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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

アメリカ南北戦争概略その4

地図を見てもらえればわかると思いますが、広大なアメリカという土地でありながら、北部連邦の首都ワシントンと、南部諸州同盟の首都として制定されたリッチモンドとは、わずかに140キロほどしか離れていませんでした。
東京から静岡の手前ぐらいまでの距離でしょう。
この距離にお互いの陣営は目を奪われてしまったのです。
相手側の首都を落とすことができれば、この戦争はすぐに終わる・・・と。

北軍司令官アーヴィン・マクドゥウェルは、自軍部隊が烏合の衆であるという認識で、戦闘をする状態では無いと思っていましたが、北部連邦議会は「リッチモンドへ!」の大合唱に包まれており、三ヶ月という期限で兵士を雇った以上、使わずに解雇するわけには行かない状態でした。
そのためリンカーンはマクドゥウェルに対し攻撃命令を出さないわけには行かなかったのです。
マクドゥウェルは五万五千の軍勢を預けられ、やむなくリッチモンドへ向け進撃を開始しました。

一方南部諸州同盟側も状況は似たようなもので、ワシントンを攻撃しろという声に押され、ジェファーソン・ディビスは三万七千ほどの軍勢をワシントンに差し向けます。
それをジョゼフ・ジョンストンとピエール・ギュスターブ・トータント・ボーリガール(ボーレガードともボールゲールとも書かれることあり)の二人に任せ、二方向からワシントンに向かう作戦を取りました。

敵が二方向からワシントンに向かっていることを知ったマクドゥウェルは、自軍部隊も二手に分けそれぞれに対処することにしました。
自分は主力の三万五千を率い、ロバート・パターソン少将に残り一万八千を渡して南軍のジョンストン隊に当たらせることにしたのです。

二手に軍を分けたとはいえ、北軍は人的戦力において優位であり、マクドゥウェルの三万五千対ボーリガールの二万二千、パターソンの一万八千対ジョンストンの一万二千とそれぞれが南軍に対して多い人数を確保しておりました。

しかし、当時の乏しい情報収集力では相手の軍勢の正確な規模を推し量ることは難しいものでした。
パターソンはジョンストンの南軍が終始自軍より規模が大きいと信じて、積極的に攻撃を仕掛けることをためらってしまったのです。
そのため、ジョンストン隊を捕捉しておくという役目を果たすことができず、結局彼の一万八千はこの後の戦いになんら寄与することはできませんでした。

前面にマクドゥウェルの北軍が迫っていることを知ったボーリガールは、すぐにジョンストンを呼び寄せます。
そして、自身はマナサスの鉄道駅付近に陣取って、マクドゥウェルを待ち受けました。
一方マクドゥウェルは、のろのろとした行軍を続けマナサス付近のブル・ラン川(きっと近くを牛が走っていたんでしょうね)付近に陣取ります。
その時にはすでに南軍側にはジョンストン隊が到着した後でした。

マクドゥウェルは自軍と南軍との戦力差がほとんどなくなったことに気がつきましたが、それでも奇襲によって勝利を掴むことは可能だと考えました。
彼は手持ちの兵力の三分の一を別働隊にして夜のうちに右翼の森に向かわせ、早朝夜明けとともに南軍側面へ奇襲攻撃をかけることにしたのです。

上手く行けば南軍に対しかなりの効果を与えるであろうこの作戦でしたが、いかんせん北軍の兵士は未熟な新兵同然の連中でした。
しかも、別働隊の指揮官も地理不案内なために右往左往しながら進む有様で、結局夜明けになっても攻撃開始地点の森にはたどり着けませんでした。

ボーリガールは北軍の一部が迂回行動を取っていることを察知し、その対処のために一部の部隊をマシューズ・ヒルという丘に差し向けました。

午前十時過ぎ、ようやく北軍の攻撃が開始されます。
世に言う第一次ブル・ランの戦い(北軍側の呼び方;南軍側呼称は第一次マナサスの戦い)の始まりでした。

この戦いにはワシントン周辺から物見遊山の人々が大勢訪れておりました。
着飾った紳士淑女が、ピクニックよろしく食べ物を食べ酒を飲みながら戦争を一目見ようとやって来ていたのです。
何せ大きな戦争から100年近く経っているのです。
戦争というものを知らな過ぎました。
やがて戦場に大砲の音が響き、銃弾が飛び交い始めると、人々は不安になります。
戦争ってこんなにひどいものなのか?
そう思い始めたのもつかの間、流れ弾が人々の周辺に着弾するようになると、もはや戦争見物などとは言っていられません。
人々は我先にその場を逃げて行きました。

北軍はテイラー准将の部隊が独断でブル・ラン川の浅瀬を渡り、別働隊と共同でマシューズ・ヒルに圧力をかけたために、南軍は丘を放棄して後背のもう一つの丘ヘンリー・ハウス・ヒルへ後退します。
ヘンリー・ハウス・ヒルを失えば、南軍は総崩れになりかねません。
北軍は嵩にかかって丘に攻め寄せます。

その時、敢然と丘に立っていたのがトーマス・ジョナサン・ジャクソン准将でした。
彼は部下の兵たちを北軍の砲撃の受けづらい反対斜面に配置して、そこから丘を登ってくる北軍を迎え撃ったのです。
銃弾飛び交う斜面の上で(か、どうかはわかりませんが)立って指揮を取るジャクソンの姿は、南軍兵士に勇気を与えます。
「見ろ、ジャクソン将軍が石壁のように立っているぞ!」
この言葉はのちにジャクソン将軍にストーンウォール(石壁)というニックネームを与えることになり、以後ジャクソン将軍はストーンウォール・ジャクソンと呼ばれるようになりました。

ヘンリー・ハウス・ヒルでの戦いが一進一退を続ける中、青い軍服の騎兵隊が北軍砲兵隊に近づきました。
青い軍服は北軍の基本色です。
南軍は灰色の軍服が基本だったので、北軍砲兵は当然この騎兵隊は味方だと信じておりました。

しかし、この騎兵隊は南軍騎兵隊でした。
双方とも物資不足の中かき集められた兵士たちは、手に入る生地で軍服をこしらえたため、北軍でありながら灰色っぽい軍服を着ていた連中や、南軍でありながら青い軍服を着ていた連中がいたのです。

南軍騎兵の攻撃に北軍砲兵は蹴散らされ、捕獲された大砲がかつての味方に火を噴きます。
北軍はこの攻撃に後退を開始。
しかし、南軍の更なる攻撃と、北軍兵士の未熟さから、後退は大混乱となり敗走へと変わります。
散り散りばらばらになって逃げていく北軍でしたが、南軍もまた疲労困憊していました。
南軍は逃げる北軍を追撃でとどめを刺すことができなかったのです。

この戦いは両軍にとって初めての大規模戦闘でした。
北軍の損害は死傷行方不明合わせて約二千九百。
南軍も約二千の損害でした。
この数字は双方の政府にとっては悪夢のような数字でした。
たかだか一回の戦闘でこれほどの損害が出るということと、戦闘に勝ったからと言って戦争が終わるわけでは無いこと。
この二点を深く刻み込まれた双方の政府は、これ以後損害の回復と、長期戦に対する備えに全力を尽くすことになります。

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  1. 2007/03/08(木) 21:16:48|
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