英国海軍の原子力潜水艦「コンカラー」による、巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」撃沈は、アルゼンチン国民を沈痛な面持ちにさせるに充分な出来事でした。
アルゼンチン国民は、この戦争が小競り合いで済むものではないと思い知らされたのです。
ここはなんとしても、英国に対し一矢報いて欲しいと思ったことでしょう。
そのチャンスは意外に早く訪れました。
「ヘネラル・ベルグラノ」喪失からわずか二日後の1982年5月4日。
上空哨戒中のアルゼンチン軍哨戒機のレーダーに、英国機動部隊の外周警備に当たる駆逐艦の姿が捉えられます。
これは英国海軍の42型駆逐艦「シェフィールド」であり、主に対空戦闘用の艦艇でした。
(英国海軍は、駆逐艦を対空用、フリゲートを対艦対潜用と区別しています)
ですが、「ヘネラル・ベルグラノ」の仇討ちに燃えるアルゼンチン軍は、ただちにシュペル・エタンダール攻撃機二機を発進させて「シェフィールド」の攻撃に向かいます。
シュペル・エタンダール攻撃機はフランス製の攻撃機で、翼下には同じフランス製の対艦ミサイルエグゾセが搭載されておりました。
当時このエグゾセミサイルは、まだ実戦での評価が定まっておらず、その実力は未知数でした。
アルゼンチン本土を発進したシュペル・エタンダールは、途中空中給油を受けて英国機動部隊に接近。
敵の警戒を避けるために低空から侵入し、距離約40キロメートル前後という限界射程ぎりぎりの距離で二発のエグゾセミサイルを発射しました。
シュペル・エタンダールは発射後すぐさま反転して離脱。
エグゾセは真っ直ぐ「シェフィールド」へと向かいます。
「シェフィールド」はこの時ほぼ無警戒であったと言われ、エグゾセへの対応が遅れました。
そのため、二発のエグゾセは一発が船体に命中。
もう一発は射程を越えてしまったために海面に着弾しました。
命中したエグゾセはなんと不発でした。
弾頭が炸裂しなかったのです。
「シェフィールド」にとっては救いかと思われました。
しかし、ミサイルの恐ろしさは弾頭が炸裂するだけではありませんでした。
音速に近い速度で船体に命中したエグゾセは、その衝撃力もただ事ではなく、船体に大きなダメージを与えました。
また、ミサイルを飛翔させるためのロケットモーターの燃焼は、高温の噴流を船体に撒き散らし、火災を発生させました。
「シェフィールド」にとって不幸なことに、命中箇所近くには調理室があり、そこには調理用の油があったのです。
油はたちまち燃え上がり、「シェフィールド」は大火災に包まれます。
命中の衝撃が艦内の電気系統に故障を生じさせたため、艦内の消火システムは作動せず、可燃物の出す有毒ガスが艦内に広まったために、消火活動は困難を極めました。
火災は手が付けられない状況となり、艦長は消火が不可能と判断、ついに総員退艦が命じられます。
「シェフィールド」はやむなく放棄されました。
その後もしばらく燃えていた「シェフィールド」でしたが、沈没はせずに浮いており、やがて火災も燃えるものを燃やし尽くして鎮火します。
英国海軍はこの「シェフィールド」を曳航して持ち帰ろうとしましたが、5月10日になって浸水が激しくなり、ついに波間に没します。
「シェフィールド」の最後でした。
つい二日前に「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈した英国は、今度は自分たちが新鋭の対空防御能力に優れているはずの駆逐艦「シェフィールド」を航空攻撃で沈められたことに衝撃を受けました。
このことでエグゾセミサイルは、不発だったにもかかわらず高評価を受けることとなり、一躍武器市場での名声を高めることになりました。
そしてアルゼンチン国民もまた「シェフィールド」の撃沈を喜びましたが、戦争が泥沼化してきたことに懸念も抱いておりました。
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- 2010/01/20(水) 21:07:19|
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