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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

アメリカ南北戦争概略その39

1865年3月25日。
南軍の絶望的な攻撃が始まりました。
ジョン・B・ゴードン率いる南軍部隊は、北軍の左翼を弱体化させることと、さらには北軍兵力の左翼への誘引を目的としてピータースバーグの東側にある北軍のステッドマン砦に攻撃を仕掛けます。

ゴードンの指揮の下、勇猛な南軍兵士は物資不足をものともせずに北軍に猛攻を仕掛けます。
夜明けに始まった攻撃は北軍に対して完全な奇襲となり、北軍は大混乱のうちにステッドマン砦を失いました。
しかし、数の優位を北軍が生かせるようになってくると、北軍は立ち直ります。

南軍は幾度となく北軍の反撃を跳ね返しましたが、やはり多勢に無勢。
ついに砦周辺から追い散らされ、攻勢発起点である前哨陣地まで押し戻されました。
さらに北軍は南軍の右翼にも攻撃を仕掛けます。
右翼を守備していたのはA・P・ヒルでしたが、彼の手元からは北軍への攻撃のためにゴードン隊へ兵力が引き抜かれており、通常よりも四個旅団が少ない状態でした。

塹壕に篭もって北軍を迎え撃った南軍A・P・ヒル隊は北軍に多大なる損害を与えます。
しかし、兵力の少なさは如何ともしがたく、ついに塹壕線は突破され、千ほどの捕虜を出して後退しました。
結局南軍の攻撃は押しもどされ、南軍は約三千の兵力を失いました。
南軍の総兵力は約三万まで落ち込みます。

一方北軍も約四千の兵力を失いましたが、シェナンドー峡谷でアーリーを蹴散らしたシェリダンがグラントと合流したことで損害は埋め合わせされます。
グラントはついに十二万を上回る兵力でピータースバーグとリッチモンドを包囲することになるのでした。

リーがもはや打つ手を失っていると考えたグラントは、シェリダンとウォーレンに南軍右翼を攻撃させます。
南軍は必死に防戦しますが、1865年4月1日、ファイブ・フォークスの戦いにおいてついに南軍右翼の防衛線は崩れました。

翌4月2日。
グラントは全軍に攻撃を命令。
北軍は全線にかけて攻撃に入り、南軍防御陣はついに各所で寸断されます。
さらに北軍の攻撃に対処するため、前線で兵士を指揮していた南軍のA・P・ヒル将軍が戦死。
リーにはもはやなすすべがなくなりました。

その夜、南部諸州同盟大統領ジェファーソン・デイビスはリーより電文を受け取りました。
そこにはリッチモンド及びピータースバーグを放棄する旨が記されていました。
リーは首都の防衛をあきらめたのでした。

デイビス大統領はすぐさまリッチモンドを脱出。
臨時首都としてダンヴィルを指定。
ダンヴィル行きの列車に乗り込みます。

4月2日夜から4月3日にかけ、南軍はリッチモンド及びピータースバーグの防御陣地より粛々と後退を始めました。
リッチモンドの街は南軍兵士が放った火によって紅蓮の炎に包まれます。
この炎によって、まるで第二次世界大戦の無差別爆撃を受けたかのような廃墟となったリッチモンドの写真が、今に伝わっています。

リーはジョゼフ・ジョンストンの残存兵力と合流すべく、西方のリンチバーグという街へ向かいました。
しかし、4月5日、リンチバーグへの道のりの途中に北軍シェリダン隊が先回りしていることを知ります。
進路を変えてやり過ごそうとしましたが、北軍の追撃は急であり、リーは追撃する北軍を一度反撃しないとならなくなります。

4月6日、セーラー川において二万ほどにまで減った南軍は北軍に対して布陣しました。
しかし、武器弾薬が底をつき食料も無い南軍兵士たちは、士気こそ高かったものの、北軍の一撃に耐えることはできませんでした。
エーウェルの軍団はこの時点で約四千ほどにまで減っていましたが、北軍の攻撃を支えきれずついに降伏。
アンダーソン隊も約二千の捕虜を出して崩壊します。
リーは残存の南軍をどうにかまとめ、セーラー川を離れました。

4月9日。
約一万数千の南軍はアポマトックス川近くのアポマトックス・コートハウス(裁判所)という村にたどり着きます。
しかし、ここにもすでに北軍が布陣しており、リーの行く手をふさいでいました。
ジョンストンとの合流を図るリーは、ここを突破するしかありません。
残存南軍は北軍に対して攻撃を仕掛けましたが、北軍が時間とともに増強されていくのを見てリーは絶望感のみが募ります。

もはやこれまでと悟ったリーは、ついに北軍に降伏することを決意。
まだ戦えるという部下に対し、以後連邦政府並びその将兵に対し銃口を向けてはならないと命じ、自身はグラントに対して降伏のための交渉に出向くことにします。

アポマトックス・コートハウスにあるウィルマー・マクリーンの私邸がリーとグラントとの会見場所に選ばれました。
マクリーン本人は自宅ではなく空き家を使って欲しかったそうですが、会見には不適当ということで拒否され、彼の自宅が使われました。

マクリーンは、以前ヴァージニア北部ブルラン川の近くに住んでいましたが、1861年の第一次ブルランの戦い、1862年の第二次ブルランの戦いが自宅すぐそばで起きたので、この静かな村に引っ越してきたのでした。
ここでまた戦争に関わることになるとは思いもしなかったでしょう。

午後一時、礼装用の軍服を着込んだリーがまず到着します。
そして、午後一時半頃、同じように身支度を整えたグラントが現れ、リーが席から立ち上がって出迎えました。
ロバート・エドワード・リーと、ユリシーズ・シンプソン・グラントとの歴史的な会見でした。
二人はがっちりと握手を交わし、すぐに降伏の交渉に入りました。

グラントの出した条件は比較的緩やかと言ってもいいものでした。
南軍兵士の武器の放棄、そして今後軍務に付かないという宣誓をするというものでした。
「馬はどうなりますか?」
リーが条件を記した文書を確認してそう尋ねます。
馬は騎兵、砲兵ともに重要な動物なので、当然保有が認められるはずは無いのです。
しかし、グラントはこう言ったと言われます。
「南部の農民は両軍の戦闘に巻き込まれて疲弊しています。どうかあなたがたの馬を使って彼らの農耕を助けてあげてください」
そしてすぐに南軍兵士たちに食料を振舞うように命じます。
リーは涙を流して感謝しました。

ここにいたり、リー配下の南軍残存部隊は銃を置きました。
南軍主力が降伏した瞬間でした。

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  1. 2007/06/07(木) 20:49:21|
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