第一次世界大戦後、各国の軍隊は航空機なくしてこれからの戦争は戦えないということに気が付いておりました。
もちろん日本陸軍もその事実には当然気が付いており、航空機の必要性を充分すぎるほど認識しておりました。
しかし、当時の日本はまだまだ工業化が始まったばかりであり、航空機の自力開発など夢物語の時代でもありました。
そこで陸軍は当時の航空先進国であるフランスから航空機を輸入し、状況によってはそれをライセンス生産して航空機を装備しようと考えます。
第一次世界大戦終結の翌年の大正8年(1919年)には、早くもフランスの第一次大戦後半の主力機スパッド13を40機輸入し、丙式一型戦闘機として配備しました。
そして第一次大戦が終結後、フランスで新たに開発されたニューポール社のニューポール29を後継戦闘機として採用することが大正11年に決まります。
ニューポール29は当時のニューポール社の最新鋭機であり、試作自体は第一次大戦中でしたが、完成したのは大正9年(1920年)であり、大正11年にフランス軍でも配備が始まったばかりの出来立てほやほやの新型機です。
それを導入しようというのですから、当時の陸軍の航空機に対する意識の高さが伺えるでしょう。
ニューポール29は突出して優れた戦闘機というわけではありませんでしたが、高いレベルでまとまっている優秀な機体で、低速時の操縦性にやや難があったものの、それ以外はほとんど問題点がない戦闘機だったといいます。
フランスでも配備が始まったばかりのこの機体を、日本陸軍は110機も輸入し、のちには中島航空機に製造権を購入させてライセンス生産まで行いました。

ニューポール29は日本では甲式四型戦闘機と命名され、大正後半から昭和初期にかけての陸軍の主力戦闘機として使われました。
輸入機のほかにライセンス生産機は600機を超え、日本陸軍初の大量生産戦闘機となったのです。
これはフランス本国のニューポール29の生産数をはるかに上回るものでした。
生産は昭和7年まで続けられましたが、基本設計がよかったためか、ほとんど改良されることなく生産され続けたとのこと。
日本はこの甲式四型戦闘機によって陸軍航空の基礎を築いていったといっても過言ではないでしょう。
この甲式四型の量産記録が破られるには、あの名機97式戦闘機の登場まで待たなくてはならなかったのです。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2014/04/08(火) 21:00:08|
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