明治10年(1877年)9月24日午前4時。
官軍の砲台から三発の砲声が鳴り響きます。
官軍の城山総攻撃の合図でした。
まだ残月の残るなか、官軍の兵士たちは城山のすべての方位から、薩軍残存部隊の篭る陣地を目指しました。
銃を撃ち放ち、銃剣を付けた銃を構えて突撃する官軍兵士たち。
かつて薩軍に惰弱な農民兵と揶揄された姿はそこにはありませんでした。
薩軍残存部隊の陣地は、官軍兵の前に飲み込まれていったのです。
薩軍本営の第一洞があった岩崎谷は当然ながら激戦が予想されましたが、参軍の山県有朋は、岩崎谷正面に薩長閥ではない柳河藩出身の曽我祐準少将率いる第四旅団を充て、西郷らを迎え撃たせました。
この時西郷隆盛は、40名ほどの将士とともに篭っていた洞窟の前に整列し、彼らを率いて岩崎口へと進撃します。
付き従う者たちには、桐野利秋、村田新八、別府晋介、辺見十郎太、池上四郎、桂久武ら薩軍残存部隊の主要人物が揃っており、それぞれが新しい着物に着替え、いわば死に装束をまとっての出陣でした。
城山を下り始めてすぐに小倉壮九郎が道端で自刃します。
この小倉壮九郎はのちの日露戦争の日本海海戦で有名になる東郷平八郎の兄でした。
続いて桂久武が官軍の銃弾に倒れます。
桂はかつては島津藩の家老を務めたこともある人物で、流刑中だった西郷と親交を結び、以後西郷の僚友として尽くしてくれた人物でした。
このあたりから官軍の銃撃に西郷の周りでも倒れるものが相次ぎ、傍らの辺見十郎太がもういいのではないでしょうかと尋ねたものの、西郷はまだまだと答えたと言い、さらに山を下ります。
しかし、ついに島津応吉久能邸門前にまで来た時点で、官軍の銃弾が西郷を襲いました。
股とわき腹に相次いで被弾した西郷はその場に倒れ、すでに負傷してかごに乗って付き従っていた別府晋介を呼び寄せます。
「晋どん、晋どん、もうよかろう」
西郷は別府にそういうと、皆が見守るなかでひざを揃え、襟を正して東に向かって遥拝したと言います。
別府はかごを降りて西郷の準備が終わるのを待つと、最後の挨拶を交わし、静かに介錯の準備をいたしました。
「先生、ごめんやったもんせ!(お許しください)」
別府はそう叫び西郷の首を一刀の下に落とします。
西郷隆盛、享年51歳(満49歳)でした。
別府はその後西郷の首を従僕に預け、従僕が立ち去ったのを見てから、辺見と刺し違えたとも官軍に突入して銃弾を浴びたとも言われます。
西郷の首は折田正助邸門前に埋められたと言われますが、これも異説が多く定かではありません。
西郷の死を見取った残りの薩軍残存部隊の将兵は、ある者は降伏し、ある者は戦死し、ある者は自刃いたしました。
戦死、あるいは自刃した者には桐野、辺見、村田、池上らがおり、特に桐野利秋は自ら銃を撃ち、弾がなくなれば刀をふるって官軍兵士と切りあったと言われます。
最後は官軍の銃弾が桐野の眉間に命中したと言い、壮絶な最後だったことをうかがわせます。
降伏した者には別府晋介の兄別府九郎、野村忍助、神宮寺助佐衛門らがおり、彼らは今回の戦いの意義を法廷で明らかにしようという者や、単に桐野らとともに死にたくはないと思った者などだったといいます。
午前9時ごろ、銃声はやみました。
薩軍残存部隊最後の戦い、「城山の戦い」はここに終結します。
「西南戦争」が終わった瞬間でした。
西郷の遺体は仮埋葬ののち、明治12年にほぼ現在の位置に埋葬されました。
またその首も見つけられ、ともに埋葬されたと言います。
敗軍の将として扱われた西郷でしたが、その人物を深く愛した明治天皇や、黒田清隆などの尽力により、明治22年には大日本帝国憲法発布に伴う大赦で赦され、汚名は消えました。
西南戦争全期間を通じての官軍の動員兵力は約六万八千。
そのうち死傷者数が約一万六千ほどに上りました。
一方薩軍及び党薩隊の兵力は約四万八千。
うち薩摩兵が約二万三千と言われます。
死傷者数は約二万。
うち薩摩兵が約八千と言われ、官軍薩軍双方ともに大きな犠牲を払ったことがうかがえます。
まさに激戦だったと言えるでしょう。
(動員数、死傷者数などは異説あり)
西南戦争の終結により、日本は中央集権の近代的国家へと歩み始めました。
明治維新がやっと終わったと言ってもいいものでした。
以後日本は国内から国外に目を向けるようになり、明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争へとつながっていくことになります。
西南戦争 終
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参考文献
「西南戦争」 歴史群像シリーズ21 学研
「乃木希典」 松田十刻著 PHP文庫
「熊本城」 週刊名城をゆく8 小学館
ほか
参考サイト
「Wikipedia 西南戦争」
「Wikipedia 西郷隆盛」
「大東亜戦争 研究室 戦史 乙 近代日本戦争史概説 西南戦役」
「風色倶楽部 西南戦争の部屋」
ほか
このたびも多くの参考文献及び参考サイト様のお世話になりました。
この場を借りまして感謝を述べさせていただきます。
本当にありがとうございました。
6月から書き始めた「西南戦争」の記事も足掛け半年でようやく終えることができました。
今回も資料本等の簡易な写し記事ですが、多少なりとも「西南戦争」に興味を持っていただければ幸いです。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
- 2009/11/06(金) 21:27:26|
- 西南戦争
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| コメント:3
>>神代☆焔様
ありがとうございます。
この戦いで日本陸軍が精神主義に走る前兆が醸成されたらしいですね。
>>思考停止の名無し様
勉強になったと言っていただけるのはうれしいです。
ありがとうございました。
>>拍手コメントの雪月狼様
ありがとうございます。
次回は何を取り上げようか考えてます。
また楽しんでいただけるようにがんばります。
- 2009/11/07(土) 19:39:25 |
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