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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

ノモンハン12

スターリンはこれで終わったなどとは考えていませんでした。
ヨーロッパ情勢の変化に備えるためにも、極東での日本の蠢動を完全に封じ込めたいと考えていたのです。
ノモンハンの国境紛争はいいチャンスでした。

スターリンは日本にいるゾルゲなどのスパイ網に、関東軍との衝突は日本との全面戦争になるや否やを問い合わせました。
その答えは否。
ノモンハンで関東軍と武力衝突に至っても、日本との全面戦争にはならないであろうというものでした。

満足したスターリンは、現地関東軍に対しできる限りの兵力でこれを撃滅することを命じます。
そしてその実行者に、後の独ソ戦で有名になるゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフを任命しました。
ジューコフは直ちにハルハ河西方の都市タムスクに出発。
到着と同時に現地の第57特別狙撃兵団長を解任し、後任に納まりました。

ジューコフは現地の状況をスターリンに報告し、大規模な兵力の増強を要請します。
スターリンもその要請を受け入れ、要請以上の兵力を送ることを約束しました。
すなわち、機械化狙撃兵師団一、戦車旅団二、装甲車旅団一、狙撃兵師団二、砲兵連隊三、飛行旅団二という膨大な兵力がジューコフの手元に送られることになったのです。
ジューコフはハルハ河東岸に橋頭堡を築くべく、陣地を構築し兵力を展開させていきました。

日本軍内部、関東軍と参謀本部においては、ノモンハンの国境紛争は終結したと信じて疑いませんでした。
東捜索隊の壊滅、山県支隊の大打撃など関東軍にとっても出血の多かった戦いでしたが、ソ蒙軍も負けず劣らずの損害を出したはず。
事実こちらが増援を出せば引き上げたではないか。
ということは、ソ蒙軍もこれ以上の損害には耐えられないというまでのダメージを受けていたという証明であろう。
関東軍司令部はそう考え、参謀本部にもそのように報告していました。
つまり、「ノモンハンの国境紛争は終結した」という報告でした。

ノモンハン近傍は、関東軍にとっても拠点であるハイラルから約二百キロの距離にありますが、ソ連軍にとってはシベリア鉄道の駅があるボルジャ、またはヴィルカから七百五十キロも離れておりました。
燃料、弾薬、糧秣、軍事行動に必要な物資は膨大な量になります。
そういった物資を運ぶには鉄道が一番であり、鉄道以外では微々たる量しか運べません。
関東軍を始めとする日本軍もトラックはありましたが、あくまで物資輸送では補助的なものでした。
ですから、兵力を展開するには、そばに鉄道があるということが不可欠と考えられていたのです。

ですから、最寄の駅から七百五十キロも離れた場所に兵力を展開するとしても、運べる物資が限られるトラックや馬車では大兵力の展開は望めません。
関東軍は自分たちのトラック保有量などから考えて、ソ連軍もノモンハンに大兵力を展開できるなどとは夢にも思わなかったのです。

大兵力を展開できないソ蒙軍相手であれば、関東軍第23師団の兵力をもってすれば対処可能であろう。
無論、その場合には関東軍直轄の砲兵力や航空兵力をプラスしてやることも必要であろうが、それで充分であると考えたのです。
そのため、関東軍側にはソ連軍の兵力増強がまったく見えていませんでした。

昭和14年(1939年)6月19日。
第23師団長小松原中将よりの緊急電報が関東軍司令部に舞い込みます。
6月17日より連日ソ連軍航空機が国境を越えて爆撃に及び、カンジュル廟やアルシャンの集積物資を破壊されたというのです。
しかも、ソ蒙軍は再びハルハ河を渡り、東岸に陣地を築きつつあるとのことでした。
小松原中将はこのソ蒙軍の越境攻撃に対し、今度こそ断固膺懲したいと強く進言します。

関東軍司令部は激昂しました。
またしても懲りずに来たのかという思いとともに、今度こそ撃滅して関東軍の恐ろしさを思い知らせてやろうと意気込みます。
中国戦線での支那派遣軍の苦戦から自重したほうがよいとの意見もありましたが、このまま黙っていてはソ連軍に舐められるばかりだ、一撃を食らわせて黙らせるほうがよいとの意見が多数を占め、関東軍はソ連軍との戦いを決意します。

関東軍はこのために最精鋭の第7師団の投入を考えました。
第7師団は北海道旭川で編成された師団で、古くは日露戦争の旅順攻略戦に参加した伝統ある師団です。
当然装備も優良で兵の士気も高く、関東軍の中でも最強の師団と目されていました。
この第7師団を中核にして、関東軍直轄の砲兵と航空機がこれを支援。
ハルハ河を逆渡河して西岸に侵入、その間に第23師団が東岸のソ蒙軍を一蹴するというものでした。

さすがにこの作戦案を提示された関東軍上層部は、参謀本部の承認をとった上での作戦実行をと考えましたが、辻少佐や服部中佐などの参謀たちが参謀本部への不信により、関東軍独自での行動を主張。
越境ソ蒙軍撃滅は関東軍の本来の任務であるし、参謀本部などにいちいちお伺いを立てていては機を失する。
ことは重大事であるゆえに一刻も早い処置こそ必要として、参謀本部を無視するよう訴えました。

現地の一軍でしかない関東軍が、参謀本部を無視して独自行動を行なう。
これはあってはならないことであり、日本陸軍の最悪な組織運用の見本でしょう。

結局関東軍参謀長磯谷廉介(いそがい れんすけ)中将も辻少佐や服部中佐の勢いに飲まれ、作戦案を了承。
関東軍司令官の植田大将の裁可を仰ぐこととなります。
植田大将は、一つだけ修整を加えるように言いました。
「この作戦では主力が第7師団となっているようだが、ノモンハン周辺は小松原の第23師団が担任だ。それを第7師団に任せられたのでは俺が小松原なら腹を切るよ」
腹を切るのはそのことに対してではなく、関東軍が参謀本部の統帥を離れようとしていることに対してではないのでしょうか。

結局この一言により、作戦の主力は第23師団ということになりました。
第7師団からは歩兵四個大隊その他を分派して第23師団への応援という形で派遣することになりました。
関東軍は歩兵十三個大隊、火砲百十二門、戦車七十両、航空機百八十機、自動車四百両、総兵力約一万五千という兵力を向かわせることになったのです。
関東軍は自信満々でした。

そして、その自信満々の関東軍がまずやったことがタムスク爆撃でした。

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  1. 2007/08/29(水) 20:12:32|
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