第一次世界大戦終了後の1920年、一隻の巡洋戦艦がアメリカで起工されました。
巡洋戦艦とは、戦艦とほぼ同様の大口径主砲を搭載しているものの、船体を覆う装甲は自分の主砲の砲弾を防ぐことができるほどの厚さを持たず、代わりに速度を重視して戦艦よりも高速を発揮できるようにした艦種のことです。
(戦艦の特徴の一つは、自分の主砲と同じ砲で撃たれても耐えられる装甲を持っているというものです。:一部例外あり)
この巡洋戦艦の名は「サラトガ」
サラトガとはニューヨーク州にある町の名前で、アメリカ独立戦争中にこの近郊で起こった戦いで英国軍を撃破した「サラトガの戦い」で有名であり、この巡洋戦艦の名もこの「サラトガの戦い」「サラトガの町」から取られたものでした。
巡洋戦艦「サラトガ」は、六隻計画された「レキシントン」級巡洋戦艦の三番艦として建造されはじめましたが、起工直後の1921年に起こったある出来事が、この「サラトガ」の運命を変えました。
国家財政の破綻を回避するために行われた「ワシントン海軍軍縮条約」により、「レキシントン」級巡洋戦艦は一隻も巡洋戦艦としては造られないことになってしまったのです。
そこでアメリカは「レキシントン」級巡洋戦艦のうち、一番艦の「レキシントン」と三番艦の「サラトガ」を航空母艦に改造して完成させようと考えます。
全長266メートル、基準排水量で3万トンを超える「レキシントン」級巡洋戦艦の船体は、航空母艦の船体としても有効だと考えられたのでした。
このあたりの経緯は日本でも似たようなことがあり、「天城」級巡洋戦艦の「赤城」が航空母艦になっています。
空母に変更された「サラトガ」は、1927年に就役し、翌1928年には艦載機も搭載されて戦力として完成しました。
その形状はすでに近代的で、飛行甲板が艦首と一体化しているエンクローズドバウが特徴です。
とはいえこのタイプの空母は、アメリカでもこの後しばらく出てこなくて、戦後の「エセックス」級の近代化改装以後になりますので、「レキシントン」級ではあまり評価されなかったのかもしれません。
全長270メートル、基準排水量は3万6千トンにも及び、これは戦争後半に大量就役した「エセックス」級よりも大きいものでした。
速力は34ノットから、一説によれば36ノットにも及んだといわれ、巡洋戦艦として起工されたという事実を見せ付けるものとなっております。
搭載機は約90機。
完成当初は飛行甲板上に20センチ砲を搭載し、敵巡洋艦との砲撃戦も考慮されておりました。

太平洋戦争が始まると、「サラトガ」は太平洋艦隊の空母として配備され日本軍と対峙します。
1942年には日本軍の潜水艦に魚雷攻撃を受けますが、幸い沈没にはいたらず修理することで前線に復帰します。
同型艦であった「レキシントン」が珊瑚海で沈没したあとも「サラトガ」は活躍し、特攻機の突入を受けたりしても最後まで沈没せずに太平洋戦争を生き残りました。
戦後は前線からの復員兵の輸送に当たったのち、1946年に廃艦となることが決まりました。
通常であれば廃艦となった艦はスクラップとして解体されるのですが、「サラトガ」には最後のご奉公が待っていました。
ビキニ環礁で行われる核実験の標的として使用されたのです。
二度の核爆発で「サラトガ」はついに沈没し、ビキニ環礁の海底に眠ることになりました。
現在では放射能も薄れ、ダイビングの人気スポットになっているそうです。
船体の大きさと高速性が空母としても有効性を発揮した艦でした。
アメリカ空母史上に名を残す艦だと思います。
それではまた。
- 2011/01/23(日) 21:05:16|
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