オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったころから、チェコ地方は豊富な石炭を基にした産業革命によって欧州でも有数の工業地帯でした。
当然そこでは軍需産業も発達しており、チェコ地方にはいくつかの軍需工業会社が存在いたしました。
中でも大きかったのはスコダ社でしたが、のちにCKD社となるチェコモラヴィア機械会社もこの時期に名を上げてきます。
第一次世界大戦の終結によってオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊したことで、チェコ地方はスロバキア地方と一緒くたに独立させられ、チェコスロバキアとして成立します。
しかし、チェコスロバキアにおいてはチェコ人がほぼ社会全体を支配してしまったため、スロバキア人は不満をくすぶらせていくことになりました。
そんな中、チェコモラヴィア機械会社はいくつかの吸収合併を繰り返してCKD社へと成長していきます。
こうしてCKD社はチェコスロバキア内ではスコダ社に次ぐ軍事関係の大企業へとのし上がることになりました。
ところがCKD社はどちらかというと大砲や戦車といった兵器の生産にはあまり携わったことが無く、サーチライトや船橋など補助的製品を主に納入していた会社でした。
そこでCKD社は英国から豆戦車(タンケッテ)のライセンス生産謙を購入し、vz33というタンケッテを開発します。
これは箱型の装甲された装軌式車体に機関銃を固定装備しただけのもので、戦車というよりは機関銃装備の装甲車両なのですが、世界恐慌時の各国軍が安価な装甲車両ということで多く採用していたものと一緒でした。
もちろんこんなちっぽけな装甲車両が主力としていつまでもいられるわけも無く、1930年代半ばになると、各国とも新型戦車を模索します。
CKD社も新型戦車を開発しようといたしますが、肝心のチェコスロバキア軍は新型戦車をその時点ではまだ必要としておらず、新型戦車開発の必要性がありませんでした。
しかし、ここでCKD社に朗報が舞い込みました。
中東の国ペルシャがイラン王国となり、イラン国王が軍の近代化のために新型の戦車を購入するというのです。
しかも、その購入先として欧州屈指の工業国チェコスロバキアのスコダ社とCKD社に打診をしてきたのです。
当然スコダ社もCKD社もこの注文を受けるべく新型戦車の開発を行います。
こうして完成したのがTNH戦車でした。
TNH戦車は、一組の板バネに大きな転輪二個を組み合わせた走行装置を、車体片側に二個装備したのが特徴で、それまでの戦車がわりと小型転輪をいくつも使っていたのに対し走行能力も整備性も勝るものでした。
このTNH戦車はイラン軍に50輌が採用され、CKD社は戦車製造で一躍名を上げることになりました。
いくつかの国からの注文も入り、このTNH戦車を各国向けに一部改良した戦車がペルー、スウェーデン、ラトヴィアに採用されました。
ですが、TNH戦車はチェコスロバキア軍には採用されませんでした。
1934年にチェコスロバキア軍がスコダ社、CKD社、タトラ社に新型戦車の開発を命じたときには、まだこのTNH戦車は開発中であり、スコダ社の開発した戦車がLTvz35として採用されてしまったのです。
このLTvz35戦車は、のちに35(t)という名称でドイツ軍にも使用されることになりますが、決して悪い戦車ではなかったものの、足回りのトラブルによく見舞われ、あまり高い評価を受けることはできませんでした。
このことはチェコスロバキア軍内でも同様で、チェコスロバキア軍は早期に次期新型戦車の開発をする必要に迫られました。
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- 2011/01/21(金) 21:07:34|
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