第一次世界大戦はドイツ帝国の敗北により幕を閉じました。
そのためヴェルサイユ条約により、戦後ドイツは軍備に関して厳しい制限を設けられることとなります。
一方第一次世界大戦の途中に赤色革命を迎えたソビエト連邦は、社会主義という恐怖を周辺諸国に撒き散らす病原体のような国家と思われました。
当然そのような国と友好関係を持とうという国は少なく、国際社会においては孤立を余儀なくされておりました。
国際社会の苛められっ子(ドイツ)は、国際社会のつまはじき者(ソ連)とお互いに似た境遇であることに親近感を覚えます。
(まあ、幻想みたいなものなんですけどね)
その結果、軍備を制限されたドイツは次世代に向けての軍事技術の開発と実践をソ連で行なうという事を行ないます。
これはソ連にとっても利益になることで、ドイツの優れた軍事技術を取り入れることができるため、ソ連とドイツは手を組みました。
ドイツはソ連領内でひそかに軍事技術を発展させることができるようになりました。
ドイツとソ連は結構仲がよかったのです。
そんな中、ドイツのラインメタル社は37ミリ対戦車砲を開発しますが、これは世界的に見て命中率も貫徹力もトップクラスの対戦車砲でした。
ソ連はこの対戦車砲に興味を持ち、正式にラインメタル社からライセンスを買ってライセンス生産をします。
一頃言われたソ連=西側兵器の無断コピーではなかったんですね、この頃は。(笑)
もちろんこの37ミリ対戦車砲はソ連軍内においても評価が高かったのですが、誰が言い出したのか、これをこのまま45ミリにしたらもっとよくならない? と言った人がいたのです。
ソ連軍はこれにうんうんと納得し、形はそっくりそのままで、砲身の砲口口径を45ミリに拡大したものを作りました。
元がよかったせいか、この45ミリ対戦車砲もまた使い勝手のいい傑作砲となりました。
ソ連軍はドイツが37ミリ砲を主力とするなら、うちは45ミリでと言うことで、戦車の主砲や対戦車砲をこの45ミリ砲で統一します。
ドイツ軍はご存知の通り、三号戦車の主砲を37ミリ砲にして第二次世界大戦を始めますが、実はその前のスペイン内戦でも、すでに37ミリ砲では力不足であると言われ始めていました。
一方ソ連軍は45ミリ砲を装備していたので、威力不足の問題は出ませんでした。
それでもソ連はT-34の主砲には76ミリ砲を搭載します。
バルバロッサ作戦が始まると、ドイツ軍の37ミリ砲はT-34やKV-1の装甲を撃ちぬけず、ドアノッカーとまで酷評されます。
ソ連軍の45ミリ砲は三号や四号戦車の装甲をやや非力ながらも撃ち抜くことができました。
ソ連軍の45ミリに拡大したのは成功だったのです。
しかし、戦争はすぐに戦車の装甲を厚くしてしまいました。
45ミリ対戦車砲でもドイツ軍の戦車の装甲を撃ちぬくことは困難になったのです。
結局ソ連は、手近にあった優秀な野砲(主に敵歩兵を撃つ砲)を対戦車砲として活用します。
この威力は凄まじく、ドイツ軍はラッチュバムと呼んで恐れました。
それでは45ミリ対戦車砲はどうなったのか・・・
お役ごめんになったのか?
いえいえ、そうはなりませんでした。
口径が小さいながらも榴弾もある45ミリ対戦車砲は、直射狙撃砲として使われるようになったのです。
対戦車砲は弾が高速でまっすぐに飛びます。
つまり、小さい的を狙えるのです。
45ミリ対戦車砲は、建物やトーチカなどに潜み、窓や銃眼から狙ってくるドイツ軍に対して、その小さな窓や銃眼目掛けて砲弾を撃ち込むという任務が与えられたのです。
この直射狙撃砲として45ミリ対戦車砲は各歩兵部隊で重宝がられ、結局終戦まで使われました。
本来歩兵を狙う76ミリ野砲が戦車を狙い、戦車を狙う45ミリ対戦車砲が歩兵を狙うと言う変わった用法にはなりましたが、戦争というものは使えるものは何でも使うと言うことなんですよね。
それではまた。
- 2006/12/19(火) 22:39:00|
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拝見させていただきました!
私もエッチなブログを書いているのでよかったら遊びに来てくださいね!
- 2006/12/20(水) 16:26:33 |
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