5月21日の午前6時30分ごろ、強襲揚陸艦「フィアレス」及び「イントレピッド」より発進した上陸用舟艇は、フォークランド海峡に面する東フォークランド島のファニングヘッド、サンカルロス、ポート・サンカルロスの三ヶ所に英国兵を送り込みます。
アルゼンチン軍はこの英軍の上陸作戦をまったく予期しておらず、英軍はほぼ何の抵抗も受けることなく上陸を完了。
この三ヶ所に橋頭堡を築くことに成功いたしました。
しかし、夜が明けてだんだんとアルゼンチン軍側にも状況がわかってくるに連れ、上陸した英軍に対する攻撃が主に航空機によって行なわれるようになります。
アルゼンチン軍は攻撃の主目標を主に英軍艦艇に定めており、昼ごろから午後にかけて、アルゼンチン軍機による攻撃が英国艦艇を襲いました。
アルゼンチン軍はまず東フォークランド島のスタンレー飛行場からプロペラ攻撃機プカラを、そして本土からはスカイホーク攻撃機とミラージュ戦闘機が、繰り返し英国艦艇に対艦攻撃を行ないました。
この攻撃により英軍は、21型フリゲート「アーデント」が投下された爆弾の直撃を受けて炎上。
そのほかの艦艇にもいくつかの損傷を受けました。
「アーデント」は翌22日には沈没しますが、これは英軍にとって二隻目の大型艦艇の喪失となりました。
一方アルゼンチン軍側は、この攻撃に参加したスカイホークなどあわせて十三機もの損失を出しており、しかも、三千名に及ぶ上陸した英軍兵士や物資などにもほとんど損害を与えることができませんでした。
損害が大きかったわりには上陸を阻止することも上陸部隊に損害を与えることもできなかったのです。
5月23日。
英軍はまたしても艦艇に対する航空攻撃を受けました。
アルゼンチン軍機による攻撃は今回も激しく、「アーデント」と交代でフォークランド海峡に侵入していた同型艦の21型フリゲート「アンテロープ」が爆弾二発の直撃を受けてしまいます。
爆弾はまたしても不発でしたが、残念なことに信管解除の作業中に誤って爆発させてしまいます。
「アンテロープ」はこれがもとで翌日に沈没。
三隻めの喪失でした。
海上での損害をよそに、英軍の陸上部隊は東フォークランド島の制圧に乗り出します。
この時点で東フォークランド島にはアルゼンチン軍約一万一千名の兵力がおりました。
そのうち約八千名が主都市であるポート・スタンレーに周辺に配置されており、残り約三千名のうち東フォークランド島中央部に位置するポート・ダーウィンとグースグリーン飛行場近辺には千名ほどが配置され、英軍を迎え撃つことになりました。
一方の英軍は、第三海兵コマンド旅団を中核に約五千名の兵力を持っておりました。
またシミター装甲戦闘車も二十両ほど揚陸されており、航空攻撃に対抗するためのレイピア地対空ミサイルも装備しておりました。
さらに数日後には「クィーンエリザベス二世」による兵員輸送で、第五歩兵旅団の三千名も到着する手はずになっておりました。
英軍は当初、コンテナ船「アトランティック・コンベア」に積載されている大型輸送ヘリのチヌークやウェセックスなどを使い、部隊を迅速に進めていく計画でした。
主攻撃軸はポート・サンカルロスから南へ向かい、ポート・ダーウィンとグースグリーン飛行場を制圧。
その後東に向かってポート・スタンレーへと向かうというもので、補助攻撃軸として島の北側からポート・スタンレーに向かう部隊との二方向からの進撃を予定しておりました。
島の北側から進む補助攻撃軸の部隊は、アルゼンチン軍がいなかったこともあって順調に小集落を解放して行きました。
しかし、主攻撃軸であるポート・ダーウィン攻撃に向かうという矢先、またしても海上の英国艦隊を悪夢が襲うことになります。
フランス製の対艦ミサイルエグゾセが、再びその威力を見せ付けたのでした。
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- 2010/01/23(土) 21:18:51|
- フォークランド紛争
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