第二次世界大戦前、次期航空機用エンジンとしてのジェットエンジンの開発はソビエト連邦でも行われておりました。
しかし、1939年に第二次世界大戦が始まってしまうと、新技術であるジェットエンジンの開発は後回しにされてしまい、ソ連ではジェット機の開発が止まってしまいます。
終戦が近い1944年になると、ようやくソ連でもジェットエンジンの開発が再開されますが、程なくドイツとの戦争は終結し、ドイツの技術を手に入れることができるようになってしまいました。
すでにドイツではメッサーシュミットMe262やハインケルHe162のようなジェット機を実用化しており、ドイツの技術が手に入る以上、自前でジェットエンジンを作る必要はなくなったことから、ソ連は自国製のジェットエンジンではなくドイツベースのジェットエンジンでジェット戦闘機を作ることに決定します。
このドイツ製BMW003ジェットエンジンを国産化したРД-20(RD-20)エンジンを用いて作られたソ連戦闘機がミコヤン・グレビッチ設計局のMig-9です。
BMW003(RD-20)は直径の細い小型ジェットエンジンでしたが、残念なことに推力が低く、Mig-9はエンジンを双発として推力の低さを補うことにしました。
Mig-9では胴体部分にこのエンジン二基を並べて置き、機首の先端の空気取り入れ口を中央で分ける形で二つのエンジンに空気を供給する形状を取りました。
そのため、外見からは双発とは思えないような機体形状となりました。
主翼はまだ後退翼の概念を取り入れるまでには至らず、大戦中のレシプロ(プロペラ)戦闘機のような直線翼でした。
主翼の付け根の辺りにジェット噴射口があり、そこから後部胴体が伸びて尾翼につながります。
見ようによってはレシプロ戦闘機のエンジンをジェットにして、後部に無理やり噴射口を開けたと言えないことも無いでしょうか。

Mig-9は最高速度が910キロにも達し、航空機としては悪くない機体でした。
ソ連空軍もすぐさま制式採用し、Mig-9は実戦配備されることとなりました。
しかし、Mig-9は残念ながら使えない戦闘機でした。
航空機としては欠点らしい欠点もなく問題はありませんでしたが、問題は武装でした。
Mig-9は破壊力の高い37ミリ砲を一門と23ミリ機関砲二門を武装として搭載いたしましたが、23ミリ機関砲を胴体下部に取り付けたのはよかったものの、37ミリ砲をどこに搭載するか悩んだ挙句に、空気取り入れ口の中央にある仕切り版に装備してしまったのです。
これは残念ながら最悪の結果を生んでしまい、Mig-9は射撃を行うと37ミリ砲の発射時の発射ガスが空気取り入れ口から取り込まれてジェットエンジンに悪影響を及ぼしてしまうのです。
最悪の場合はジェットエンジンが止まってしまい、機体が墜落する羽目に陥ってしまうため、Mig-9はせっかくの武装を使うことができないという戦闘機としては致命的な欠陥を持つことになってしまいました。
Mig-9はその後武装の位置を変更したMig-9Mも作られましたが、すぐに後継ジェット戦闘機のMig-15が実用化されたために生産機数は少数で終わりました。
一部のMig-9は「朝鮮戦争」でも使用されたといいますが、活躍したという記録は残っておりません。
戦闘機としては欠陥機となってしまったMig-9でしたが、その後のミコヤン・グレビッチ設計局デザインの戦闘機が冷戦中のソ連軍戦闘機の主力となっていたことを考えますと、その基礎となったことは間違いないでしょう。
武装配置さえ適切だったなら、いい戦闘機といわれた機体だったかもしれませんね。
それではまた。
- 2011/07/26(火) 21:17:46|
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