シャイローの戦いが行なわれていた頃、海でも戦史に残る戦いが行なわれておりました。
「ハンプトンローズの戦い」です。
この戦いは史上初の装甲された軍艦同士の砲撃戦という位置づけで有名であり、私の旧ブログ2005年10月12日にも取り上げさせていただきました。
北軍が焼き捨てた蒸気フリゲートを南軍が引き上げ、鉄道のレールを使って作った装甲板を貼り付けた装甲艦ヴァージニア(北軍名称メリマック)は、南部海軍の切り札としてチェサピーク湾を封鎖する北部海軍の木造フリゲートを蹴散らします。
南部が装甲艦を建造していることをすでに知っていた北部海軍は、装甲には装甲をということで、画期的な小型沿岸用装甲艦モニターを建造。
1862年3月9日、ついにハンプトンローズ沖で両艦は激突します。
戦いそのものは、双方の軍艦の主砲が相手の装甲を撃ち抜けないという状況で、四時間以上にわたる砲撃はほとんど効果がなく、艦首衝角を向けての体当たり攻撃も双方の動きが機敏なために体当たりそのものができない状況でした。
結局モニターは弾薬欠乏と操舵室への直撃により、損傷そのものはなかったものの艦長が後退を決意。
ヴァージニアの方も砲撃による浸水がひどくなってきたために引き上げます。
海戦は双方痛み分けに終わりました。
ヴァージニアとモニターとの戦いはこの一戦だけで、この後二度と双方が戦うことはありませんでした。
ヴァージニアをもってしても封鎖を突き破ることができなかった南軍は、以後じわじわと封鎖の影響が経済を締め付けることになります。
一方ミシシッピ川の河口でも北部海軍が戦果を上げることに成功します。
デービット・ファラガット提督率いる北軍艦隊は、ミシシッピ川の河口にあるニューオーリンズの攻略に向かいます。
ニューオーリンズのさらに下流には、南軍が砦を築いて河口を封鎖しておりました。
両岸の砦と鎖で丸太をつないだフェンスが船舶の交通を遮断していたため、北軍の河川輸送船は陸軍を送ることができません。
そのためファラガット提督は河川砲艦隊で砦に砲撃を仕掛けつつ、フェンスを破壊するという作戦を取りました。
両岸の砦との砲撃戦は苛烈を極めましたが、北軍艦隊はついにフェンスを超え河川輸送艦をさかのぼらせることに成功。
上流に上陸した北軍兵士により砦は陥落します。
ファラガットは砦の陥落を待つことなく河川砲艦隊を率いてニューオーリンズを砲撃。
ニューオーリンズは1862年4月25日に降伏します。
これによりシャイローでの北軍の勝利とニューオーリンズの陥落によりミシシッピ川の制水権がほぼ北軍の手に落ちます。
中央部の要地メンフィスとヴィックスバーグはまだ南軍が保持しておりましたが、ミシシッピ川の東西交通はかなり制限されることになりました。
そして、ワシントン周辺では新たなる戦いが始まります。
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- 2007/03/12(月) 20:35:20|
- アメリカ南北戦争概略
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