マクレランに愛想を尽かしたリンカーンは、まだマクレランが軍を率いていた頃から、ワシントン周辺の兵力をかき集めて新軍を編成します。
マクレランのポトマック軍に対してヴァージニア軍と名付けられたこの軍勢は、四万五千の戦力を持ち、司令官に西部方面(何度も言いますが、ワシントンから見て西部というだけで、実際はアメリカ中北部)で活躍していたジョン・ポープ少将を担ぎ出しました。
ポープは自分の戦ってきた西部の戦歴を自慢することでリンカーン以下の信頼を勝ち得たものの、将兵に対しては逆に東部の将兵を小ばかにしたような態度と取られてしまい、人気を得ることはできませんでした。
そんな中ポープはハリソンズ・ランディングに後退して立て篭もるマクレランをしり目に、ワシントン方面から南下。
ゴードンズヴィルという地点へ向かいます。
ここは鉄道の重要な結節点であり、ここを押さえることで南軍の鉄道による移動に対して効果的に分断できる地点でした。
北軍の新編成のヴァージニア軍の動きを察知したロバート・E・リーは麾下の将軍から一番信頼をしている“ストーンウォール”ジャクソンに一万二千の軍勢を預けてゴードンズヴィルへ向かわせます。
ジャクソンはゴードンズヴィルを守るどころか逆に討って出ます。
ポープの前衛に配されたバンクス将軍の八千をシーダーマウンテンで迎撃したジャクソンは、自軍の数の優位にかえって戸惑ったのか、彼らしくない戦いで損害を重ねたものの、どうにか北軍を撃破します。
バンクス隊が撃破されたポープはゴードンズヴィルへ向かうのをあきらめ、軍勢を北へ後退させます。
ジャクソンもそれ以上の攻撃は行なわずにロングストリートと合流。
陣容を整えた上でポープの軍に向かいました。
その頃マクレランは南軍の目がポープのヴァージニア軍に向いているのをいいことに、ゆったりと退却にかかります。
ポープの軍と合流して圧倒的多数で南軍と戦うということは、すでに彼の頭にはないようでした。
ジャクソンはリーの提案によってポープの軍を迂回してその補給路を断つ作戦に出ます。
ジャクソンはロングストリートと再度分離し、自軍部隊だけを率いてぐるっとポープ軍を迂回して長躯マナサスへ向かい、ポープの補給物資を奪いました。
南軍兵士は見たこともないほどの大量の略奪品にしばし時を忘れたほどでした。
背後に南軍が回ったことを知ったポープはすぐに全軍をそちらに向けました。
補給を断たれた軍勢はもろいものです。
ポープはなんとしても補給路を再度開く必要がありました。
ポープの軍勢が向かってくることを知ったジャクソンはマナサス西方の丘の上に陣を敷きます。
ポープもこしゃくなジャクソンに対して軍勢を進めます。
マナサス西方の丘で両軍は激突することになりました。
第二次ブル・ランの戦い(南軍呼称第二次マナサスの戦い)の始まりです。
ジャクソンが後退すると読んでいたポープは全軍を両翼展開させてジャクソン軍を包囲することにします。
しかし、ジャクソンの遅滞戦術に阻まれたポープ軍の一翼を担うポーター将軍は前進できずに終わってしまいます。
ロングストリートの援軍がジャクソン軍に合流するのを阻止できなかったばかりか、軍勢を集結させたポープは結局数の優位を生かせない正面攻撃に終始してしまい、最悪のタイミングでロングストリート軍に側面を突かれるという大失態を犯します。
北軍はかろうじて秩序だった後退を行なうことに成功。
全軍潰走の憂き目を見ることだけは避けました。
北軍の損害は一万六千。
南軍は九千の損害でした。
ハリソンズ・ランディングより撤退したマクレランは、それ見たことかとほくそえみ、一方のポープは部隊の指揮官に対し当り散らすという体たらくで、リンカーンは結局再度マクレランに北軍の指揮をゆだねるしかありませんでした。
幸いなことにリンカーンら上層部の評価とは裏腹に、マクレランは兵士たちには非常に好かれておりました。
第二次ブル・ランの戦いの敗戦で意気消沈していた北軍兵士たちに対し、マクレランが再び指揮を取ると宣言しただけで、北軍兵士の士気は上がり軍勢は再び立ち上がったのです。
リーとマクレランの再度の決戦が行なわれることになりました。
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- 2007/03/20(火) 20:56:05|
- アメリカ南北戦争概略
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