第二次世界大戦が終わると、ソ連はドイツからすぐれた航空技術やジェットエンジンの技術などを手に入れました。
ミコヤン・グレビッチ設計局はそれによってジェット戦闘機Mig-15を開発し、戦後の朝鮮戦争に投入。
Mig-15は西側連合国の戦闘機や攻撃機を次々と撃墜し、その威力を見せ付けました。
ですが、ミコヤン・グレビッチ設計局はこのMig-15をさらに発展させるべく改良を加えます。
大きく変更されたのは主翼の後退角で、Mig-15では35度だった後退角を45度に増やし、空気の流れを整える境界板を2枚から3枚に増やしました。

この改良によりMig-17はMig-15を上回る性能を得ることができるはずでしたが、エンジンがMig-15と同じだったことで重量増などから性能は若干落ちたといわれます。
しかし、エンジンの改良はのちにまわすことにして、Mig-17は生産が開始されました。
武装はMig-15と基本的には同じで、23ミリ機関砲と37ミリ機関砲というものでしたが、のちには空対空ロケット弾や空対空ミサイルを装備するよう改良された機体も登場しました。
その後アフターバーナーを装備した改良型エンジンが完成し、それを搭載することでMig-17Fとなり、本格的な量産が開始されることになりました。
この型はポーランドではLim-5、中国では殲撃5型(J-5・F-5とも)という名称でライセンス生産が行われ、当時の東側各国に供与されるなど多くの国が使用するようになります。

Mig-17はさらに空気取り入れ口にレーダーを搭載して全天候型戦闘機に改良したMig-17PF型が作られるなど各種の改良型が作られ、大量生産が行われました。
その数は総数で1万機を超えるといわれ、一部の小国では今でも現役で使用されている例もあるそうですが、ほぼ1990年代には退役いたしました。

Mig-17は朝鮮戦争には間に合いませんでしたが、当時の北ベトナムに供与されたことからベトナム戦争に参加し、米軍機と何度も空戦を行ないました。
機体が軽く旋回半径が小さいMig-17は、大型で重いF-105やF-4のような重戦闘機とのドッグファイトには有利で、米軍機を何度も窮地に追い込み撃墜することもしばしばだったといいます。
そのため、米軍がF-16を開発するきっかけになったとも言われます。
旧ソ連を代表する軽戦闘機の一つがMig-17であることは誰もが認めることではないでしょうか。
ベトナムや中東で各国に使われ、西側戦闘機と激しい空中戦を繰り広げたライバルとして印象深い機体だったと思います。
それにしてもソ連も作るとなると桁違いの数を量産いたしますよねぇ。
それではまた。
- 2013/12/20(金) 21:14:30|
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