FC2ブログ

舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

こういうやり方もありなんですね

1906年に就役した英国戦艦「ドレッドノート」は、これまでの戦艦の概念を大きく変えてしまう存在でした。
このため、「ドレッドノート」の完成以前の戦艦を「前ド級戦艦」、「ドレッドノート」の思想を受け継いだそれ以降の戦艦を「ド級戦艦」(ドはドレッドノートの頭文字。弩級の文字を当てる場合もあり)と呼んで、各国ともにこのド級戦艦の建造に力を注ぐことになりました。

地中海を「我らの海」と呼ぶイタリア海軍も、この流れに無縁でいることはできませんでした。
1909年には最初のド級戦艦「ダンテ・アリギエーリ」が起工され、1910年に進水、1913年には就役します。
この「ダンテ・アリギエーリ」は、戦艦として世界で始めて三連装主砲塔を搭載し、タービンで23ノットも出すことのできる高速戦艦でした。

しかし、イタリア海軍は、なぜかこの「ダンテ・アリギエーリ」を一隻だけで取りやめ、建造中に新しい戦艦の建造に着手します。
それが「コンテ・ディ・カブール」級戦艦でした。

一説によれば、「ダンテ・アリギエーリ」一隻で取りやめたのは主砲の配置に問題があったようです。
三連装砲塔を四基も装備していた「ダンテ・アリギエーリ」でしたが、艦橋の前には砲塔が一つしかなく、前に向かって撃つことができるのがこの一砲塔三門のみしかなかったことが問題にされたとのこと。
そのため、この「コンテ・ディ・カブール」級では三連装砲塔と連装砲塔を混載し、艦橋の前には三連装砲塔と連装砲塔を背負い式に搭載して、前方砲撃力を五門確保するという方式が取られました。

同じように後檣の後ろも三連装砲塔と連装砲塔を背負い式に配置し、船体中央部の煙突と煙突の間にも三連装砲塔を装備することで、全部で十三門もの30センチ砲を搭載しておりました。

基準排水量は23000トン。
全長は176メートル。
最大幅は28メートル。
最高速度は「ダンテ・アリギエーリ」よりやや劣る21.5ノットでしたが、当時としてはまあまあの速度でした。

一番艦は級名ともなった「コンテ・ディ・カブール」ですが、起工、就役ともに二番艦の「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」の方が先で、「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」は第一次大戦の始まった1914年に完成し、続いて三番艦の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が、最後に「コンテ・ディ・カブール」が1915年に就役いたしました。
1306251.jpg 改装前の「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」

「コンテ・ディ・カブール」級は、第一次世界大戦時のイタリア戦艦の中核として扱われました。
一般的に速度は速いが防御力が低いといわれるイタリア軍艦にあって、本級は同時期の英国戦艦と比べても遜色がなかったといわれます。

第一次世界大戦では本級にはあまり出番がなく、大きな作戦には参加いたしませんでした。
その上三番艦の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」にいたっては、1916年8月2日に爆発事故を起こして転覆。
戦後引き上げられたものの、結局はスクラップとなってしまいます。

第一次世界大戦が終わると、残った二隻の「コンテ・ディ・カブール」級は予備役となり、そのままスクラップになるかと思われました。
しかし、1920年代後半になると、隣国フランスやドイツが新型戦艦を建造するという噂が流れます。

このうちフランスの新型戦艦は「ダンケルク」級として現実化し、イタリアとしてはその対策を行なわなくてはならなくなりました。
とはいえ、新型戦艦を建造するには時間がかかります。
そこでイタリア海軍は、予備となっていた「コンテ・ディ・カブール」級を近代化することにいたしました。

近代化と言ってもすでに旧式化した戦艦を一朝一夕に新型に対抗できる戦艦にできるはずもありません。
この近代化改装は攻防走すべてにおいて新型に対抗できるものとするために、なんと全体の6割以上を造り替えてしまう大規模なものとならざるを得なく、ほぼ新型戦艦を建造するのと変わらないものとなってしまいました。

速力を増すために機関部の大幅な変更がなされ、その際煙突に挟まれた三番砲塔を撤去。
その空きスペースも機関部分として使用され、速力は改装前の21.5ノットから28ノットにまで上昇しました。

防御力もそれなりに強化され、一部装甲が増厚されたほか、水平防御も強化されました。

一番の大きな変更は主砲の変更でしょう。
「ダンケルク」級の33センチ主砲に対抗するには、30センチ主砲では能力が足りません。
しかし、主砲をただ大きくするのでは、それにともなって砲塔も変更しなくてはならず、そうなると船体自体も変更しなくてはなりません。

そこでイタリア海軍は、なんと砲塔も砲身もそのままに、砲身内部を削り取って30センチ主砲を32センチ砲にしてしまったのです。
その上でやや仰角を付けられるように砲塔の小改正を行なって攻撃力の増加を終えたのでした。

こうして大改装を終えた「コンテ・ディ・カブール」級は、基準排水量が28000トン、全長も186メートルとなって生まれ変わりました。
この近代化改装が終了したのは1937年であり、第二次世界大戦が始まった時点ではイタリア海軍の本級のみが唯一の作戦行動可能な戦艦でした。
1306252.jpg 改装後の「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」(戦後のソ連戦艦「ノヴォロシースク」時代)

その後一番艦「コンテ・ディ・カブール」は、1940年の英軍のタラント空襲によって大破着底。
翌年に引き上げられたものの修理はさっぱり進まずに1943年に放棄され近海に自沈。
1944年にドイツ軍が接収し引き上げたものの、またしても連合軍の空爆で沈没し、戦後スクラップとなりました。

二番艦「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」は戦争中盤以降燃料もなく浮き砲台同様の任務についておりましたが、戦後賠償としてソ連に引き渡され、ソビエト戦艦「ノヴォロシースク」として黒海艦隊に所属したのち、1955年に事故で失われました。

完成がほぼ第一次大戦に間に合い、大改装も第二次大戦に間に合うなど非常にタイミング的にはよかった戦艦だと思うのですが、どうもあんまり戦歴には恵まれなかったようですね。
改装時に削って砲身の肉厚が薄くなった主砲は砲撃戦のときに問題にならなかったのでしょうか。
ともあれ、イタリア戦艦としては面白い生涯を送った戦艦だった気がします。
  1. 2013/06/25(火) 21:05:30|
  2. 趣味
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<久しぶりの映画館 | ホーム | ファン投票の結果がでましたね>>

コメント

「ダンテ・アリギエーリ」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ」とかの文人の名前は
戦艦にはちょっと似合わない感じがしますね。

「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」はせっかくの名将の名前ですのでもうちょっと
活躍して欲しかった気がしますが・・・。

コマンドマガジン別冊「戦艦の戦い」というゲームでは「コンテ・ディ・カブール」と
「カイオ・ジュリオ・チェザーレ」のユニットに艦の上面図が描かれていましたが、
敵味方識別帯が紅白ストライプでちょっとお洒落でした。
  1. 2013/06/25(火) 22:42:19 |
  2. URL |
  3. 富士男 #-
  4. [ 編集]

>>富士男様
日本は軍艦の艦名に人名を付ける慣習がないので、文官にせよ武官にせよ人名の艦名はやや違和感ですよねー。
ユニットはありましたありましたー。(*´ω`)
  1. 2013/06/26(水) 20:41:18 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://masatomaikata.blog55.fc2.com/tb.php/3128-0f0b8b4c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

AquariumClock 2

プロフィール

舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

ブログバナー


バナー画像です。 リンク用にご使用くださってもOKです。

カテゴリー

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

管理人にメールなどを送りたい方はこちらからどうぞ

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ内検索

RSSフィード

ランキング

ランキングです。 来たついでに押してみてくださいねー。

フリーエリア

SEO対策: SEO対策:洗脳 SEO対策:改造 SEO対策:歴史 SEO対策:軍事

フリーエリア