北海道日本ハムファイターズの優勝から一夜明けました。
今朝はしっかりスポーツ新聞買って来ました。(笑)
今後はクライマックスシリーズ、さらには日本シリーズです。
再度引き締めてがんばってほしいものです。
さて、今日は趣味の話。
第一次世界大戦中のロシア革命によって生まれた新生ソ連は、その後のロシア内戦やフィンランドとの冬戦争などで拳銃の弾をばら撒くことのできるサブマシンガン(SMG)の有効性に注目いたしました。
そこで、拳銃のデザインで定評のあったトカレフや、機関銃をデザインしていたデグチャレフなどにサブマシンガンの製作を依頼しますが、なかなかモノになるサブマシンガンはできませんでした。
そんな時、ゲオルギー・セメノビッチ・シュパーギンはデグチャレフのデザインしたサブマシンガンを基に一つのサブマシンガンをデザインします。
シュパーギンのデザインしたサブマシンガンは、ライフル銃のような木製の銃床を持ち、銃身のカバーの先に50メートルから500メートルまでのサイトを付け、71発も入る円形のドラム型弾倉を引き金の先の部分に取り付けたもので、大雑把にはデグチャレフのサブマシンガンとほぼ同様のものでした。
このシュパーギンのサブマシンガンは、1940年12月に正式採用となり、「PPSh1941(PPSh-41)」という形式番号が与えられます。
PPShはペー・ペー・シャーと呼ばれ、溶接やプレス加工で製造されたため、大量に製造されることになりました。
そのすさまじさは、1942年の一年間だけで約150万丁も作られたほどで、ソ連軍とPPSh-41は切っても切れない装備となったのです。
一般の歩兵中隊にはSMG小隊が付随し、偵察兵や戦車随伴兵にいたっては、全員がこのPPSh-41装備ということも珍しくありませんでした。
終戦までにはなんと500万丁以上も作られたといいます。
サブマシンガンは基本的に短距離で弾をばら撒く兵器であるため、後期型ではサイトも500メートルまでではなく100メートルと200メートルの二種類だけにしてしまったり、銃身も精密なものである必要はないということで、ドイツ軍との戦いで一丁でも多くのPPSh-41がほしかった時期には、なんと倉庫で眠っていたライフル銃の銃身を途中でぶった切って、一丁のライフル銃から二丁分の銃身を取り出して使ったなどという逸話も残ってます。
大戦後半になると、もっと省資源型のサブマシンガンが求められ、実際に製造も開始されますが、すでに大半の部隊にはこのPPSh-41が配備されてきてしまったため、逆に新型の製造が抑制されるということまで起きました。
ドイツ軍もこのPPSh-41を「バラライカ」と呼んで鹵獲使用しており、71発と装備弾数が多かったため自軍のシュマイザーMP-40よりも好んだ兵士も多かったといいます。
ソ連製兵器の特徴として、製造は粗雑で見た目はよくないのですが、とにかく頑丈で故障も少なく実用的なサブマシンガンだったといいます。
戦後も中国や北朝鮮などでは製造され、朝鮮戦争やベトナム戦争でも使用された息の長いサブマシンガンとなりました。
戦争映画などでもソ連兵が出てくれば、そのうちの誰かは持っているという銃なので、おそらく皆様も目にしたことがあるでしょう。
まさにソ連軍を代表する兵器の一つだと思います。
それではまた。
- 2009/10/07(水) 21:44:13|
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関係ないんですが、ドラムカートリッジと聞いて、ルガーP08のカートリッジを思い出しました。
これって、モデルガンだけの仕様だったんでしょうか?
- 2009/10/07(水) 21:59:10 |
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- 神代☆焔 #-
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>>神代☆焔様
ルガーP08には32発も入るスネイルマガジンというものがありますので、実際にグリップ下部にドラム形の弾倉をつけることができますよ。
モデルガンはそれを表したんでしょうね。
>>悪堕ちキッド様
悪人の脳を移植して悪堕ちというのはほかにあんまり見ないような気がしますけど、ショッカーの脳改造も似たようなものかもしれませんね。
- 2009/10/08(木) 21:24:48 |
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- 舞方雅人 #-
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