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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

日本海軍唯一

日露戦争後、日本海軍においては北洋における警備の重要性を認識しておりました。
しかし、冬季において結氷するような場所で行動できる砕氷船を装備しようというまでには、なかなか至りませんでした。

しかし、大正9年(1920年)の3月から5月までの間に起こったアムール川河口の港町ニコラエフスクでの日本守備隊及び日本人居留民への襲撃事件、いわゆる「尼港事件」の際に、日本海軍が結氷したニコラエフスク港近辺で行動できる艦艇を持たなかったために救援ができなかったことから、氷海で行動できる砕氷船を建造しようという気運が沸き起こります。

そのため急遽1920年度予算の中から給油艦の建造を取りやめ、その予算を砕氷艦建造に振り分けられることになり、建造されたのが「大泊」でした。

IJN_ice_breaker_ODOMARI_in_1921.jpg

大泊は、終戦に至るまで日本海軍が保有した唯一の砕氷艦でありました。
基準排水量は2300トンほどとそれほど大きな艦ではなく、全長も60メートルほどでしたが、特徴的なのはその船体幅であり、なんと15メートルもあるというずんぐりした船型でした。

石炭ボイラーを使ったレシプロ機関を搭載し、最高速力は13ノットから14ノットほど。
砕氷能力は最大で2メートルの厚さの氷を割ることができるとされましたが、実際はそこまでの能力は無かったといわれます。

8センチ砲を一門備え、大正10年(1921年)11月に竣工。
以後は北洋での行動を一貫して行い、警備や測量、さらには輸送等さまざまに使われました。

太平洋戦争中も北洋警備に任じ、終戦近くまで中立だったソ連の船舶の臨検などを行ったりもしたといいます。

大泊は幸運なことに終戦時まで生き残り、昭和20年(1945年)9月に除籍となりました。
その後復員船としての使用や砕氷能力を生かした海上保安庁の北洋巡視船としての使用も考慮されましたが、船体や機関の傷みが激しく、再利用はされぬまま昭和24年(1949年)に解体となりました。

大泊は、たった一隻しかない日本海軍の砕氷艦として、地味ながらその任を最後まで果たしました。
おそらく大泊で得た技術的運用的なノウハウは、現在の南極観測船二代目「しらせ」にまで受け継がれているのではないでしょうか。
あまり知られていない艦艇ですが、貴重な存在の艦だったのだと思います。

それではまた。
  1. 2010/08/11(水) 21:21:21|
  2. 趣味
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

>>拍手コメントの山崎様
おお、そうなんですか~。
身近にそういう方がいらっしゃると言うのは貴重なことですね。
いいお話をありがとうございました。
  1. 2010/08/20(金) 21:04:05 |
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  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

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