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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

最後の戦いから200年

今日6月18日は、かのフランス皇帝ナポレオン一世(以下ナポレオン)が最後に戦った「ワーテルローの戦い(1815年6月18日)」のあった日でした。
あれから今日で丸200年です。
フランスではイベントもあったそうですね。

1805年、「アウステルリッツの戦い」でオーストリア・ロシア連合軍を打ち破り、そのピークを迎えたというナポレオンでしたが、英国を中心とした「対仏大同盟」は何度となく再設立され、フランスをじょじょに締め付けます。
1806年の「イエナ・アウエルシュタットの戦い」や1809年の「ワグラムの戦い」などで勝利を収めてきたナポレオンでしたが、1812年の「ロシア侵攻」ではモスクワまで占領するもついにロシアを屈服させることはかなわず、撤退行において多数の兵を失い大敗北を喫しました。

その後はフランスが押される形となり、1813年の「ライプツィヒの戦い」や1914年の「フランス国内の戦い」を経て、ついにナポレオンは皇帝の位を退位。
エルバ島へと追放されてしまいました。

ナポレオンを追い出した連合国でしたが、戦後処理で各国の利害が衝突。
ウィーンで連日会議が行われるも、「会議は踊る、されど会議は進まず」という状況に。
その様子を見たナポレオンは、エルバ島を脱出し、再びフランスに舞い戻ります。
ナポレオンはパリへ向かう道中、あちこちで歓呼の声で迎えられ、ナポレオンのあと国王となったルイ18世は国外への脱出をせざるを得なくなります。
ナポレオンが皇帝に復位すると、連合国はともかく再度ナポレオンを倒すことが急務としてウィーンでの会議を集結させ、第七次対仏大同盟を結成。
ナポレオンもこれに対して兵を集め、再び戦争が始まります。

ナポレオンは同盟各国を各個撃破するべく、ベルギーにいるイギリス・オランダ連合軍を最初の目標にしました。
イギリス・オランダ連合軍は「スペインでの戦い」でフランス軍を翻弄したウェリントン公が指揮官でしたが、彼の指揮下の兵士たちは新兵も多く、また半数がイギリス以外の国の兵であり、ウェリントン公も兵士の質が低いと嘆いたといいます。

1815年6月15日の前哨戦でプロイセン軍を追い払ったナポレオンは、配下のグルーシー元帥に全軍の三分の一の兵三万を与え、プロイセン軍を追撃させます。
ナポレオンは残った兵七万を率いて、イギリス・オランダ連合軍へと向かいました。

1815年6月18日、ワーテルローという名の村の近くで両軍は激突します。
「ワーテルローの戦い」の始まりでした。
この戦いで、質が低いと嘆かれたイギリス・オランダ連合軍でしたが、ウェリントン公の指揮の下でプロイセン軍が合流するまで負けない戦いに徹し、フランス軍の攻撃をしのぎます。
ナポレオンは敵がなかなか崩壊しないことに焦りを募らせますが、最後には何とか勝利できるだろうと思っておりました。
何せイギリス・オランダ連合軍は孤立状態であり、追い払ったプロイセン軍が救援に来るにはどんなに早くても今日中は無理と見ていたのです。

しかし、プロイセン軍は予想外の速さで戦場に到着しました。
グルーシー元帥がプロイセン軍を補足できなかったのです。
イギリス・オランダ連合軍との戦いの最中に横からプロイセン軍に攻撃されたフランス軍はひとたまりもありませんでした。

結局フランス軍は崩壊し、ナポレオンは再び皇帝の位を追われセントヘレナ島に追放されました。
ナポレオンはそこで最後を迎えることになります。

ナポレオン最後の戦いとなった「ワーテルローの戦い」
慣用句などでは人生の転機や大失敗などを「(その人にとっての)ワーテルローだったね」などと言ったりもするとか。
ナポレオンにとっては最後の希望を砕かれた戦いだったのかもしれませんね。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2015/06/18(木) 21:38:08|
  2. 趣味
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

ナポレオン戦争後半になると連合軍も優秀な指揮官を抜擢したり軍政改革で戦力を増強したりしましたから、ナポレオンといえども簡単には勝てなくなりましたね。

そうなるとナポレオンが敵の一軍に手こずっているうちに別の敵軍がナポレオンの側面や後方を襲う事が可能になってしまうわけで……

その連合軍の戦略に対抗するにはより巧妙な戦略をナポレオンは考えるべきだったのですが、早く勝とうと焦るあまり無理な正面攻撃を行う事が多くなり、それがロシア遠征やワーテルローの敗北につながってしまったようですね。
  1. 2015/06/18(木) 22:42:52 |
  2. URL |
  3. 富士男 #-
  4. [ 編集]

>>富士男様
連合軍は後半になるとナポレオンのいるところでは戦闘を避け、いないところで戦闘に勝利するパターンを取るようになったのも大きかったみたいですね。
兵力の少ないナポレオンとしては歯がゆかったでしょうねぇ。
  1. 2015/06/19(金) 21:53:48 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #fR9d3WYs
  4. [ 編集]

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