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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

スペイン内戦(6)

ファシスト軍がコンドル軍団によるゲルニカ爆撃を経てバスク地方に対する攻撃を強めていたころ、ファシスト軍内において初期に指導者的役割を果たしていたモラ将軍が、飛行機事故によって亡くなりました。
このモラ将軍の事故死は、フランコによるものではないかとの憶測も飛び交いましたが、それを裏付けるものはなく、結局以後ファシスト側勢力はフランコに権力が一極集中していくことになりました。

それに対し人民戦線側内部では、権力争いが続いておりました。
もともと多数の左派勢力の連合である人民戦線では、各党派がそれぞれ民兵を指揮してばらばらに戦っているようなありさまであり、味方であっても他党派の部隊が敗れるとそれを喜ぶような雰囲気さえあったのです。
そのような中で、軍事援助を中心としたソ連の影響力は大きく、スペイン共産党が急激に人民戦線内で勢力を伸ばしました。
人民戦線結成時には小さな党であった共産党の躍進に対し、独自の論理を持つアナーキスト派は脅威を感じ対立を深めます。
ついに人民戦線内での分裂は歯止めが利かなくなり、1937年5月、バルセロナにおいて人民戦線内での内戦とも言うべき武力衝突がアナーキスト派と共産党の間に発生。
双方合わせて500名もの死傷者を出すという凄惨な衝突となりました。

スペイン共産党の後押しをするソ連は、これまでもさまざまな介入を人民戦線に対しておこなってきましたが、このあたりから人民戦線の内部抗争にも介入していくようになります。
5月17日に共産党の後押しでファン・ネグリンが首相に就任した人民戦線政権は、ソ連の秘密警察NKVDによって対立する派閥の有力者を次々と暗殺するという強硬手段に訴えました。
これにはアナーキスト派も対抗しえず、人民戦線はほぼ共産党に支配されることとなりました。

このソ連の露骨な介入と人民戦線内部の権力闘争は、諸外国と国民の失望を誘うのには充分でした。
共産党の理念に賛同する共産党員は増大していたものの、一般民衆に対する影響力はじょじょに低下していくことになったのです。

一方フランコは対外的な影響を考え、カトリック教会を擁護する姿勢を見せました。
これによってカトリック教会はフランコのファシスト政権を容認し、スペイン内の敬虔なカトリック信者を取り込んでいくことに成功します。

1937年7月のマドリッド西方の「ブルネテの戦い」では、人民戦線側の繰り出してきた百両以上ものソ連製戦車に対し、ファシスト軍は少ないながらも自軍の戦車を効率よく使うことで大損害を与えることに成功します。
人民戦線側は政治上でも軍事上でもファシスト側に押され始めていたのでした。

1937年10月にはスペイン北部バスク地方が陥落し、ファシスト軍はスペイン全土の六割を掌中にいたしました。
さらに翌年1938年に入ると、ファシスト軍は北部カタロニア地方と南部地域の間に楔を打ち込むように進撃。
バレンシア地方の北でついに地中海へと達し、カタロニア地方を切り離しました。

1938年4月15日には「ビナロスの戦い」が発生。
ここではドイツ製の88ミリ高射砲が人民戦線側の戦車を次々と撃破したといいます。
人民戦線側はここでも手痛い敗北を喫することになりました。

もはやこれ以上の勢力圏喪失は許されない人民戦線は、ファシスト軍に対して乾坤一擲の大反撃をおこなうことにいたします。
1938年7月25日、人民戦線側の軍勢がエブロ川を渡河。
分断されたカタロニア地方との連絡を取り戻そうといたします。
この「エブロ川の戦い」に人民戦線側は持てる最大の力を投入いたしました。
その兵力は10万といわれ、カタロニア地方に孤立していた人民戦線側の戦力もファシスト軍の背後から攻め込みました。

前後から挟撃される形になったファシスト軍は、緒戦で大きな損害をこうむりました。
しかし、すでに人民戦線側に対して大きな兵力差を持つにいたっていたファシスト軍は、各地から増援を送り込むことでこの危機を乗り越えます。
逆にあとに続く兵力の無い人民戦線側は、じょじょに攻撃が先細りになって行きました。

戦いは10月までずるずると続けられますが、もはや人民戦線側には勢いはなく、戦線はこう着状態に陥ります。
さらにその間には衝撃的なニュースも人民戦線側には飛び込んでまいりました。
9月におこなわれた英・仏・伊・独四ヶ国の国際会談ミュンヘン会談で、英仏はドイツの主張するチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲を認め、それによってドイツとの融和を図ることがはっきりしたのです。
それは英仏が人民戦線を支援しないということであり、さらに政治的な思惑から国際旅団も解散へと追い込まれてしまいます。

国際旅団の参加メンバーのうち、解散後も約一万人ほどが終戦まで義勇兵として戦いましたが、多くはこの時点でそれぞれの母国へと戻りました。
しかし、彼らのその後は決して恵まれたものではなく、その多くが「共産主義者」として危険分子と見なされたり、「トロツキスト」として粛清されてしまったといいます。
小説家のアーネスト・ヘミングウェイもこの国際旅団に参加しており、のちにこのときの経験を元にして「誰がために鐘は鳴る」を執筆いたしました。

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  1. 2010/06/28(月) 21:32:31|
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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