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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

国産旅客機と輸送機

1931年に起こった満州事変により、日本は大陸に満州国を建国いたしました。
その満州国の航空業務を引き受けていたのが満州航空ですが、この満州航空が国産の旅客機を中島飛行機に求めたのが、中島AT-2型旅客機の始まりでした。

1934年、中島飛行機は満州航空の求めに応じて国産旅客機の開発を始めます。
当時中島飛行機はアメリカのダグラス社のDC-2を国産化する計画もおこなっており、AT-2はDC-2を参考に設計されたといいます。

1936年9月には早くも試作機が初飛行し、数日後には試験を終えて満州へと空輸された中島のAT-2は、満州航空にすぐに納品されて運用されました。
満州航空はこのAT-2に満足し、中島飛行機から複数を購入。
満州航空以外でも日本航空輸送などで民間旅客機として活躍します。
AT-2は、戦前の日本の国産旅客機として充分な活躍をしたのでした。
Nakajima_AT-2.jpg
(AT-2旅客機)

この中島飛行機の開発したAT-2に目をつけたのが日本陸軍でした。
日本陸軍は、このAT-2を軍用輸送機として運用することにし、中島飛行機に軍用機としての改修を命じます。
ですが、AT-2は基本的な性能がよく、軍用にするにもごく小規模の改修ですんだといいます。
また、AT-2唯一の欠点といわれたエンジンの信頼性の低さも、故障の少ないハ1型エンジンに換装することで信頼性を増し、さらに使い勝手がよくなりました。

こうして小規模な改修を受けたAT-2は、九七式輸送機として陸軍に納入され、以後陸軍の航空輸送の主力輸送機として使われることとなります。

しかし、中島飛行機にとっては残念なことに、海軍向けの零式輸送機の製造で手一杯だったことで、九七式輸送機の製造はほとんどが立川飛行機で行なわれることになってしまいます。
そのため中島飛行機ではAT-2を30機ほどと、九七式輸送機を19機ほど作っただけで、九七式輸送機の残り300機ほどはすべて立川飛行機で作られました。

九七式輸送機は傑出した性能は持ちませんが、非常に使い勝手がよい輸送機で、太平洋戦争前半の陸軍の主力輸送機として使われたほか、戦争中盤以降も戦線後方では終戦まで使われた輸送機でした。

外国の機体を参考にしたとはいえ、日本人が設計した旅客機が日本の空を飛ぶのは、AT-2以後はYS-11まで待たなければなりませんでした。
AT-2と九七式輸送機は、戦前の日本の国産旅客機の花だったのです。

それではまた。
  1. 2010/03/29(月) 21:35:35|
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