものです。
私自身もあらためてノモンハン事件の奥深さを知ることができました。
また何か別の題材で書いて行きたいと思います。
  1. 2007/10/28(日) 21:06:30 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

とても良くまとまっていて一気に読めました。
戦争を善と悪で語るのではなく教訓として読む。
客観的事実だけでも十分興味を持てるものですね。
国は違えどスターリングラード戦なども結構キテます。
結局は前線では全力をつくしてるんですよね。

  1. 2007/11/05(月) 20:03:26 |
  2. URL |
  3. ショッカー婦人部 #-
  4. [ 編集]

>>ショッカー婦人部様
ありがとうございます。
そう言ってくださると書いた甲斐がございました。
すごく嬉しいです。
前線の日本軍は本当に勇敢で優秀な方々ばかりだったんですよね。
  1. 2007/11/05(月) 20:19:03 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
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