ドイツが第二次世界大戦に突入した1939年9月からわずか2ヵ月後の1939年11月、ドイツの航空機メーカーハインケル社は、ドイツ空軍からジェット戦闘機He280の試作開発の許可を得ることに成功しました。
当時すでにハインケル社ではジェット機の初飛行が行なわれていたのです。
ハインケル社では、ジェットエンジンを主翼にそれぞれ取り付けた双発タイプの実用型ジェット戦闘機としてHe280を開発する予定でした。
機体のデザインは今までのレシプロプロペラ機のデザインを踏襲しておりましたが、垂直尾翼を二枚にしたり、尾輪ではなく前輪式の降着装置にしたり、さらには現在のジェット戦闘機では当たり前になっている座席射出式の脱出装置を取り入れるなどとても先進的な機構を盛り込んでおりました。
戦闘機ですので当然武装も必要で、従来のレシプロエンジンのあった機首部分に30ミリの機関砲を三門搭載するなど強力な武装も搭載されました。
He280の試作機はなんと独ソ戦の始まる前である1941年3月には初飛行し、空軍の高官たちが見守る中ですぐれた飛行性能を見せ付けたと言います。
しかし、He280の不幸はここから始まりました。
まず、搭載しているジェットエンジンが発展余裕がないということで開発中止に追い込まれます。
代替エンジンとして開発されていた新型エンジンも開発が滞り、結局メッサーシュミット社のMe262と同じユモ004エンジンの完成を待たなくてはならなくなってしまいました。

つまり、この時点でHe280は先んじていた有利さをいっさい失い、あとから開発されたMe262と同じ土俵に立たなくてはならなくなりました。
そして、このことがハインケル社よりメッサーシュミット社に戦闘機を作らせたい空軍の思惑も絡んで、ことあるごとにMe262と比較されてしまうことになったのです。
ユモ004エンジンやさらに新型のBMW003エンジンを搭載したHe280は、速度性能や上昇力等ではMe262を上回る能力を見せました。
しかし、すでに空軍はメッサーありきになってしまっていたのか、He280が小型で航続力が短いなどの理由をつけ、ついに採用しようとはしませんでした。
ハインケル社が機体を大型化して航続距離を伸ばすと言ったにもかかわらずです。
結局、以後のジェット戦闘機開発はMe262に一本化されることになり、He280の開発は中止となりました。
機構的には先進的なジェット戦闘機でしたが、エンジン開発に手間取ったのがのちのちに響いてしまったと言えるでしょう。
優秀だったと思われるだけに残念でした。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2012/07/19(木) 21:08:14|
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