オーストリア装甲艦「フェルナンド・マックス」の衝角により、イタリア装甲艦「レ・デ・イタリア」は沈められました。
しかし、オーストリア戦列艦「カイザー」によるイタリア装甲艦「レ・デ・ポルトガロ」への衝角攻撃は失敗し、むしろ「カイザー」のほうが損傷を受けてしまいました。
体当たりの衝撃と砲撃で損傷した「カイザー」に対し、イタリア側も装甲艦「アフォンダトーレ」が何度か衝角攻撃を試みましたが、やはり非装甲艦とはいえ足の止まっていない敵艦への衝角攻撃はうまく行かず、結局「カイザー」はその場を脱出することに成功します。
お昼12時過ぎになり、両艦隊はいったん戦列を立て直すために南北に分かれます。
これが事実上の「リッサ海戦」の終了でした。
オーストリア・イタリア両艦隊はこれ以後もしばらくにらみ合いを続けますが、14時30分ごろに海戦で砲撃を受け炎上していたイタリア装甲艦「パレストロ」がついに火薬庫に引火して爆発。
「パレストロ」は海の底へと沈んでいきました。
イタリア艦隊司令官のペリオン提督はもはや戦闘を続ける気はありませんでした。
麾下のイタリア艦隊はすでに残弾も燃料も乏しく、装甲艦も二隻沈められてしまっておりました。
オーストリア艦隊司令官のテゲトフ提督も以後の戦闘をためらっておりました。
二隻のイタリア装甲艦を沈めたとはいえ、敵はまだ装甲艦九隻を持っているのです。
必殺のはずの衝角攻撃がほとんど当たらないというのも想定外のことでした。
結局両艦隊は日没とともに引き上げ始めました。
イタリア艦隊はリッサ島上陸をあきらめてアンコナ港へ向かい、オーストリア艦隊もそれを見送ったあとでポーラ港へと帰還しました。
「リッサ海戦」の終了でした。
イタリア艦隊は海戦で「レ・デ・イタリア」「パレストロ」の二隻を失い、六百名以上の戦死者を出しました。
それに対しオーストリア艦隊は一隻も失わず、戦死者も四十名ほどと少ないものでした。
海戦はどう見てもオーストリア側の勝利でした。
アンコナ港に帰還したイタリア艦隊でしたが、ここで更なる悲運に見舞われます。
ペリオン提督の旗艦を務めた新鋭装甲艦「アフォンダトーレ」が、荒天によって転覆沈没してしまったのです。
これは海戦での損傷も原因だったといわれます。
(ただ、「アフォンダトーレ」の近代化改装後の写真が残っているので、のちに引き揚げられたものと思われます)
この海戦の勝利で、オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督は名声を確固たるものにいたしました。
普墺戦争後、彼はマリア・テレジア勲章を受章し、中将へと昇進します。
さらに軍事省海軍部長にも就任し、オーストリア海軍の改革と発展に努めました。
しかし、この海戦からわずか五年後の1871年、肺炎のため急死いたします。
43歳という若さでした。
一方イタリア艦隊司令官ペルサーノ伯カルロ・ペリオン提督は、自己保身のために海戦は勝利したという捏造まで行ったといいます。
しかしそのような捏造が通じるはずもなく、司令官を罷免された後査問委員会で怠慢と無能を理由に大将の階級を剥奪されたといいます。
また、ペリオン提督の命令を無視して戦闘に参加しなかった非装甲艦部隊の指揮官アルビーニ提督も司令官職を罷免されました。
「リッサ海戦」は終わりました。
ただ、この海戦が「普墺戦争」にもたらした影響はほとんどありませんでした。
勝利したとはいえオーストリア海軍はアドリア海の制海権を奪うことはできず、アドリア海はなおイタリア海軍が優勢でありました。
しかし、イタリアにとっても目的であったヴェネツィアを奪い取ることにこの海戦は何の益ももたらしませんでした。
この海戦は、非装甲艦の時代が完全に終焉したことを告げるものでした。
双方の装甲艦で大砲によって装甲を撃ちぬかれた艦は一隻もありませんでしたが、非装甲艦は大きな損傷を受けました。
非装甲艦では装甲艦に勝つことはできないとはっきりしたのです。
また、装甲艦に対する衝角戦闘の威力を見せ付けた海戦でもありました。
「フェルナンド・マックス」の衝角は「レ・デ・イタリア」の舷側を貫き、撃沈せしめたのです。
これ以後、各国の軍艦は衝角戦闘こそが装甲艦を撃沈する手段だと考えるようになりました。
ですが、自由に動く艦艇に衝角を当てることが至難の業だということもまたこの海戦で明らかになりました。
「レ・デ・イタリア」に対する衝角攻撃は、相手が停止していたから命中したに過ぎません。
以後動力が発達するにつれ艦艇の速力も上がってくると、衝角を当てることはますます困難になっていきました。
そしてついに、1894年の「日清戦争」における「黄海海戦」において、衝角攻撃を行おうとした清国艦隊に対し、日本艦隊は砲撃をもってこれを撃破したことで、衝角戦闘がもはや通用しないことがはっきりしてしまいます。
以後、海戦において衝角戦闘が行われることはなくなりました。
「リッサ海戦」は、装甲艦による衝角戦闘というものの、ほんの一瞬の輝きだったのでした。
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- 2011/12/16(金) 21:11:27|
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