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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

決して最新技術ではないけれど・・・

1930年、英国はその空を守る防空戦闘機の更新を計画します。
この時点での英国空軍の主力戦闘機は複葉機のホーカー・フューリーでしたが、やはりこれからの戦闘機としては単葉の全金属製であることが求められたのです。

しかし、搭載するエンジンの開発の遅れや世界恐慌による開発費の不足等があり、結局英国空軍はグロスター・グラディエーター複葉戦闘機を選ばざるを得ませんでした。

一方今までの主力戦闘機フューリーを製造していたホーカー社も、フューリーの後継機の計画を立てておりましたが、1934年になりロールス・ロイス社が新型エンジン(のちのマーリンエンジン)の開発に成功したことを受けて、この新型エンジンを搭載する単葉戦闘機の開発を始めます。
この新型機計画は英国の航空省にも認められ、試作機の製作に許可が下りました。

ホーカー社は試作機の開発を順調に行い、1935年11月6日に初飛行を迎えます。
試作機は飛行試験でそれまでの戦闘機を大きく上回る性能を見せ、英国空軍はすぐにこの新型機を「ハリケーン」と名づけた上で量産に入るように指示いたしました。

「ハリケーン」は最初の量産機Mk.Ⅰの時点ではプロペラの羽根も二枚しかなく、胴体や主翼も一部が木製布張りであるなど、当時の新型機としては旧式のイメージのある機体でした。
英国空軍の求める全金属製でモノコック構造という近代的戦闘機ではなかったのです。
これはホーカー社の製造技術や、量産ラインの対応能力などが問題となってしまったからでした。

英国空軍の求める新型戦闘機は、「ハリケーン」の初飛行から四ヵ月後にスーパーマリーン社が「スピットファイア」を初飛行させたことでかなえられることになりました。
しかし、新技術を多用した全金属製戦闘機「スピットファイア」は、その量産がスムーズに行えるかどうかが未知数でした。

一方ホーカー社の「ハリケーン」は確かに最新技術の固まりというものではありませんでしたが、その製造法はすでに熟知されており、技術も定着したものでした。
そのため量産もしやすく、配備された機体も前線部隊では今まで使っていた機体とそう変わらずに使用できる使い勝手のよいものでした。

「ハリケーン」は1937年12月より部隊配備が開始され、第二次世界大戦序盤の英国空軍の主力戦闘機となりました。
「ハリケーンMk.Ⅰ」は武装は7.7ミリ機銃を8挺も搭載する強力武装でしたが、反面装甲板や燃料タンクの自己閉鎖能力などは持たず防御には難があると考えられました。
しかし、実際に大戦に入って空戦を行ってみると、軽い機体は運動性もよく、また撃たれて穴が開いても致命的なことにならずにすむことが多いことがわかりました。
また、期待の保守整備が簡単で修理もしやすくすぐに戦線復帰が可能でした。

「ハリケーン」は量産開始後からすぐに改良が施され、プロペラの羽根が三枚に増やされたり主翼が全金属製に変更されるなど性能向上に努力が払われました。
ですが、それでもドイツ空軍が投入してきたメッサーシュミットBf109に対しては性能面で劣っており、空戦での被害は増加していきました。

ホーカー社はエンジンを「マーリンXX(20)」に換装した「ハリケーンMk.Ⅱ」を開発し、武装も7.7ミリ機銃12挺に増やすなど強化に努めますが、それでもメッサーシュミットBf109との性能差はそう簡単には縮まりませんでした。
ハリケーンMk.Ⅱ

ですが、「ハリケーン」の機体の堅牢さや量産のしやすさ、維持補修のしやすさは、Bf109との性能差を補って余りあるものでした。
1940年にバトルオブブリテンが始まった時点で、英国空軍の戦闘機中隊の数は、「スピットファイア」装備中隊17個に対し、「ハリケーン」装備中隊は26個と多数を占めていたのです。

また、フランスやノルウェー上空では地上からの支援を受けられなかったためにBf109に水をあけられてしまったものの、英国本土の上空では地上からの迎撃指揮等の支援がしっかりしていたこともあり、Bf109と互角の勝負ができたのです。

また、性能のいい「スピットファイア」がBf109を引き受けている間に、「ハリケーン」はドイツ軍の爆撃機を攻撃するという役割分担も行われ、これによってドイツ軍の爆撃機は大きな損害を受けました。
一説にはバトルオブブリテンでのドイツ軍爆撃機喪失の八割は「ハリケーン」によるものだったといわれます。

「ハリケーン」は「スピットファイア」の量産が軌道に乗ってきた1941年以後は地上攻撃を主とする戦闘爆撃機としての運用が多くなりました。
それでも1943年にはエンジンと主翼を改良したMk.Ⅳが開発され、カナダでも製造されるなど多くの機体が量産されました。

最終的には1万4千機もの「ハリケーン」が製造され、「スピットファイア」や「タイフーン」などが英国空軍の主力となった後も終戦まで一部では使われ続けました。

「ハリケーン」はいわば完成した技術で作られた保守的な戦闘機であり、傑出した性能を持っていたわけではありませんでした。
しかし、使い勝手がよく維持補修も簡単で壊れにくい「ハリケーン」は、まさに英国の危機のときにその上空を守りきった戦闘機だったのです。
そして第二次世界大戦を通しての通算敵機撃墜機数においては、「スピットファイア」を上回ったのでした。

今日はこれにて。
それではまた。
  1. 2011/06/23(木) 21:22:08|
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