昭和17年(1942年)11月14日21時過ぎ(米軍時間)、リー少将率いる米軍戦艦隊は、護衛の駆逐艦四隻を伴ってガダルカナル島近海に侵入しました。
艦隊の先頭には駆逐艦四隻を連ね、戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」がその後ろに続く単縦陣(艦艇が一列に並ぶ陣形)を取っておりました。
同11月14日20時(日本軍時間:米軍時間より約二時間ずれる)、日本軍は重巡「愛宕」、「高雄」、戦艦「霧島」、駆逐艦二隻の射撃本隊と、軽巡「長良」および駆逐艦四隻の木村部隊、軽巡「川内」および駆逐艦三隻の橋本部隊の三部隊に分かれてこちらもガダルカナル島近海に侵入します。
この時点では日本艦隊指揮官の近藤中将は、米軍は巡洋艦数隻と駆逐艦数隻と判断しており、米軍に戦艦がいるとは気がついていませんでした。
この後日本軍は敵艦隊らしきものを認めたものの、スコールに阻まれて見失い、一方の米軍もレーダーで日本軍を探知することができず、お互いに気がつかないままに接近していくと言う状態でした。
23時過ぎ(米軍時間)、米艦隊は日本軍の橋本部隊をレーダーで探知。
戦艦「ワシントン」が40センチ主砲を軽巡「川内」めがけ轟然と撃ちだしました。
橋本少将はこれに驚いたものの、幸い命中弾はなく、煙幕を張って闇にまぎれ、魚雷発射のチャンスを伺うことにします。
一方日本軍時間で21時半ごろ、木村部隊の軽巡「長良」と駆逐艦二隻、さらに橋本部隊から離れて航行していた駆逐艦「綾波」が米艦隊を発見し、砲雷撃戦を開始しました。
中でも駆逐艦「綾波」はたまたま単艦で航行している最中に米艦隊の真っ只中に飛び込むような形となり、一隻で戦艦二隻、駆逐艦四隻と対峙する羽目になってしまいます。
しかし、「綾波」はここぞとばかりに奮闘し、米駆逐艦「プレストン」に主砲弾を命中させ、米駆逐艦「ウォーク」にも命中弾を与えます。

(駆逐艦綾波)
単艦で米艦隊に突っ込んだ「綾波」は集中砲火を浴びてしまいますが、「綾波」は魚雷も米艦隊に向けて発射。
この魚雷は先ほど命中弾を与えた「ウォーク」に命中し、「ウォーク」は船体が二つに割れて轟沈してしまいます。
さらにもう一発の魚雷が米駆逐艦「ベンハム」にも命中し、同艦は航行不能に陥りました。
「綾波」はこうして大活躍をしますが、自らも集中砲火を受け、ついに航行不能に陥りました。
しかし、ようやく戦場に軽巡「長良」以下駆逐艦四隻が駆けつけ、「綾波」の砲撃で損傷した米駆逐艦を攻撃します。
このため、「プレストン」は間もなく沈没、残った米駆逐艦「グウィン」も損傷を受け隊列を離脱せざるを得ませんでした。
航行不能になった「綾波」は米戦艦「ワシントン」の副砲で止めを刺されますが、米艦隊は護衛の駆逐艦四隻を一挙に失うという状態になりました。
日本艦隊はさらに探照灯を照らして戦艦「サウスダコタ」を発見しますが、残念ながら照らしたのが米戦艦なのか味方戦艦の「霧島」なのかが判別つかずに攻撃を断念します。
一方で米軍も「ワシントン」がレーダーで探知した「霧島」に対し主砲を向けましたが、こちらも「霧島」なのか「サウスダコタ」なのか判別がつかずに砲撃を断念。
夜間の海戦での敵味方の識別の難しさが伺えます。
この間近藤中将は、米艦隊がいまだ巡洋艦と駆逐艦という思いにとらわれていたため、木村隊と橋本隊で対処可能と判断し、本隊はガダルカナル島砲撃のコースを取っておりました。
日本軍時間で22時ごろ、日本軍本隊も敵艦隊を発見し、探照灯を照射しました。
すると闇の中に浮かび上がった艦影はまさに巨大な戦艦「サウスダコタ」であり、近藤中将は米戦艦に対し攻撃を命じます。
重巡「愛宕」、「高雄」は20センチ主砲と魚雷を、戦艦「霧島」は36センチ砲をそれぞれ発射。
すれ違いざまに「サウスダコタ」を攻撃するような形で砲雷撃を行いました。

(米戦艦サウスダコタ)
この攻撃で米戦艦「サウスダコタ」は命中弾多数を受け、上部構造物にかなりの被害を受けました。
これは先の戦闘で日本軍駆逐艦の砲弾を艦橋に受けていたことも被害を大きくした要因と思われます。
「サウスダコタ」は結局戦闘不能となって戦場を離脱する羽目になり、旧式戦艦「霧島」は米新型戦艦に手痛いダメージを与えることに成功したのでした。
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- 2012/01/20(金) 21:00:00|
- 旧式と新型の撃ちあい
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おお、ネット落ちしている間に、ブログはずんずんと更新が進んでいますね!
第3次ソロモン海戦と呼ばれるこの海戦には多少の関心があるので、再読してみました。
「サウスダコタ」を痛撃したのは、「霧島」の主砲もそうですが「愛宕」以下重巡艦隊のそれもかなりヒットしたらしいですね。
あれほどの命中弾を浴びながら「サウスダコタ」が撃沈に追い込まれなかったのは、「霧島」の主砲弾が陸上攻撃用の三式弾だったことと、命中弾の多くが重巡の20センチ砲弾だったからなのでしょう。
思うに、第4戦隊(「高雄」型重巡洋艦)の砲戦力は、日本海軍有数のものだったのではないでしょうか。
レイテ沖海戦の劈頭、パラワン水道において「愛宕」「摩耶」の轟沈、「高雄」の落伍という悲劇がなければ、その二日後の米空母群との遭遇戦では、もっと大きな戦果が得られたような気がしてなりません。
それでもやはり、日本の敗戦は動かなかったのでしょうけれど・・・
- 2012/02/03(金) 23:46:57 |
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- 柏木 #D3iKJCD6
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>>柏木様
こうしてコメントをいただけるのはうれしい限りです。
20センチ砲でも上部構造物の破壊には充分でしたでしょうから、「サウスダコタ」にはかなりのダメージだったかもしれませんね。
あのパラワン水道での潜水艦によるダメージは大きすぎます。
日本の対戦能力の低さによるものだったのかもしれませんね。
- 2012/02/04(土) 17:39:03 |
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- 舞方雅人 #-
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