5月22日にフリゲート「アーデント」を、5月24日には同じくフリゲート「アンテロープ」を失った英海軍でしたが、翌5月25日にもまた、アルゼンチン軍の航空攻撃を受けました。
この日はアルゼンチンにとっては最初の政府ができた記念日、いわゆる五月革命記念日でした。
(独立記念日とはまた別)
この日、ポート・スタンレーに設置されたアルゼンチン軍のレーダーが英国艦隊を捕捉。
ただちに航空攻撃が開始されます。
機動部隊の外周で対空防御に当たっていた42型駆逐艦「コヴェントリー」がまず攻撃され、A-4スカイホーク攻撃機を二機撃墜するものの、自らも投下された爆弾を三発被弾いたします。
三発も爆弾を食らった「コヴェントリー」に助かるすべはなく、「コヴェントリー」は転覆して沈みました。
またしても対空艦が航空攻撃で沈められたのでした。
直後、今度は空母機動部隊そのものが、シュペル・エタンダール攻撃機による攻撃を受けます。
シュペル・エタンダールは、今回も「シェフィールド」を撃沈した対艦ミサイルエグゾセを装備しており、機動部隊の中核である英空母「ハーミーズ」へ向けて二発のエグゾセが放たれます。
大型の航空母艦である「ハーミーズ」といえど、エグゾセを二発も食らってはただではすみません。
「ハーミーズ」は必死に「チャフ」(電波妨害用の金属片:エグゾセのレーダー波を妨害するため)をばら撒き、回避行動を取りました。
これが功を奏し、二発のエグゾセは「ハーミーズ」を捉えることはできませんでした。
しかし、それてしまったエグゾセに取り、第二の目標がおりました。
コンテナ船「アトランティック・コンベア」です。
「アトランティック・コンベア」はごく普通の貨物船です。
軍用船ではありません。
たまたま英国海軍に徴用され、物資を積んではるばるフォークランド諸島近海にやって来たに過ぎません。
対空防備などほとんど無く、エグゾセを回避するなど不可能でした。
エグゾセミサイルは、この無力のコンテナ船に襲い掛かり二発ともに命中します。
(一発説あり)
「アトランティック・コンベア」は炎上し、もはや救うことはできませんでした。
「アトランティック・コンベア」は英軍にとって重要な積み荷、シーハリアーとハリアーGR.3だけはかろうじて「ハーミーズ」と「インヴィンシブル」に移し替えておりましたが、上陸部隊にとって必要な輸送ヘリチヌークとウェセックスに関してはまだ積んだままでした。
また、上陸部隊にとって必要な野営施設や飲料水製造装置、陸上でハリアーを運用するための設備など今後の作戦に必要な物資も積んだままでした。
それらを積んだまま、「アトランティック・コンベア」はついに南大西洋の波間に没します。
この損失は、英軍にとっては非常に大きいものでした。
22日、24日、25日とわずか四日間の間にフリゲート二隻、駆逐艦一隻、重要な物資を積んだ徴用コンテナ船一隻を失った英国海軍は大きな衝撃を受けました。
英国のマスコミは、かつて太平洋戦争中に戦艦二隻を航空攻撃で失った「マレー沖海戦」を引き合いに出し、それ以来の失態と政府と軍を批判しました。
まさに英国海軍に取り、悪夢のような四日間だったのです。
「アトランティック・コンベア」の喪失により、英軍地上部隊は今後の作戦行動を大幅に見直さなくてはならない状況に陥りました。
手持ちの少ない輸送ヘリで何とかやりくりするしかなく、進撃は大幅な速度ダウンをまぬがれません。
ですが、間もなく冬を迎えるにあたり、本国から輸送ヘリを待つことはできませんでした。
英軍陸上部隊の総司令官ムーア少将は、やむを得ず現有戦力のみでの東フォークランド島制圧を決意します。
そのためにはまず島の中央部のポート・ダーウィンとグースグリーン飛行場を制圧しなくてはなりません。
英国軍に取りきびしい戦いとなる「グースグリーンの戦い」が始まろうとしておりました。
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- 2010/01/25(月) 21:34:18|
- フォークランド紛争
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>>KEBO様
フォークランド紛争は私も興味を持って見てました。
当時は「アトランティック・コンベア」が英軍の損害の象徴だった気がしますね。
あと「シェフィールド」と。
- 2010/01/26(火) 20:41:11 |
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- 舞方雅人 #-
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