ウマイタ要塞の陥落によってパラグアイ川の玄関は開きました。
三国同盟軍はここからパラグアイの首都アスンシオン目指して北上を開始します。
ソラーノ・ロペス大統領はやむを得ず、パラグアイ軍を首都の南35キロの地点にあるピキシリ川沿いに展開。
ここを最終防衛線として徹底抗戦をする構えを見せました。
相次ぐ戦いで、すでにパラグアイ軍はぼろぼろの状態でした。
成年男子はおろか、老人子供までもが前線に駆りだされておりました。
そうしてかき集めた1万3千の兵力で、何とか三国同盟軍を迎え撃つつもりだったのです。
一方三国同盟軍も、主力であるブラジル軍は別として、アルゼンチンとウルグアイの兵力は減少しておりました。
三国同盟軍はピキシリ川の防衛線に直接攻撃を仕掛けることは得策ではないと判断し、パラグアイ川の対岸であるアルゼンチン領のチャコ地方を進撃。
ピキシリ川のラインを迂回して背後に回ります。
その数約3万8千。
彼らはアスンシオンの手前のサンアントニオで再びパラグアイ川を渡河し、パラグアイ領に入ります。
もはやパラグアイ川の交通は三国同盟軍の自由でした。
サンアントニオを占領した三国同盟軍は、本隊をアスンシオンに向けるとともに、1万8千の支隊を南下させてピキシリ川の背後からパラグアイ軍を襲わせます。
パラグアイ軍は3500の兵力でこれを迎え撃ちますが、やはり多勢に無勢、パラグアイ軍は後退を余儀なくされました。
ソラーノ・ロペス大統領は増援を合わせて約4000の兵力で再び三国同盟軍に挑みます。
パラグアイ軍は決死の覚悟で挑み、自殺的な切り込み攻撃を行ないましたが、三国同盟軍の前に完敗。
パラグアイ軍約4000はほぼ全滅だったといわれます。
1868年12月末、アスンシオン南方のイタ・イパテでは七日間の激しい攻防戦が行なわれました。
約600人の女性までもが戦いに参加したというパラグアイ軍でしたが、この戦いでもまた三国同盟軍に敗退し、約8000もの死傷者を出したといわれます。
ほぼ全滅したパラグアイ軍にあって、ソラーノ・ロペス大統領は約60人ほどの部下とともに戦場を離脱。
三国同盟軍側も約4000もの死傷者を出したことから、これを追うことができず、翌年1月1日にパラグアイの首都アスンシオンに入るのが精いっぱいでした。
三国同盟軍はアスンシオンに臨時民主政府を樹立。
しかし、戦争はまだ終わりません。
アスンシオンの東にある山岳地帯に逃げ込んだソラーノ・ロペス大統領は、ピリベブイに首都を移しさらなる抵抗を続けます。
もはや老若男女かまわずに新軍を編成したパラグアイ軍は、ただの武装し飢えた民衆にほかなりませんでした。
騎兵は馬を持たず、歩兵は靴さえなく、武器も刀剣や斧という状態でした。
それでもソラーノ・ロペス大統領は戦いを続けました。
大統領夫人のエリサも軍服をまとって夫のそばで励ましたといいます。
三国同盟軍との小競り合いが続き、1869年8月には新たな首都ピリベブイすらも追われたパラグアイ軍でしたが、8月16日に最後の組織的抵抗といわれるアコスタ・ニューの戦いが起こります。
撤退するソラーノ・ロペス大統領の小部隊を守るため、パラグアイ軍約3500が追撃してきたブラジル軍約2万を迎え撃ったのです。
パラグアイ軍のほとんどは少年兵でした。
多くは九歳から十五歳。
中には六歳から八歳という子もいたといいます。
成人兵はわずか500人に過ぎなかったそうです。
彼らは勇敢に戦いました。
ソラーノ・ロペス大統領を無事に脱出させることに成功したのです。
代償は彼らの全滅でした。
戦闘終了後、戦場には我が子の遺体を抱く母親たちの泣き声で覆われたといいます。
これほどの悲劇を起こしながらもソラーノ・ロペス大統領は戦い続けました。
さらに半年の間戦い続け、1870年2月、ついに北部山岳地帯にまで追い詰められてしまいます。
付き従うものわずかに400名ほどとなっておりました。
ここでソラーノ・ロペス大統領は最後の叙勲式を行なったといいます。
生き残ったものたちに手作りの粗末な勲章を与え、士気を高めました。
1870年3月1日。
ブラジル軍の攻撃が始まります。
生き残った者たちが次々と倒れていくなか、ソラーノ・ロペス大統領も自ら戦い、ついにここで戦死します。
十五歳の息子も戦死し、妻エリサと幼い幼児だけが生き残りました。
ソラーノ・ロペス大統領が戦死したことで、ようやく「三国同盟戦争」は終わりを告げました。
実に五年にわたった戦争は、参加したどの国も悲惨な戦争でした。
勝者となったブラジルでしたが、5万人近い死傷者を出し、軍部の発言力が強まりました。
また戦費を英国に借りたため、いっそう英国に対する従属度が高まりました。
そうしたことが組み合わさり、ついにブラジルは1889年に帝政が崩壊することになります。
アルゼンチンは国内を統一できたものの、やはり英国に対する従属度が深まりました。
ソラーノ・ロペスとの密約がありながらも立ち上がらなかったウルキーサは、この戦争を通じて軍需物資を売り財を成しましたが、結局そのことで顰蹙を買い暗殺されました。
ウルグアイは緩衝国が必要と再認識したブラジルとアルゼンチンにより、以後の両国からの干渉は少なくなっていきますが、やはり何も得るものはありませんでした。
コロラド党とブランコ党の両党による政情不安も解消されず、二十世紀にまで続くことになります。
最大の被害はパラグアイでした。
国家の存続は認められたものの、領土の約四分の一をブラジルとアルゼンチンに割譲しなければなりませんでした。
土地もアルゼンチンの地主によって買い占められるなどし、英国からも借款を押し付けられるなど、経済的には英国とアルゼンチン、政治的にはブラジルの影響力が強まりました。
何よりも大きかったのは人口の減少でした。
パラグアイはこの戦争で本当に多くの国民を失いました。
ある統計によれば、戦前の人口が52万5千人に対し、戦後の人口は半数以下の21万1千に過ぎなかったといいます。
なかでも成人男性にいたっては2万6千ほどしか残らなかったという資料もあり、まさに全滅に近かったといえるでしょう。
以後パラグアイでは労働力の中心が女性となり、今でも女性が世帯主として登録される習慣が一部では残っているそうです。
このように政治、経済、国土、人口の全てが荒廃してしまったパラグアイは、その後一世紀以上を経た今日でも完全には傷が癒えていないといわれます。
まさに南米最大最悪の戦争だったといえるのではないでしょうか。
戦後、ソラーノ・ロペス大統領に対するパラグアイ国民の評価はきびしいものでした。
国を破滅させた責任者として非難されたのです。
しかし、評価は時とともに移り変わり、今ではソラーノ・ロペス大統領は、現職大統領が最後まで戦って戦死した史上でもおそらく唯一の例として愛国者としてたたえられているといいます。
今日、この四ヶ国が南米共同市場を発足させ、各分野での協力を推進させるなど友好関係を発展させていることなどもあわせると、「三国同盟戦争」ははるか過去の出来事になってしまったのだと思います。
三国同盟戦争 終
参考文献
「歴史群像 2000年春夏号 パラグアイ戦争」 学研
参考サイト
Wikipedia 三国同盟戦争 パラグアイ ウルグアイ ブラジル アルゼンチン
元老院議員施設資料展示館 パラグアイ戦争
など
日本ではなじみの無い戦争でしたがいかがでしたでしょう。
今回もお付き合いいただきありがとうございました。
- 2009/11/17(火) 21:46:29|
- 三国同盟戦争
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| コメント:3
全然知らなかった話で、大変啓発的でした。
あんまりうまく言えませんが、
軍事的にもリードしており、それなりの大義もある中で、政治的駆け引きの一カードとして始めたはずの戦争が、
やがて引くに引けなくなって、やがて「少年兵全滅」を初めとする凄惨な(…あと、「手作りの勲章」とか、わびしい)最後に至る…という、
なんというか、「戦争」という政治的解決がもつ怖さと、それを乗り越えて今を築いている南米諸国の歴史の重みみたいなものを感じました。
>戦前の人口が52万5千人に対し、戦後の人口は半数以下の21万1千
>成人男性にいたっては2万6千ほど
というあたりが絶句です。
大変興味深い記事でした。ありがとうございました。
- 2009/11/18(水) 01:02:09 |
- URL |
- maledict #gR92Clc.
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壮絶ですね・・・・・大量破壊兵器など欠片もない時代に国の人口が激減するほどの戦争になるとは。
大統領が最後まで徹底抗戦を主張するのはよくありますが。最後は自分は降伏する場合が多いのに
逃げずに最後まで戦った・・・・・・・評価は分かれると思いますがリーダーとしての責任の取り方の一つだとは思います。
今の日本の政治家でここまで腹をくくれる人間がいるかどうか・・・・
南米の戦史も興味深いものがあるんですね。勉強になりました。
- 2009/11/18(水) 18:57:52 |
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- あぼぼ #-
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>>maledict様
お読みいただきありがとうございました。
戦争は始めるはたやすく終わらせるのは難しいというのを実感する戦争ですよね。
人口の半分が・・・というのはガンダムだけの話じゃなかったんですねー。
>>あぼぼ様
お読みいただきありがとうございました。
太平洋戦争でも自ら戦場でというのは無理にせよ、死を持ってというのはなかなかできなかったみたいですよね。
死ねば責任が取れるというものでもないでしょうけど、ある意味潔かったと思います。
- 2009/11/18(水) 21:20:09 |
- URL |
- 舞方雅人 #-
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