1939年に始まった第二次世界大戦でしたが、アメリカは1941年の日本軍による真珠湾攻撃まではまだ中立(連合国側寄りでしたが)を保っておりました。
しかし、じょじょに戦争の機運が高まってくると、太平洋の強力な日本海軍と、大西洋及び地中海のドイツ・イタリア海軍に対抗しなくてはならない米海軍としては、大幅な艦隊増強を行わなくてはならなくなってきます。
そこで米海軍は「二大洋艦隊整備計画」と銘打ち、艦艇の大量生産を行うことに決定します。
それは空母や巡洋艦は言うに及ばず、駆逐艦や護衛駆逐艦、そして潜水艦も大量生産しようというものでした。
この時点で米海軍は、1939年度と1940年度に「タンバー」級潜水艦を建造しておりましたが、このタンバー級潜水艦に特に大きな問題点が見られなかったことから、潜水艦の大量生産にはこのタンバー級の微改良型を建造するのがよいという結論となり、タンバー級の後期建造艦の艦名がGで始まっていたことから、艦名もGで始まる「ガトー(Gato)」が一番艦の艦名として付けられました。
第二次世界大戦のアメリカ潜水艦として大量産が行われたガトー級潜水艦の始まりでした。
ガトー級潜水艦は、上記のようにタンバー級潜水艦を若干改良しただけのもので、全長が1.5メートルほど伸び排水量も若干増えた程度しか変わりません。
全長は95メートル、最大幅は8.2メートルで、水上排水量1500トン、水中で2400トンの中型潜水艦です。
日本で言えば、ちょうど小型の呂号と大型の伊号の間ぐらいの大きさでしょうか。
水上での最高速力は20ノット。
水中では電池走行になり8.75ノット。
安全な最大潜航深度は90メートルというものでした。
武装は53センチ魚雷発射管を艦首側に6門、艦尾側に4門の計10門。
砲撃用に76ミリ砲を1門と20ミリ対空機関砲を2門搭載しておりました。

タンバー級そのものがある意味完成度が高い潜水艦であったため、ガトー級もほとんど問題の無い潜水艦として大量生産の際に大幅な設計変更を禁じるという措置が取られましたが、戦訓に基づく小改良は順次行われていたようです。
ガトー級は前期型(いわゆるガトーを一番艦とする同設計艦)が77隻建造された上、船体を改良して安全最大潜航深度を120メートルにまで増大した後期型(バラオ級と区別されることも)が118隻の大量195隻が建造されるという空前の大量生産潜水艦でした。
これらガトー級は太平洋大西洋の双方で活躍し、日本海軍の戦闘艦を多数沈めたほか、通商破壊や航空機の脱出パイロットの救出、スパイの送り込みや物資の隠密輸送など多様な任務に就いたのです。
大量に建造されたガトー級は、終戦時にも多くが生き残り、その一部は外国に供与されたり貸与されたりいたしました。
日本の海上自衛隊の黎明期にも一隻が引き渡され、SS-261ミンゴがくろしおという名に改名の上運用されました。
ドズル中将の名言の一つに、「戦いは数だよ」というのがありますが、ガトー級はまさに一定の能力を持つ兵器を大量に装備するという数の威力を体現した兵器の一つといえるのではないでしょうか。
それではまた。
- 2011/08/25(木) 21:15:28|
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>「二大洋艦隊整備計画」と銘打ち、艦艇の大量生産を行うことに決定します
優秀な船乗りを揃えるのは時間がかかると思うのですが、戦争中のほんの数年でこれだけの大艦隊を作って運用してしまうアメリカは心底恐ろしいと思いますね。商船の優秀な船員なども海軍に大量動員したんでしょうか。
>大量195隻が建造されるという
日本を敗北させた兵器はB-29が思い起こされる事が多いですが、このガトー級の方が功績が大きかったのではないでしょうか。空襲だけで敵国を降伏させる事はバトル・オブ・ブリテンやベトナム戦争中の北爆で困難であると示されましたが、補給が遮断されれば敵国はもうどうしようもないですから。
- 2011/08/27(土) 00:30:55 |
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- 富士男 #-
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>>富士男様
確かに船だけ作ればいいってもんじゃないですからね。
乗組員が必要ですから。
実際の米海軍がどうだったかは存じませんが、映画「眼下の敵」にでてきた護衛駆逐艦の艦長は貨客船の航海士出身でしたので、民間から結構引き抜いたんじゃないでしょうか。
また、おっしゃるとおり日本のシーレーンの壊滅に一役も二役も買ったのがこのガトー級ですね。
日本商船がかなり沈められましたし、空母や巡洋艦まで沈められました。
脅威だったと思います。
- 2011/08/27(土) 18:57:18 |
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- 舞方雅人 #-
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