1930年代、軍の機械化に積極的であったソビエト連邦は、高速戦車としてクリスティ技師の作った戦車を基にBT-5・BT-7と言う戦車を開発して装備しておりました。
これらの高速戦車は、装甲はやや薄いものの履帯をはずしても走行できるような機構を持ち、履帯をつけたとしても当時の戦車としてはかなり高速を発揮できるもので、主に騎兵部隊の支援や、長距離侵攻で敵の中枢を奇襲するような任務が考えられておりました。
しかし、戦場では高速を発揮しようにもなかなか思い通りには行きません。
川もあれば山も荒地もあり、高速で長距離侵攻しようとしても制約がかかってしまいます。
ではどうすればよいか。
そういった障害になるような地形を一っ飛びしてしまえばいいと考えた者がおりました。
戦車を飛行機のように空を飛ばしてしまえばいいのです。
とはいえ、当時は爆撃機と言えどもそれほど重量を搭載できるものではありませんでした。
ましてや重い戦車を搭載する輸送機など数少なく、とても使えるものではありません。
そこで戦車自身に飛んでもらうというアイディアが浮かびました。
戦車にプロペラと翼を付け、飛行機のように飛ばすのです。
このアイディアはソ連で実際に検討され、MAS-1というナンバーが与えられました。
そしてBT-7のコンポーネントを流用する方向で進められ、木製模型まで作られたそうです。
それによりますと、BT-7の内部構造を生かし、車体は新たに滑らかな空気抵抗の少ない感じの鋳造製車体が用意されました。
車体両側には後ろに伸びる形で主翼が取り付けられ、飛行時には左右に90度開いて伸ばして使うようになっていたようです。
車体前面にはエンジンから伸びるシャフトがあり、そこにプロペラが付けられるようになっていました。
車体後部には左右二本のアームが後方に伸ばされ、その先端に水平尾翼と垂直尾翼が付きました。
車体上部には機関銃を備えた砲塔ならぬ銃塔が付けられましたが、もしうまく行けば主砲搭載も考えられていたのではないでしょうか。
装甲は最大10ミリ程度と薄いもので、重量は約4.5トン。
車長兼銃手と、戦車操縦手兼パイロットの二人乗りで、飛行時の航続距離は約800キロメートルを予定していたと言います。
木製模型まで作られたMAS-1ですが、当然と言うかやはりと言うか、実用には程遠い代物で試作車両は作られなかったようです。
やはり戦車を飛ばそうと言うのは無理があったんでしょうね。
とはいえ、戦車を障害地形を越えて飛ばしてしまおうと言う考えは、のちに航空機の発達で重量物輸送が可能になってくることで空挺戦車という車種を生み出しました。
そして、ごく普通の一般的に装備されている戦車自体が航空輸送可能になってくると、空挺戦車自体も消えていくことになります。
そういう意味では決して無駄なアイディアではなかったと言うことなのでしょうね。
それではまた。
- 2012/11/26(月) 21:06:35|
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