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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

エチオピア戦争(7)

チリの鉱山事故は33人全員が無事に救出されましたね。
なんにしてもよかったです。

今日はエチオピア戦争の7回目です。

イタリアの首相に就任したムッソリーニでしたが、世界恐慌に端を発する国内問題の解決はなかなか難しく、失業者対策と経済対策を同時に行う必要性に駆られておりました。
そこでイタリアは失業者などの余剰人口対策と資源奪取のために植民地獲得を行うことを考え、アフリカでまだ独立を保っていたエチオピアに目をつけます。

エチオピアは地理的位置としてイタリアの植民地であるエリトリアとソマリランド(現ソマリア)に北と東をはさまれるような形になっており、侵攻しやすい状況でした。
また、(第一次)エチオピア戦争での敗北という屈辱を払拭するという意味からも、国民の支持を受けやすいものでした。
イタリアはエチオピアに対する領土的野心をじょじょにむき出しにしていき、エチオピアの国境を侵食し始めます。

イタリアは、まずイタリア領ソマリランドとエチオピアとの国境線を策定した条約に目をつけ、海岸線から12リーグ(リーグは距離の単位:1リーグは3マイル約4.8キロメートル)と定めた国境線の位置を、このリーグは海上におけるリーグ(海上でのリーグは1リーグが3海里約5.4キロメートル)であるとして、国境の位置をずらしてしまいます。
そしてオガデン地方のオアシスであるワルワルに拠点を築き、軍の一部を進出させました。

さらにイタリアは既成事実を作るかのようにエチオピア領内に道路を作るなどし、土地を侵食していきます。
エチオピアはこのイタリアの行動に抗議を行い、イタリア領ソマリランドの隣に位置する英領ソマリランドの英国人を巻き込んでイタリアを非難しますが、国際紛争化を恐れた英国はすぐに手を引いてしまいました。

1934年12月、ワルワルでエチオピア軍とイタリア軍が衝突。
双方に死傷者を出す「ワルワル事件」が発生します。
このことでエチオピアはついに翌1935年1月3日にこの国境問題をイタリアの侵略として国際連盟に提訴。
一方イタリアは、今後のアフリカでの行動に掣肘を受けないよう、1月7日にフランスとの間に協定を結びます。

さらにイタリアは英国との間にも根回しを行い、ほぼエチオピア侵略についてのフリーハンドを得ることに成功。
その間国際連盟はこの問題を「アビシニア問題」として紛糾いたしましたが、結局は英仏の宥和政策がものをいい、9月になって国際連盟の仲裁委員会が下した結論は、当事者双方に責任なしというあいまいなもので、成り行きに任せるしかないというものでした。

国際連盟が紛糾している間も、イタリアは着々とエチオピア侵攻に向けて軍を動かしており、エリトリアとソマリランド双方からエチオピア国境に向けてイタリア軍が集結を始めておりました。
ここにいたりエチオピア皇帝のハイレ・セラシエ一世は、もはやイタリアとの戦争は避けられないと判断。
国家総動員令を発令いたします。
ついに戦争は時間の問題となりました。

この時点でのエチオピア軍の戦力は、おおよそ三十五万名というところでした。
その大半は各部族を中核とした非正規の部隊で、国家から与えられる旧式のライフルと、自前で装備する刀や槍、それに盾というものでした。
中には旧式の火砲を装備していた部隊もあったといいますが、総じて火力は低く、また彼らは勇猛な戦士ではありましたが、きちんとした訓練を受けたものは少なく、その質もばらばらでありました。

エチオピア軍で唯一近代欧州軍に対抗できたのは「皇帝親衛隊」でした。
約三万五千名の兵力を持つ彼らは、第一次世界大戦時の英国軍に似た軍服と個人装備を身に着けておりましたが、ヘルメットはかぶらず、靴も戦闘時には脱いで裸足になって戦うという戦い方をしておりました。
とはいえ、彼らの装備は優秀で、小銃はフランス製の新式のものを持ち、81ミリの迫撃砲や75ミリの野砲も装備しておりました。
また空に対する備えもあり、ヴィッカース社の40ミリ対空機関砲やエリコン社の20ミリ機関砲といった優秀な対空砲を装備しておりました。
さらに第一次世界大戦型でごく少数しかないとはいえ、イタリア製のフィアット3000型戦車まで持っており、イギリス製の第一次大戦型装甲車もありました。
こういった装備を持つ皇帝親衛隊は、イタリア軍に何の遜色もなかったのです。

エチオピア軍にはもう一つ、変わった部隊がありました。
英語で「Army of Ministries」と呼ばれるもので、直訳すると「エチオピア閣僚軍」ということになるのですが、各政府官庁の職員を武装して編成した部隊なのです。
一見ただの武装した事務員というイメージなのですが、なかなかどうして、充分に戦力になったというのですから、エチオピア人の中に流れる戦士の血は侮れません。
約一万名からなり、武装は新式小銃のほかに、若干の新式火砲を装備していたといいます。

こうしてエチオピア軍は、イタリア軍を迎え撃つ準備を進めていきました。

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  1. 2010/10/14(木) 21:11:25|
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(まいかた まさと)と読みます。
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