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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

三国同盟戦争(4)

パラナ川の水上戦闘で、パラグアイ軍は重要な河川制水権を失いました。
このことは、ただちに侵攻中のパラグアイ軍にはね返ります。

8月、ウルグアイ川のアルゼンチン側拠点ヤタイを占領していたパラグアイ軍は、約1万3千の三国同盟軍によって攻撃され、ほぼ壊滅状態に追い込まれます。
またブラジル側のウルグアヤーナを占領していたパラグアイ軍もまた、三国同盟軍に包囲され降伏を余儀なくされてしまいます。
これらはまさに河川制水権の喪失によるものでした。

ここにいたりソラーノ・ロペス大統領は、アルゼンチンやウルグアイ方面に進出していたパラグアイ軍を国内へと引き揚げます。
ヤタイとウルグアヤーナの敗戦で、パラグアイ軍は約2万の精兵を失いました。
電撃的勝利を目論んだソラーノ・ロペス大統領の構想は完全に瓦解したのでした。

ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの三国同盟にとって、同盟の意義は次のようなものでした。
互いに単独ではパラグアイと講和はしないこと。
ソラーノ・ロペス政権の打倒が目的であること。
パラグアイの独立そのものは保障すること。
賠償金と一部領土を割譲させること。
パラグアイ防衛の重要拠点であるウマイタ要塞を破壊すること。
しかし、これらはパラグアイ、特にソラーノ・ロペスにとっては受け入れがたいものでした。
パラグアイはこの戦いが自存自衛のものと認識し、態度を強固にしてしまいます。

河川制水権を失ったパラグアイに対し、三国同盟軍はパラグアイ川沿いに戦線を押し上げ、パラグアイの首都アスンシオンを目指す作戦を取りました。
当時このあたりは鉄道のような輸送機関がなく、軍の移動及び輸送には河川を使うのが有効だったからです。

年が明けて1866年。
ブラジル河川艦隊がパラグアイ川を遡上し、並行して三国同盟の陸軍が川沿いにパラグアイへと向かいました。
その数約5万。
三国同盟も多くの兵力をそろえてきたのです。

それに対しパラグアイ軍は、パラグアイ川とパラナ川の合流点である三角地帯に兵力を集中。
その数約3万をもって三国同盟軍を迎え撃ちます。
要衝パソデパトリアやウマイタ要塞で防衛ラインを敷き、少人数の特別攻撃隊で繰り返し三国同盟軍に夜襲をかけるのがパラグアイ軍の戦術でした。

しかし、この特別攻撃隊の夜襲は思ったほど効果を挙げませんでした。
むしろパラグアイ軍には損害ばかりが増える結果となりました。

4月、ブラジル河川艦隊が援護射撃を行なう中、三国同盟軍はパラナ川を押し渡り、イタビル要塞を奪取。
一部部隊はパソデパトリアの背後にまで回ります。
パラグアイ軍はこの攻撃を支えきれず、ついにパソデパトリアを放棄。
貴重な物資が失われる結果になりました。

パラグアイ軍はパソデパトリアを放棄したものの、その士気はまだ旺盛ですぐ北のトゥユティ付近に展開します。
一方の三国同盟軍もパラグアイ軍に対峙するように展開。
塹壕を掘ってパラグアイ軍の攻撃に備えました。

パラグアイ軍の兵力は約2万5千。
対する三国同盟軍は約4万5千の兵力と圧倒的に三国同盟軍が勝っておりました。
そのためパラグアイ軍は打って出るのではなく、拠点に篭って三国同盟軍を迎え撃ち、機を見て別働隊を三国同盟軍の背後に回りこませて撃破するという作戦を取る予定でした。

おそらくこの作戦のとおりに戦えば、パラグアイ軍は善戦することができたでしょう。
ですが、ソラーノ・ロペス大統領が突然この作戦を放棄します。
そして三国同盟軍の陣地に対して先制攻撃を行なうことにしたのです。

1866年5月20日。
パラグアイ軍は三国同盟軍に対して一斉攻撃に打って出ました。
三国同盟軍は最初はパラグアイ軍の攻撃に驚きましたが、やがて衝撃から立ち直ると、パラグアイ軍に対して反撃を行ないます。
銃砲撃がパラグアイ軍に浴びせられ、湿地帯を進むパラグアイ兵をなぎ倒しました。
騎兵部隊の突撃も歩兵の死兵となっての突撃も三国同盟軍の銃砲撃に倒されました。

この戦いは南米史上もっとも血なまぐさい戦いといわれ、パラグアイ軍は惨敗を喫しました。
戦場に残された遺体だけでも6千を数えたといいます。
三国同盟軍も被害は大きく、死傷者8千名を出しました。
そのため、後退するパラグアイ軍を追撃することはできませんでした。

トゥユティの惨敗から一ヵ月後の6月には、ソラーノ・ロペスの下には約2万の新戦力が集まっておりました。
しかし、それらはすでに以前の精強なパラグアイ軍ではなく、子供や老年兵の多い寄せ集めとなっておりました。

パラグアイ軍は陣地戦を展開して三国同盟軍をどうにか押さえつけておりましたが、このままではジリ貧でした。
そこでソラーノ・ロペス大統領は、9月に三国同盟軍司令官であるアルゼンチンのバルトロメ・ミトレに和平会談を申し入れます。
ですが、三国同盟側とパラグアイ側の間に妥協点は生まれず、和平会談は物別れに終わりました。
戦争はまだ続くことになったのです。

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  1. 2009/11/14(土) 21:19:15|
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(まいかた まさと)と読みます。
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