第二次世界大戦は、多種多様の戦車を生み出すのと同様に、また多種多様の自走砲も生み出しました。
火薬の発明以後、大砲はその射程と破壊力を時代とともに発達させてきました。
大砲の破壊力は戦場にはなくてはならないものとなったのです。
しかし、馬でゴロゴロと引っ張っていた大砲は、機動性というものがほとんど無いといえる代物でした。
これは第一次世界大戦以後、牽引をトラクターや自動車に代えても、それほど改善されたものではありませんでした。
大砲は引っ張ってきた後、きちんと据え付けをしなくてはとても命中するものではなく、その据付には時間がかかるものだったのです。
そのため、すでに据え付けた状態の大砲を車両に乗せ、そのまま移動したら便利じゃないかと考えるのは自然な流れだったのでしょう。
そういった考えで生まれた自走砲ですが、当然アメリカ軍も自走砲を装備することにします。
そこで選ばれたのが、生産が軌道に乗っていたM3戦車の車体に105ミリ軽榴弾砲を載せる案でした。
この自走砲はM7と名付けられ、余裕のある車体に威力充分の榴弾砲を載せた使い勝手のいい自走砲となりました。
このM7は激戦に次ぐ激戦で一台でも車両が欲しいイギリスにも引き渡され、すぐに英軍部隊に配備されました。
届いたM7を見た英軍兵士は、車体に搭載された榴弾砲の右側に(車両正面に向かえば左側)自己防衛用の12・7ミリ重機関銃が付けられた円筒型の銃塔があることに目をつけました。
「おい、あの機関銃が付いた銃塔・・・なんかに似ていないか?」
「そう言われるとそうだなぁ・・・プリースト(司祭)の説教台みたいだなぁ」
「そうそう、プリーストの説教台だよな」
と言った会話があったのかどうか・・・ですが、英軍はこのM7をプリーストと言うニックネームで呼ぶようになりました。
このニックネームはその後米軍にも伝えられ、米軍もM7をプリーストと呼ぶようになったのです。
ニックネームの逆輸入はM4もそうですね。
シャーマンと呼び始めたのは英軍だったそうです。
ちなみにニックネームを付けられたM7ですが、イギリス軍の野砲部隊は主力が88ミリ口径の25ポンド砲だったため、弾薬供給の面で不都合が生じてあまり使われなかったようです。
しかし、自走砲の便利さは棄てがたかったので、のちに英軍は25ポンド砲を車体に載せた自走砲を作りました。
この自走砲はセクストン(寺男)と名付けられました。
もちろんプリーストに対比するものだったからですね。
それではまた。
- 2006/12/23(土) 21:55:05|
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