米軍司令官のカラハン少将が日本艦隊の本隊と前衛駆逐艦を別々に見つけたことに気がつかないで確認を求め、また「夕立」を回避するために駆逐艦「カッシング」が転舵したことで艦隊の陣形も乱れてしまっていたころ、「夕立」からの報告とあわせて日本艦隊も米艦隊を確認しておりました。
日本艦隊の指揮官阿部少将は、もはやこの時点においては「比叡」と「霧島」の主砲弾を飛行場砲撃用の砲弾から対艦攻撃用の徹甲弾に交換する暇はないと判断し、両艦にそのままの砲弾で米艦隊を砲撃するよう命じます。
船体の装甲板は貫けなくても、上部構造物を破壊することぐらいはできると判断したのです。
日本軍時間で11月12日23時51分、戦艦「比叡」が探照灯で周囲を照らし出すと同時に砲撃を開始。
この時点で米軍は艦隊の混乱が収まりつつありましたが、貴重な時間を失い日本軍に先手を取られてしまいました。

(比叡)
カラハン少将は艦隊に対し射撃を命じましたが、このときの命令がまた混乱を呼ぶという不手際で、米軍は戦場の真ん中で右往左往する状況に。
そうこうしているうちに日本軍の砲弾が艦隊に命中し始め、新型の防空巡洋艦「アトランタ」の艦橋に直撃弾を受けてしまいます。
「アトランタ」には艦隊の次席指揮官スコット少将が座乗しておりましたが、この一弾で幕僚もろとも戦死。
さらに日本軍の駆逐艦からの魚雷を受けて戦闘不能に陥りました。
ここに至りようやく米艦隊も探照灯を照らして砲撃を開始します。
もはや最初のレーダー射撃で一方的になどという状況ではなくなり、海上は敵味方双方の艦艇で混乱に陥っていきます。
米軍の射撃は探照灯を照らした戦艦「比叡」に集中しました。
闇の中で煌々と探照灯をつけ、しかもそれが大型艦となれば狙われるのは必定でした。
巡洋艦や駆逐艦の主砲、高角砲、機銃までが「比叡」に向けられ、「比叡」の上部構造物は大損害を受けて炎上してしまいます。
一方もう一隻の戦艦「霧島」はほかの日本艦と共同で米軍の巡洋艦を攻撃。
米軍の旗艦「サンフランシスコ」に命中弾を与え、こちらは司令官のカラハン少将を戦死させます。
主席指揮官、次席指揮官をともに失った米軍は、こうなるともう各艦個々で砲撃するしかありませんでした。
その後も双方入り乱れての砲撃戦雷撃戦が続きましたが、米艦隊の臨時指揮官となった軽巡「ヘレナ」艦長のフーバー大佐が各艦に離脱を命じたことで戦闘は終了となりました。
フーバー大佐のもとによたよたと集まってきた米艦隊は、見るも無残な有様となっておりました。
旗艦重巡「サンフランシスコ」大破、重巡「ポートランド」大破、防空巡「アトランタ」大破のち処分、防空巡「ジュノー」大破のち退避中に日本軍の潜水艦に攻撃され沈没、軽巡「ヘレナ」小破と主力の巡洋艦は五隻すべてが損傷を受けました。
駆逐艦も被害は多く、四隻沈没、一隻大破、二隻中破、無傷だったのは駆逐艦「フレッチャー」のみという状態でした。
米軍には及ばないまでも日本軍もまた大きな損害を受けました。
駆逐艦「夕立」は敵発見後単艦で米艦隊に殴り込みをかけるなど活躍しましたが、米軍の集中砲撃を受け大破。
のち処分となります。
また駆逐艦「暁」が沈没し、「天津風」「雷」「春雨」が損傷を受けました。
そして、上部構造物に大きな被害を受けた戦艦「比叡」は、舵が故障して速力が出せなくなっておりました。
このままでは夜明けとともに米軍機の攻撃を受けるのは必至であり、阿部少将は駆逐艦「雪風」に移乗して何とか曳航を試みようとしました。
また空母「隼鷹」や陸上基地から上空直援の戦闘機も向かいましたが、夜が明けるとやはり米軍の航空攻撃が始まり、「比叡」は何発もの命中弾を受けてしまいます。
阿部少将はもはや「比叡」を救う手立てなしとして「比叡」の処分を命令します。
そして自沈の準備を行い艦底の弁を開け乗組員を駆逐艦五隻に移乗させて「比叡」のそばを離れました。
五隻の駆逐艦が「比叡」を離れてしばらくすると、山本五十六連合艦隊司令長官よりの電文が入ります。
「比叡」の処分を待てというのです。
理由は、「比叡」を浮かべておけば米軍は「比叡」を沈めようと航空機を差し向けるに違いなく、「比叡」に米軍機の目をひきつける囮になってもらおうというものでした。
阿部少将は再び「比叡」の元へと戻りましたが、すでに「比叡」の姿はありませんでした。
おそらく戻ってくるまでに沈んでしまったのでしょう。
「比叡」はこの戦争で最初に沈没した日本の戦艦となりました。
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- 2012/01/11(水) 21:00:00|
- 旧式と新型の撃ちあい
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空母戦ではあれほど嫌な存在だったアメリカの防空巡も水上戦ではなんともあっけないですね。とは言え、巡洋艦で戦艦を止めたのですから敵ながら天晴れと言うべきか・・・。
- 2012/01/11(水) 22:57:29 |
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- 富士男 #-
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アトランタ級のネームシップだったこのフネは、
じつに特異な艦形をしていますね。
高角砲が三基、背負い型に居並んでいて、
艦橋も、なんともナローなたたずまいで、
(後期型はもっと直線的な印象でした)
その背後に、エントツが二本。
そのあとはふたたび、高角砲の坂道。。。
よくみると、へさきから艦中央部にかけては、シアの傾斜がすごいです。
ビー玉おいたら、絶対転がるだろう・・・みたいな。
日本艦ならふつうは、二本の煙突のあいだに魚雷発射管をすえつけたいところですが、
真ん中が中途半端な空間になっているあたりが、個人的には印象に残っています。
戦後の自衛艦「たかつき」クラスが、ちょうどこんな感じだったでしょうか?
煙突二本のあいだのあの空間・・・なんとも不思議な感じがしてなりません。
- 2012/01/13(金) 22:56:30 |
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- 柏木 #D3iKJCD6
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>>柏木様
歴史系戦史系の記事には反応が薄いことが多いので、こうしてコメントいただけますのはうれしいです。
「アトランタ」級、確かに船体中央部があいているような感じがしますよね。
でも、ただでさえトップヘビーだったそうですので、これ以上何かを載せるということもできなかったんでしょうね。
- 2012/01/14(土) 20:49:13 |
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- 舞方雅人 #-
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