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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

薔薇戦争(8)

ランカスター家を抑え、英国王となったエドワード4世でしたが、彼の治世は意外なところからほころびを始めます。
第一幕において彼を支え、彼のよき協力者であったウォリック伯リチャードが、エドワード4世と不仲になってしまったのです。
事の発端は、エドワード4世が秘密裏に結婚をしてしまっていたことでした。

エドワード4世に協力したことで、イングランド最大の土地所有者となったウォリック伯は、国王からも当然信任厚くさまざまな職をまかされておりました。
そのうちの一つが大陸にあるカレーの町の守備隊司令というものでしたが、おそらくこのことが大陸にある唯一残ったイングランド支配地であるカレーを失わせないためにフランスに接近する理由になったのかも知れません。

ウォリック伯は「百年戦争」も終結したことから、英国とフランスの融和を目指しており、親仏派として知られておりました。
彼はフランス国王ルイ11世と交渉し、エドワード4世とフランス王室との婚姻を成立させようと尽力します。
しかし、エドワード4世はすでに1464年に騎士の未亡人エリザベスと秘密裏に結婚しており、彼はこれを「覆せない事項」としたことで、婚姻を進めていたウォリック伯の面子をつぶしてしまいます。

さらにエドワード4世は自身の身内に次々と爵位や地位を与え、高級貴族たちと婚姻を結ぶなど派閥を固めていきます。
そしてフランス王室とは対立関係にあるブルゴーニュ公シャルルに妹を嫁がせて同盟を結んだ上、ウォリック伯の娘と身内の縁談には乗り気ではないなど、どちらかというとウォリック伯を排除するような動きが目立ち始めました。

ウォリック伯は国王に対抗するためにエドワード4世の弟であるクラレンス公ジョージと盟約を結びます。
クラレンス公はエドワード4世の反対にもかかわらず、ウォリック伯の娘を娶ってくれていたのです。

1469年4月、ウォリック伯はついにエドワード4世に対する反乱をそそのかし、イングランド北部で反乱の火の手が上がります。
国王エドワード4世はすぐに鎮圧に向かいますが、その隙にウォリック伯は軍勢を引き連れてカレーからイングランドに上陸。
7月の「エッジコート・ムーアの戦い」で国王軍と直接対決し、国王軍を破りました。

これによってエドワード4世はウォリック伯側に捕らえられ、ミドルハム城に幽閉されてしまいます。
ウォリック伯はさらに王妃の父親や弟を処刑し、エドワード4世の側近連中も粛清して国王の勢力を削りました。

しかし、これによって息を潜めていたランカスター派などがまたしても動き出し、国内は騒然となってしまいます。
ウォリック伯による権力掌握も支持する貴族たちはわずかで、ウォリック伯はやむを得ず幽閉したエドワード4世を釈放し、表面上の和解をするしかありませんでした。

一方、前国王ヘンリー6世の王妃マーガレットと、その子はフランスに亡命しておりました。
この亡命王妃に目をつけたフランス国王ルイ11世は、エドワード4世とブルゴーニュ公との同盟に対抗するため、ウォリック伯とマーガレット王妃との同盟を提案します。
ウォリック伯とマーガレットはその提案を受け入れ、以前は仇敵同士だった二人は同盟者となりました。
ウォリック伯はマーガレットに忠誠を誓い、ウォリック伯の娘とマーガレットの息子が婚姻を交わして両者は親類となったのです。

このことでウォリック伯は再度エドワード4世の排除に動き始めました。
1470年10月、ウォリック伯は再び国王軍の留守にイングランドに上陸。
ロンドンを制圧して前国王ヘンリー6世を救出します。
そして軍勢を率いてエドワード4世の軍と対決するべく北上しました。

エドワード4世にとってこの事態は予想外のものでした。
彼は大軍が接近中との報に弟のグロスター公とともに海路ブルゴーニュへと脱出してしまいます。
ウォリック伯は戦わずに勝利を収めたのでした。

ですが、ウォリック伯の勝利はブルゴーニュ公に危機感を覚えさせました。
フランスと英国の同盟で苦しい立場に追い込まれるであろうことは間違いないからです。
ブルゴーニュ公はエドワード4世に軍備調達のための資金を提供し、再度英国へ戻るように促しました。

これによってエドワード4世はドイツ傭兵などを集めてイングランドへと舞い戻ります。
ヨークの町を制圧して支持者を集めるエドワード4世に対し、ウォリック伯はすぐに軍勢を差し向けましたが、エドワード4世は逆にウォリック伯の軍勢をすり抜けてロンドンへ入城。
ロンドンにいたヘンリー6世を逮捕します。

1471年4月、「バーネットの戦い」でウォリック伯の軍勢とエドワード4世の軍勢が激突しました。
霧の中で行なわれたこの戦いは、視界が閉ざされ敵味方の区別が難しい状況でした。
そのためウォリック伯の軍勢は同士討ちを演じるものも現れ、それを味方による裏切り行為と思ってしまったウォリック伯の軍勢は混乱し、エドワード4世の軍勢の前に総崩れとなってしまいます。
ウォリック伯は戦場を離脱しようとしましたが、かなわずに戦死。
身内のモンターギュ候も戦死してしまいました。

ウォリック伯の同盟者となったマーガレット王妃でしたが、イングランド上陸後軍勢を集めていたものの、この戦いには参加せず、ウェールズのランカスター派と合流しようとしたところを迎撃され、「テュークスベリーの戦い」で壊滅。
息子エドワード王子とサマセット公は処刑され、夫ヘンリー6世ものちに殺害されました。
マーガレット王妃は5年間ほどロンドン塔に幽閉されたのちにフランスに返され、アンジュー家の相続権を没収され1482年に没しました。

こうしてエドワード4世は危機を乗り越え、薔薇戦争の第二幕が終わったのです。

(9)へ
  1. 2012/10/29(月) 21:15:01|
  2. 薔薇戦争
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

おひさしぶりです。
血なまぐさく&錯綜した状況だったようですね。
>王妃の父親と弟を処刑し・・・
の「王妃」というのは、騎士の未亡人のことでしょうか。
そうすると、人目を忍んで婚姻をした王妃は、最愛の家族をウォリックのために失ったことになります。
王妃と王は一体ですから、この瞬間ウォリックはエドワード王との和解のチャンスを永久に失ったことになりますね。

それにしても。うーん。難解だ。 笑
いろんな人の立場に立って角度を変えた検討をしたら、かなりいろんなものが見えてきそうですね。
案外、イギリスでゲーム化されていたりして。
  1. 2012/11/04(日) 05:08:58 |
  2. URL |
  3. 柏木 #D3iKJCD6
  4. [ 編集]

>>柏木様
お久しぶりです。
はい、処刑されたのは未亡人エリザベスの父や弟だったようです。
あと、薔薇戦争に関しては結構ゲーム化されているみたいで、最近もアメリカのGMT社からマルチプレイヤーゲームで出ましたね。
  1. 2012/11/04(日) 20:55:48 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

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(まいかた まさと)と読みます。
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