昨年も記事にいたしましたが、今日は平成七年に発生しました「阪神・淡路大震災」から15年目の日です。
あの大震災の記憶は今も多くの人に焼きついていることでしょう。
以下、当時のことを思い出させる表現がありますので、折りたたみます。
ご注意ください。
先日、古くなったVHSのビデオテープを整理していると、震災当日の「ニュースステーション」を録画したものが出てきました。
震災の記録として録画しておいたものだったのですが、しばらくぶりに見てみました。
その日の朝に発生したものでしたので、まだニュースステーションの中でも全貌が明らかではありませんでした。
神戸市ではあちこちが炎上しておりました。
ヘリが上空からレポートしておりましたが、黒煙が神戸市上空を覆っておりました。
とても見るにはつらい状況でした。
高速道路の倒壊した現場。
上階がのしかかり下の階を押しつぶしてしまった建物。
改札口がつぶれてしまった駅舎。
本殿がぺしゃんこになってしまった寺社。
あらためて当時の被害のすさまじさを目にしました。
私はずっと北海道にいますので、震災を肌で感じたわけではありません。
でも、映像の持つ衝撃の大きさは、当時の被害を目の当たりにしてくれました。
今でも心に傷を負ったままの方々が大勢いると思います。
私には何ができるわけでもありませんが、震災の記憶は風化させてはならないのかなと思いました。
震災被害に遭われました皆様に、あらためてお見舞いを申し上げます。
- 2010/01/17(日) 20:21:19|
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正直言って、震災当日の情報は、
私よりも舞方さんの方が詳しかったのではないでしょうか?
震災で最も情報が薄かったのは、
最も情報を欲していた地元……そんな状況でした。
当時住んでいた須磨の実家は地震直後は電気が通らず、
急いで出してきた電池式のラジオを通して伝わる情報は、
「豊岡震度5、京都震度5」といった震度情報のみ。
これだけ聞いて丹波あたりが震源だと思っていた自分は、
まさか目と鼻の先があのような惨状になっているとは想像だにしませんでした。
幸い自分の地域ではすぐに電気が復旧し、
昼過ぎには状況をほぼ把握することが出来ましたが、
あの時がれきと化した地域・炎だらけとなった地域にいた人たちは、
一体いつその情報を知ることが出来たのでしょうか?
あの地震を体験した身であっても、
こればかりは想像するしかありません。
この震災はいくつもの教訓を残しましたが、
被災者への情報伝達もまた、その教訓のひとつと言えるでしょう。
- 2010/01/17(日) 23:14:34 |
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- 通りすがりのMCマニア #6qCNEni2
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15年…か。
そのときは小学生でしたな。
がんばろうKOBEとかJ-Friendsとかありましたな。
次の15年は地下鉄サリン…悲しい事件がつづきますな。
- 2010/01/17(日) 23:44:36 |
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- 静寂 #8U7KPG92
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横レスですが
通りすがりのMCマニアどのも須磨でしたか
ワタシも須磨にいました・・・
映像を初めて見たのは20日の日に
明石まで歩いて淡路行きの高速船乗り場ででした
当日は車で寝ましてね
AM神戸のアナウンサーが実況?みたいのしてて
「新長田の駅が・・・(しばし沈黙)壊滅しています」
と呆然とした感じで言ってた放送が耳に焼き付いてます
失礼しました
- 2010/01/18(月) 01:19:57 |
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- KEBO #-
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>>通りすがりのMCマニア様
おっしゃるとおり当時一番情報が欲しかった人たちには情報が届かなかったと思います。
ライフラインには情報というものも必要だと言うことを認識する必要があるのでしょうね。
>>静寂様
私もまだまだ若かったころでした。
月日の経つのは早いものですが、記憶を風化させないことも必要でしょうね。
>>KEBO様
当時の被災地にいた方々全てがすさまじい体験をしたのだと思います。
唖然とするしかなかったのでしょう。
- 2010/01/18(月) 21:01:10 |
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- 舞方雅人 #-
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