今日は帝都奇譚の20回目です。
少しばかりですが、よろしくお願いいたします。
20、
「うわー! 来るなぁっ!」
笑みを浮かべながら走りこんでくる女性に対し、助野は叫びながら銃を向ける。
だが、狙いを定める暇も無く、ましてや撃ったことの無い助野は手が震えてしまって引き金を引くことすらできやしない。
「キャハハハハハ・・・」
紅葉と呼ばれた女の魔物は、人間離れした素早さで助野のそばに走り寄ると、あっという間に手刀で拳銃を叩き落す。
「うわぁっ!」
助野はうめき声を上げ手首を押さえる。
紅葉はそのまま助野の襟首を掴んで引き寄せると、一気にのど笛に噛み付いた。
「ひゅうぁ・・・げぼっ」
助野の口から血があふれる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
両手で口元を押さえた灯の悲鳴が響き渡る。
「こいつのエキスなどいらない。お前のエキスをおよこし!」
口をパクパクさせ、瀕死の重傷を負っている助野をその場にほうり棄て、紅葉の赤い瞳が灯の方を向く。
「ああ・・・あ・・・だ・・・誰・・・か・・・」
動かない足を必死に引き摺り、灯は助けを呼ぼうとかすれた声を上げる。
「紅葉よ」
唐突にヴォルコフが声を発した。
今にも襲いかかろうと身構えた紅葉の動きが止まる。
「はい、ヴォルコフ様」
甘えるようなうっとりした目でヴォルコフに振り返る紅葉。
彼女にとってはヴォルコフこそが全てであり、それ以外のものは意味を成さないのだ。
「その女はわしに捧げよ」
紅葉はゆっくりとうなずく。
「かしこまりました。ヴォルコフ様」
次に何が起こったのか?
紅葉の動きに息を飲んだ瞬間、灯の意識は遠くなっていた。
夜の帳が辺りを覆う。
街灯が照らし出すのはほんの一握りの空間に過ぎない。
太正の御世とはいえ、まだまだ帝都も江渡の世界を抜け出していない一角も多いのだ。
だが、そんな暗い通りを歩く一人の若い女性がいる。
いや、少女と言ってもいいだろう。
ハイカラな紺色の女学生の制服、セーラー服を身に纏い、ゆっくりと歩いている。
気になるのはその足取り。
何となく覚束ず、まるで酔っているか夢遊病のような感じ。
ハア・・・ハア・・・
息が荒い。
こんな時間に女性が出歩くことだけでも不自然であるが、彼女は何か熱に浮かされたような呆けたような表情を浮かべている。
「小夜・・・小夜・・・」
切れ切れに聞こえる呟き。
歩みは止まらない。
やがて彼女は一軒の家の前で止まる。
大きな庭のある日本家屋。
中からは明かりが漏れ、そろそろ眠りの準備をしていることだろう。
「・・・うふ・・・」
少女の口元に笑みが浮かぶ。
少女自身その笑みを浮かべたことには気が付いていないだろう。
なぜ自分がここにいるのかもよくわかっていないに違いない。
だが、彼女はここにいた。
喉の渇き・・・ただそれを癒したかった。
真木野。
玄関の表札にはそう書いてある。
「小夜・・・」
彼女はトンと地面を蹴った。
ゴム底の運動靴が彼女の力を地面に伝える。
黒いタイツに包まれた脚が宙に浮き、彼女の躰を跳ね上げた。
塀を飛び越え、庭に降り立つ少女。
スカートがふわりと翻り、黒髪がはらはらと舞う。
音はしない。
一陣の風のごとく、ただ静かに庭に立ち尽くすのみ。
家人は誰も気がつかない。
少女は再び笑みを浮かべるのだった。
「ふう・・・」
パタンと本を閉じ、首を回す。
集中して読んでいたので首筋が固まっている。
面白い小説。
芥川龍之介の作品は小夜にとっては興味深い。
今日も遅くまで読みふけってしまった。
そろそろ寝ないと明日がつらくなるだろう。
小夜はそう思い、寝る支度をするために立ち上がる。
『小夜・・・』
「えっ?」
小夜はふと自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
部屋には彼女一人。
家人は居間の方にいるので、家人が呼んだのかもしれない。
でも、それにしては変だった。
『小夜・・・』
「誰?」
小夜は少し気味が悪くなる。
一体誰が自分を呼ぶのだろう。
『小夜・・・』
声は庭のほうから聞こえてくる。
いや、それは本当に声なのか?
小夜には耳からではなく頭の中に響いてくるように感じるのだ。
「誰? 誰なの?」
部屋の障子を開け、窓の外を見る小夜。
闇に包まれた庭がそこにはある。
『小夜・・・私よ・・・』
闇に包まれた庭に人影が見える。
誰?
疑問に思ったのは一瞬だった。
人影の目が小夜を見つめたのだ。
その中にごくわずかな赤い輝き。
その赤い輝きが小夜の脳を貫いていく。
あ・・・
小夜は我を失った。
- 2007/02/05(月) 21:54:57|
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