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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

英語ではワスプ

大砲が発明されて以来、戦場を移動しようとする大砲は大砲そのものに車輪を取り付け、それを馬何頭かで牽引するというのが長い間の姿でした。

20世紀に入り内燃機関で動く車両が普及してくると、この大砲も馬ではなくトラクターのような自動車両で牽引しようということになりましたが、やはり牽引することに変わりはありませんでした。

しかし、機械化の進んだ第一次世界大戦が始まると、大砲もいちいち馬やトラクターで牽引するのではなく、車両そのものに載せて自走できるようにしてしまおうという思想がでてきます。
そこで各国で車両に載せられた大砲、いわゆる自走砲が何種類か作られることになりました。

ドイツでもこの大砲の自走化の試みは行われ、トラックに大砲を載せた自走砲が幾種類か作られました。
ですが、第一次世界大戦の終結とともに結ばれたヴェルサイユ条約によって軍備を制限されたドイツは、こうした自走砲の開発が止まってしまいます。

それでも戦勝国の目を逃れてひそかに再軍備のための研究が始まりますと、あらためて大砲は牽引式がいいのか自走式がいいのかという議論が起きてきました。
1930年代前半には、大砲は牽引式がいいという一応の結論がでるのですが、これは当時のドイツが思想的に遅れていたというわけではなく、故障が多かった当時の車両に対する信頼性の低さからであり、車両の信頼性が高まるに連れて自走砲は見直されていくことになります。

とはいえ見直されていったといっても、その研究はそれほどはかばかしいものではなく、実際に自走砲の研究が発展し始めるのは第二次世界大戦が始まる前後のことだったといいます。

第二次世界大戦が始まると、ドイツの自走砲は急速に発展を遂げていくことになりますが、装甲のないトラックやハーフトラックに砲を載せた自走砲では路外機動性に難があるため、やはり全装軌式車両に砲を載せた自走砲が望まれることになります。
となれば、すでに戦車としての能力には限界が来た旧式の戦車の車台を使って砲を載せた自走砲を製作しようというのは当然の発想でした。

その最初のものとしては、旧式となった一号戦車の車体を使って47ミリ対戦車砲を搭載した一号対戦車自走砲や、同じく一号戦車の車体に150ミリ重歩兵砲を載せた一号自走歩兵砲などがあり、いずれも自走砲として一定以上の高い評価を受けることができました。

そうなると、ドイツの歩兵師団の主力支援砲である105ミリ榴弾砲leFH18を自走化したいという要望が出てくるのもこれまた当然のことであり、このleFH18を搭載する自走砲を早期に戦力化しようという動きが生まれます。
そして、その車台に選ばれたのが、西方電撃戦や独ソ戦の開始によって戦車としての限界に達していた二号戦車でした。

二号戦車は1942年にはもう戦闘力の低さから主力戦車の地位を退いておりましたが、信頼性の高い駆動系を持っており、自走砲の車台としてはうってつけでした。
現に1942年半ばには75ミリ対戦車砲PAK40を搭載する「マーダーⅡ」として自走砲化されており、車台として使えることは証明されておりました。

ラインメタル社とアルケット社は共同でこの二号戦車の車台に105ミリ榴弾砲leFH18を自走砲用に改修したleFH18/2を搭載する自走砲の試作を行います。
マーダーⅡの場合は二号戦車の砲塔を外してそのまま対戦車砲を搭載しましたが、やはりそれでは使い勝手がよくないため、車台後部を砲の操作スペースとし、エンジン等を車台中央部に移すことにします。
そして105ミリ榴弾砲をエンジン部の上に載せることで、実にバランスの取れた車両が出来上がったのでした。
そのバランスのよさは、搭載する砲の大きさに対して結構小型の車両であるにもかかわらず、砲撃の際に車体を安定させる駐鋤などが一切必要なかったことからもうかがうことができました。
ヴェスペ

105ミリ榴弾砲の重量に耐えられるよう足回りのサスペンションなどの強化もされたこの試作車両は、leFH18/2搭載二号自走砲として正式に採用され、後に「ヴェスペ」(英語だとワスプ:蜂)と呼ばれるようになります。
そのデザインはドイツ軍の自走砲のスタンダードともいえるようなものとなり、のちには「マーダーⅢM型」や「フンメル」「ナスホルン」なども同じようなデザインを踏襲しております。

搭載砲弾数は30発とされ、さすがに単独では砲弾数が少ないために弾薬運搬車両のお供は必須でしたが、泥濘に悩まされた東部戦線ではまさに必要不可欠の支援車両だったでしょう。

「ヴェスペ」の生産は「マーダーⅡ」を生産していたFAMO社が行うことになりますが、とても使い勝手のよい優秀な自走砲であったにもかかわらず、その生産数は最初の予定数1000両に対し835両に減らされた上、実際の生産数は700両をちょっと上回ったぐらいだったといわれます。
これはドイツの生産力の低さもさることながら、FAMO社に対し牽引車である18トンハーフトラックの生産を優先するよう指示を出したのも原因といわれます。

東部戦線の悪路を考えたとき、もっと量産されてもいい自走砲だと思いますが、さまざまな事情がそれを赦さなかったのかもしれませんね。

それではまた。

(21:40 文章若干修正)
  1. 2011/02/21(月) 21:24:05|
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