1941年3月31日。
英国キャメル・レアード社のドックで一隻の巨大戦艦が竣工いたしました。
その名を「プリンス・オブ・ウェールズ」
英国の誇る新鋭戦艦「キング・ジョージⅤ」級の一隻として、英王室の王子の称号をいただいた強力な戦艦でした。
基準排水量は38000トン。
全長は227.1メートル。
最大幅は34.2メートル。
この巨体に、主砲として35.6センチ砲を4連装砲塔として前後に1基ずつ、さらに2連装砲塔が前部に1基の合計10門搭載。
副武装として13.3センチ連装両用砲が8基、2ポンド8連装ポンポン砲が4基など、武装も充実しております。
英国海軍はまさに不沈戦艦として諸外国にアピールいたしました。
完成したプリンス・オブ・ウェールズは、まさに第二次世界大戦の荒波に直面することになります。
すでにヨーロッパでの戦いは3年目となっており、慣熟訓練もそこそこに出動を命じられたプリンス・オブ・ウェールズは、まだ艦内の未完成部分を担当する作業員を乗せたまま、ドイツの誇る戦艦「ビスマルク」の追撃戦に参加します。
軍艦美の極致と言われ、英国民に親しまれた巡洋戦艦「フッド」とともにビスマルクを追ったプリンス・オブ・ウェールズは、1941年5月24日午前5時、ビスマルクを視認します。
重巡「プリンツ・オイゲン」を連れているとは言え、ドイツ側は戦艦はビスマルク一隻。
一方英国側にはフッドとプリンス・オブ・ウェールズの二隻。
戦力としては英国側に分がありました。
しかし、追撃中の英国側は艦首をビスマルクに向けているために、艦後部の主砲が使えません。
その上、プリンツ・オイゲンとビスマルクがよく似ていた(意図的にそう造ったと言われます)ために、フッドとプリンス・オブ・ウェールズは別々の目標を攻撃してしまいます。
フッドはやがてビスマルクの第5斉射が船体に命中。
弾火薬庫で爆発したために、一瞬にして船体が真っ二つに折れて轟沈します。
プリンス・オブ・ウェールズにもビスマルクとプリンツ・オイゲンの砲弾が命中した上、主砲が故障してしまい、やむなく離脱。
いいところなく終わってしまいました。
ビスマルクはやがて復讐に燃えた英国海軍の執念により仕留められますが、プリンス・オブ・ウェールズには出番はありませんでした。
プリンス・オブ・ウェールズは、その後ルーズベルト大統領との会談に向かうチャーチル首相を乗せたり、マルタ島への輸送船団の護衛に付いたりしてそれなりに活躍します。
そして、太平洋の戦雲が怪しくなってきた1941年11月2日、サー・トム・スペンサー・フィリップス中将を司令官とする東洋艦隊の中心戦力として、プリンス・オブ・ウェールズは編入されます。
12月2日。
シンガポールに到着したプリンス・オブ・ウェールズは僚艦の巡洋戦艦「レパルス」とともに、日本軍に対する押さえとして西太平洋ににらみを効かせました。
12月8日。
日本が英国に宣戦を布告したまさに当日。
プリンス・オブ・ウェールズはレパルスとともにフィリップス提督の指揮の下日本軍を迎え撃つために出港。
12月10日。
このプリンス・オブ・ウェールズとレパルスに対し、日本軍は艦隊ではなく航空機による攻撃を仕掛けました。
3個航空隊およそ100機の陸上攻撃機による空襲を受けたプリンス・オブ・ウェールズは、その自慢の主砲を日本艦隊に向けて撃つことなく、魚雷を複数(日本側資料では7本、英国側資料では6本)受けて、ついに沈没。
戦闘行動中の戦艦が航空機によって沈められた史上初の戦艦になってしまいました。
近代的戦艦として、日本海軍の戦艦との砲撃戦であれば、それなりの力量を発揮できたであろう戦艦でしたが、時代はすでに航空機の時代になっておりました。
沈むのであれば、敵艦との砲撃戦で沈みたかったでしょうね。
それではまた。
- 2007/06/25(月) 22:22:55|
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