「アンティータムの戦い」以後、マクレランが解任された東部の北軍ポトマック軍(いわゆる日本の関東軍とかドイツ第六軍とか言うのと同じ単位としての“軍”)は、新たな指揮官としてアンブローズ・バーンサイド少将が任命されました。
あの、「バーンサイド橋」へ幾度も攻撃を仕掛け、そのたびに撃退されたバーンサイドです。
これはリンカーンが彼を認めていたから任命したというよりは、単に彼が序列上の先任だったというに過ぎないものでしたが、バーンサイドの威勢のよい姿とその特徴的な頬ひげから、多少の安心感を感じさせるものではありました。
マクレランの後任となった彼がまず着手したのが、ポトマック軍をラパハノック川を渡らせ、再びリッチモンドへと向かわせることでした。
そのために彼は、フレデリクスバーグという町で渡河することにしました。
この町はラパハノック川に沿ってできた街で、南岸には高地があり、そこを占拠することで以後の布陣を有利にできると考えたのです。
ポトマック軍総勢十二万の軍勢が動き出し、そのうちの先遣隊が北側の河岸に到着したのは1862年11月17日でした。
(その16で西部方面では年明けになりましたが、東部はまだ1862年のことを書いております)
その時点ではフレデリクスバーグの防備は手薄であり、南軍兵数百がいるに過ぎませんでした。
ただし、ラパハノック川に架かる橋は全て落とされており、北軍の大軍勢は渡河用の仮設橋が届くまで待機をさせられる羽目になります。
渡河用の仮設橋の資材が届いたのは11月22日でした。
その時にはすでにリー将軍麾下の南軍がフレデリクスバーグ近郊の高地に布陣しており、防備を固めてしまったあとでした。
バーンサイドは決断します。
あの「バーンサイド橋」も最終的には落とせました。
フレデリクスバーグでの渡河も決行するべきであると。
南軍はこの時点ですでにラパハノック川南岸に大きく二つに分かれて陣を敷いておりました。
左翼にロングストリートの軍勢、右翼にジャクソンの軍勢です。
その間の距離はかなり離れてはおりましたが、リーは七万の軍勢を二手に分けていたのです。
バーンサイドは自軍も二手に分け、二箇所で同時に渡河することでロングストリート、ジャクソンの両陣地を同時攻撃することにします。
そこでフレデリクスバーグ前面と、やや下流三キロほどのところにそれぞれ三本の仮設橋を作らせることにしました。
架橋は南軍の妨害を撥ね退けながら行なわれ、約二週間ほどもかかってできあがります。
橋ができあがると北軍は隊列を組んでラパハノック川を渡河、12月13日には南軍陣地への攻撃を開始します。
「フレデリクスバーグの戦い」です。
しかし、これは戦いと呼べるものにはなりませんでした。
整列してフレデリクスバーグ郊外の高地に向かう北軍サムター隊及びフッカー隊は、まるで射撃の的のように撃ち倒されて行きます。
何とか斜面にたどり着いた兵士たちも、今度は側面や正面からの撃ち下ろしの射撃に倒されていきます。
どうにか斜面を登っても、そこには南軍の防御陣が待ち構えており、近付く者を一斉射撃が見舞います。
ほぼ一方的な虐殺でした。
その様子を見ていた南軍リー将軍は、一言こう言ったと言います。
「戦争がむごたらしいのは結構なことだ。戦争を好む奴らが多すぎる」
下流域を渡河してジャクソン隊の攻撃に回った北軍フランクリン隊は五万の軍勢を恐る恐る前進させます。
ジャクソンの陣地からの砲撃は北軍の足を止めさせましたが、ジョージ・ゴードン・ミード少将率いる師団が南軍の背面に回ることに成功。
しかし、南軍が適切な反撃を行なったために後退を余儀なくされます。
その後はこう着状態に陥りました。
フレデリクスバーグ郊外の高地への攻撃は一日中続き、北軍兵士は損害をものともせず味方の死体を乗り越えて前進しましたが、最後まで高地を奪取することはできませんでした。
日暮れとなり、ついにバーンサイドも攻撃を中止し後退します。
「フレデリクスバーグの戦い」は終わりました。
北軍の損害は一万二千に及びました。
ほとんどが高地への斜面で倒された兵たちでした。
南軍は五千の損害。
明らかに南軍の勝利でした。
「兵たちの勇猛さはこれ以上はないと思われるほどのものであった。一方将軍たちの指揮ぶりはこれ以下はないと思われるほどひどかった」
北部のある新聞の評価だそうです。
バーンサイドは何とか再度リーの側面から攻撃しようと考え、兵士たちを駆り立てます。
折りしもそぼ降る雨の中の行軍となったため、道はぬかるみ砲も兵も身動きが取れなくなります。
酒を支給してまでの行軍を続けてみたものの、結局北軍はファルマス近郊の野営地に後退することになりました。
リンカーンはこれによりバーンサイドを解任。
わずか81日間のポトマック軍司令官の地位でした。
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- 2007/03/28(水) 20:52:51|
- アメリカ南北戦争概略
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