ドイツとの戦争を目前に控えていた1940年、ソ連は現行の対戦車砲である45ミリ対戦車砲よりも強力な対戦車砲の開発を命じました。
当時ソ連では、良好な傾斜装甲を持つT-34/76や、重厚な装甲を誇るKV-1などの戦車を装備し始めており、相手国であるドイツでも当然そういった装甲厚の厚い戦車を持っていたり開発していたりしているだろうと考えたのです。
そのため、現行の45ミリ対戦車砲では威力不足となることが予想され、より大口径の対戦車砲を開発しようとしたのでした。
当初、開発は107ミリだとか95ミリだとかのような本当に大口径の対戦車砲が考えられましたが、第92工場の主任設計技師グラービンは、動く目標である戦車に対抗するには、対戦車砲自体も操砲性能が重要であると考え、取り回しのしやすい中口径の対戦車砲を設計します。
グラービンが設計した対戦車砲は、76ミリ野砲をベースにした口径57ミリの対戦車砲で、76ミリ野砲の薬莢に57ミリ弾頭をつけたものを撃ち出すようになっておりました。
また、砲架や駐退機構など野砲から流用できるものは流用し、コストと開発時間を短縮しました。
そのおかげで開発はスムーズにいき、1940年のうちに試験までを終えることができました。
翌1941年には正式採用とされ、57ミリ対戦車砲ZIS-2となりました。
57ミリ対戦車砲ZIS-2は、その年に始まった独ソ戦にただちに投入され、ドイツ軍戦車に対して強力な破壊力を振るいます。
それもそのはず、重装甲戦車を撃破するために作られたZIS-2は500メートル離れた垂直の100ミリ装甲板を撃ち抜くことができる対戦車砲であり、当時のドイツにはそんな重装甲の戦車などなかったのです。
(ちなみにティーガーⅠの車体正面の装甲厚が100ミリです)
ZIS-2は確かに優れた対戦車砲でしたが、この当時のドイツ軍相手にはオーバースペックでした。
しかも69.3口径長という長い砲身は、製造に多額のコストがかかるものでした。
76ミリ野砲がドイツ軍戦車を簡単に撃破できた当時、製造コストがバカ高い対戦車砲を作る理由はなかったのです。
ZIS-2は製造が取りやめになりました。
わずか371門しか作られませんでした。
しかし、独ソ戦は容赦ない戦車の発展を促しました。
1943年になると、戦場にはドイツ軍の猛獣たちが現れます。
重装甲のティーガーⅠや、傾斜装甲を取り入れたパンターの装甲は、ソ連軍の76ミリ野砲や45ミリ対戦車砲ではなかなか撃ち抜けません。
ZIS-2の出番がやってきたのです。
ソ連はZIS-2の生産を再開しました。
生産が再開されたZIS-2は、その持ち前の貫徹力でドイツ軍を苦しめます。
終戦までに約1万門が生産され、戦後も長いこと使われました。
先日対戦したASL-SKのシナリオS26にもこの砲が登場し、突然林の中から現れて、我がパンターの側面をあっという間に貫通してくれました。
侮れない砲ですよー。(笑)
それではまた。
- 2009/10/15(木) 21:29:35|
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