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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

普墺戦争(6)

「ワーテルローの戦い」が行われ、フランス皇帝ナポレオン(一世)が再びフランスを追われた1815年、プロイセン王国で一人の男がこの世に生を受けました。
この男の名はオットー・フォン・ビスマルク。
のちにヒトラー率いるドイツ第三帝国がその名を戦艦の名前として冠することになるビスマルクです。

ビスマルクは大地主であり貴族というユンカーと呼ばれる階級の出身で、大学で法律を学んだあとプロイセンの軍隊に入隊。
軍隊を1845年にやめたあとは政界に転じて国会の下院議員となります。
その後はドイツ連邦議会にプロイセン代表として派遣され、フランス公使やロシア公使なども歴任します。
こうした経歴は彼の視野を広げるのに大いに役立ったことでしょう。

1861年、フリードリヒ・ヴィルヘルム四世の死去に伴い、弟のヴィルヘルム一世がプロイセン国王に就任します。
ヴィルヘルム一世は時代の流れに即して穏健な保守的自由主義層との協調を図りましたが、この年の選挙では急進的な党が議席を伸ばしてしまい、プロイセンの軍制改革を行って軍を強化しようと考えていたヴィルヘルム一世は苦境に追い込まれてしまいました。

そこでヴィルヘルム一世は事態打開のためにこのオットー・フォン・ビスマルクに白羽の矢を立てます。
ビスマルクはヴィルヘルム一世によりプロイセン王国の首相兼外相に任命され、王の期待通りに議会を制して軍事関係の予算を認めさせることに成功しました。

このときビスマルクは、ドイツ統一という問題に対する自己の考えを演説し、ドイツ統一は演説や多数決ではなく鉄と血によってこそ解決されるものであると訴えました。
鉄とは軍事力であり、血とは戦う兵士たちのことをあらわしているとされます。
このことからビスマルクは「鉄血宰相」という呼び名で知られることとなりました。

ビスマルクはほとんど強行的とも言える形で議会を押さえつけて軍事力強化の道を開きましたが、これによってプロイセン軍は大幅に兵員数が増加され、常備軍の兵員数はそれまでの七万未満から一挙に五十万人にまで増強されることになったのです。
プロイセンはすでに戦争でドイツ統一を進めるつもりであり、そのためにはまずオーストリア帝国をたたく必要がありました。
オーストリアの常備兵員数は約六十万人。
プロイセンはなんとしても互角に戦える兵員数を確保しなくてはならなかったのです。

ビスマルクはもちろん軍事力の強化にのみ力を入れていたわけではありませんでした。
欧州は長年の利害関係から、一国対一国の戦争のはずがいつの間にか国際戦争になってしまうこともままあります。
そこで将来的にオーストリア帝国と戦争になった場合に備え、周辺各国に根回しをしておくのです。
このためビスマルクは、統一なったイタリア王国やナポレオン戦争時の同盟国だったロシア帝国、そしてナポレオン三世のフランス帝国にも良好な外交関係を維持するべく奔走します。
そして、なんと、いずれは戦争になるであろうと考えるオーストリア帝国ともある問題の解決のために共同歩調をとるよう接近するのです。
そのある問題とは、「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題」でした。

「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題」とは、当時デンマークの支配下にあったユトランド半島の付け根部分に位置するシュレスヴィヒ州とホルシュタイン州の独立運動に関する問題でした。
この二州は十五世紀以来デンマークの支配下に置かれてきましたが、ドイツ系住民が多く、ナポレオン戦争後に広まった民族自決の気風に乗り独立運動を起こしていたのです。

もちろんこれはデンマークにとっては認められるものではなく、独立運動を力で押さえ込み両州を吸収合併してしまおうとするデンマークと、両地方の独立を支援し、のちのち統一ドイツに組み込もうとするプロイセンとの間に「第一次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争」が勃発。
序盤有利に戦局を進めたデンマークも、プロイセンが直接介入したことで劣勢となり窮地に陥ります。
しかし、プロイセンの伸張に脅威を感じたロシアやオーストリア、英仏などが戦争に介入して強制的に戦争を終結させ、1852年に「ロンドン議定書」を無理やり調印してデンマークが両州を吸収しない代わりに支配下に置き続けるという妥協が成立したのでした。

当然この結果はプロイセンにとっては面白くないものであり、いずれはデンマークから両州を独立させようともくろむプロイセンでしたが、意外にも早くその機会が訪れます。
1863年、デンマーク国王フレデリク七世の死去に伴いクリスチャン九世がデンマーク王位につきますが、そのとき継承する国土にシュレスヴィヒとホルシュタインが含まれるとの主張に対し、プロイセンはそれは「ロンドン議定書」違反であると主張します。
そしてプロイセンの首相ビスマルクは、両州はもともと神聖ローマ帝国の一部であるのだから、力をあわせてデンマークから取り戻すべきだとオーストリア帝国に働きかけます。
この主張に乗ったオーストリアはプロイセンと同調してデンマークに圧力をかけました。

圧力に屈しなかったデンマークでしたが、ビスマルクは周辺諸国を中立化させ、オーストリアとともにデンマークに宣戦を布告。
1864年2月、「第二次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争」が勃発いたしました。

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  1. 2011/11/02(水) 21:15:45|
  2. 普墺戦争
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